直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

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ちょうちょ

多治見市に引っ越したのですが、買い物はもっぱら可児市内に行きます。
愛知県に住んでいた時には全く関心も無かった可児市ですが、食べ物のグレードの高さにはびっくりしています。野菜や果物は安くて新鮮で美味しく、岐阜県産の肉も質の良いものが手ごろに買えますし、カフェやレストランの食事も質が高くてお値打ちなのです。
いやきっと愛知県でもお店を選べばそういうところはあるのでしょうが、可児市の方が平均的に質が高いと思うのです。まずは越してきてよかったと思っています。
ひとつ前の記事では勝川が善い街であると一所懸命に訴えているのに、変わり身が早いと思われてるかもしれませんが、勝川が善い街であることは変わりませんよ。

そして本題。可児市内のホームセンターの植木売り場にミヤマカラスアゲハ(メス)を見つけました。もちろん、写真を撮って後から名前を調べたわけですが。(たぶん、あってると思います)
山歩きや田舎の観光地に行っても見たことのなかった、とても美しいちょうちょです。山間部の渓流の近くで見かけると言われているのですが、こんな街中にいるのは珍しいのではないかと思って、とても久しぶりにブログを書く気になりました。あわててガラケーのカメラ機能で撮ったので画質はいまいちですが、目の前に止まってずっとじっとしててくれた彼女に感謝です。それにしても見ていた時の感激は忘れられません。
ミヤマカラスアゲハのメス 
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住み良い街 勝川

勝川に住んで20年になる。なぜ勝川に住むことにしたのかはっきりした理由はなかったように思う。住み始めたころはJR中央線の駅はあるけれど地方の寂しい街という印象だった。
けれど今は「住むならここ、勝川!」とお奨めしたくなるような住み良い街に変貌している。
勝川駅前再開発事業も功を奏したのだと思うが、それだけではないようだ。商店街の人達が街を盛り上げようとしているし、新しい洒落たカフェなどが次々にオープンしてちょっと食事やお茶したいときに他の街に行く必要がない。

JR勝川駅は高架化してすっきりし、マックスバリューができて買い物もしやすくなった。駅の向かい側にはもうひとつスーパーマーケットがあるし、少し歩けばフランテもある。コンビニも徒歩圏内に4軒あるし、ドラッグストアもあって食材や日用品の買い物には困らない。銀行や信用金庫も徒歩圏だ。

病院も多い。駅前にクリニックモールがあり、内科、外科、耳鼻科、眼科、歯科、メンタルとひととおりそろっているし、中には日曜営業の医院もある。モール以外にも徒歩圏には婦人科、皮膚科などもあって何も困らない。

ファストフードは若干少ない。マクドナルドや牛丼店などはないが、モスバーガーがある。私はこれで十分。駅から徒歩圏にはカフェ、居酒屋、食事処、レストラン、和菓子、洋菓子、パン屋はひととおりそろっている。
お気に入りなのは、フレンチのシュバルブラン、パン屋はモンシェルと櫻蔵、洋菓子はめるたん、カフェは百時やCafe de la Furuido、居酒屋は魚魚屋、そしてフクフクマロマロのカレーがお奨め。ラーメンや韓国料理、インドカレー、中華料理など他にもいろいろある。残念ながら寿司だけは無い。毎月第3土曜日の弘法市は商店街の道路を埋め尽くすテントで賑わうが、ここに出店しているSunday Coffeeさんの柔らかい深煎り珈琲は絶品だ。深煎り好きは是非試していただきたい。

駅前にも、それから国道19号線近くまでの間にマンションが多い。人が増えている。小中学校もさほど遠くなく、通いやすい。今住んでいるマンションは築20年を超えたが、売ってほしいという不動産屋のチラシは毎日のように郵便受けに入るし、部屋が空けばすぐに新しい住人が入ってくる。平均的な売買価格もここ数年上がってきているらしい。
小学校の目の前にはスイミングスクールがある。その横にはSEIYUがあり、向かい側には上部頸椎カイロプラクティックのオフィスカトウがある。このカイロもお世話になった。肩から腕の痺れが一発で治り、それからも体のメンテのためにたまに施術をしてもらう。身体に痛みがある人には是非お勧めである。対症療法ではないので治ると持続し再発も無い(少なくとも自分はそうだった)。

勝川のある春日井市は名古屋のベッドタウン的な地方都市で、徐々に人口が増えつつあり現在31万人を超えたところ。春日井の人は外食が好きなようだ。国道19号線沿いを始めとしてレストランが多い。そして、土日の夕方はどこもすぐには入れないほど盛況な店が多い。最近は外食をあまりしないが、子供が小さいときは夕方5時にはお店に入らなきゃ待たされるといっていつもあせって出かけていたことを思い出す。今でも通りがかりにお店を見ると入口で並んでいる光景は相も変わらない。だから競争も激しいし、美味しくない店は淘汰され、街全体の外食店の質がどんどん上がっている感じがする。

勝川に戻ろう。ユニークなお店を少し紹介する。カフェ百時は、商店街にあった種苗店が閉店したあと、古民家カフェとして開店した。ほとんど手を入れず、柱も壁も建具も古いままに近い。土間が広くて地元の作家さんによる雑貨が置かれていたり、畳の店内にも趣味の良い可愛い小物が定期的に入れ替わりながら棚を埋めている。ランチとチーズケーキが美味しい。なによりも古民家の雰囲気の中で落ち着く。私はこの古民家の2階で少人数制のヨガ教室に通っている。近代的なスタジオと違ってシンプルで素朴で落ち着いたレッスンができて好きである。
もう一軒はふとんやさん。ふとんのイトウさん。介護用品も扱っているが、メインは寝具。本当に睡眠を大事に考えてよいものだけを揃えている。大手メーカーのスプリングマットは置いていないそうだ。どのような姿勢で寝たら本当に体が楽になるかを実体験させてくれ丁寧に説明してくれる。それほどお安くはないが、人生の1/3は睡眠だと考えると、本当に良いものを揃えるのも良いのではなかろうか。少なくとも、こんな地方の小さな街にしっかりした専門店があるのはありがたい。

ほとんどの用事が近場の徒歩圏内で済む街、商店街が元気な街。しかも一流が揃っている。それが勝川という街。

さ来週には、すぐ近くの地蔵川沿いの桜並木も花を咲かせるだろう。これも楽しみである。この川にはたくさんの鯉がいて、鴨や鷺が来る。亀も冬眠から覚めて出てくるかもしれない。しかも、運が良ければカワセミまで見られる。桜を楽しみ、土手で日向ぼっこをする猫達を眺めながら散歩をする。そういう春の休日を楽しめる街でもある。

オナラ大王とオサラバ

こんばんは。久しぶりの書き込みです。
私はこの2、3年オナラに苦しんできました。
オナラをするのが苦しかったのではないですし、臭くて自他共に困った存在だったわけでもありません(と思っているのは私だけだった可能性もありますが)。
とにかくたくさん出る。一度にたくさんでますし、頻繁に出ていました。歩けば、ブッブッブ。座ってもブッブッブ。少し片方のお尻を上げて、できるだけ音が響かないように他の音に紛れるように気を使いながら。また、キッチンでオナラをしてしまうと、ガス検知器が反応してピコピコとなる事が何度もあって家族の失笑を買っていました。情けない。
とにかくオナラ大王でした。

それが今はほとんど気にならないほど出ないのです。
オナラがたくさんでる原因は?と検索すればたくさんの解説があります。
腸内の悪玉菌が多い人、肉を食べすぎたり、野菜を食べすぎしたりしてもたくさん出るとか、ストレスが多い人、物を食べるときに空気もたくさん一緒に飲み込む人などいろいろ書いてあります。

私はそのどれだったのかというと、たぶん悪玉菌が多かったのだと推測しています。
では、そうだとしてなぜ今オナラが極端に減ったのでしょうか。
それは、大腸内視鏡検査のせいとしか考えられません。
大腸内視鏡検査では、検査前に腸内を洗浄します。洗浄といっても、2リットルほどの下剤入りの水を飲んで、腸の中にあるものを出してしまうのです。このときにきっと腸内細菌の多くが一緒に流れ出てしまったのでしょう。

大腸ポリープが見つかって切除したものの、幸いなことにそれは悪性腫瘍ではありませんでした。
内視鏡を入れたことや、ポリープの切除によってオナラが出なくなったというのは合理的に説明できません。

真実はともかく、今はオナラに悩むことなくなってせいせいしています。ただし、腸内細菌というものは、一度洗浄しても3ヶ月くらい経つと元に戻るという説もあります。1月初めに洗浄したので、まだ2ヶ月弱です。あと1ヶ月後には腸内細菌が昔の状態に戻ってまたオナラが頻繁にでるようになるのでしょうか。戦々恐々として待つのみです。

私は花粉症でもあります。花粉症も腸内細菌が関係しているという説があります。今の所たいした症状が出ておらず、もしかしたら今年はかなり楽になるのではないかと期待が膨らみつつあります。オナラがでなくなったのと併せて花粉症も軽減したとしたら、大腸内視鏡検査さまさまですね。

では、1ヶ月後に経過報告をいたしましょう。


日曜の「さむ」は週初めの覚悟


タイトルの「さむ」は作務のことです。

作務とは、「禅寺で僧が掃除などの労務を行うこと。修行の一つと見なされ」るのだそうです。
今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で子供時代の直虎が出家して禅寺で修行を始める場面で、先輩僧との問答の場面。お寺では、作務が修行であると言われた子供の直虎は、どうして掃除や炊事や農作業が修行なのか?理解できません。
さてなぜでしょう?ホントのところは僕にもわかりません。

ただ、座って考えているだけでは何もわかってこない(悟れない)という教えもどこかで聞いたことがあります。
ただ自分がなすべきことを成すという行為の中で何かがわかってくるのだろうと何とはなしに理解しているのですが、何がわかってくるのかわかりません。でも、そのわかるべき何かがわかっていないから修行なのだろうということはわかっているつもりです。

で、日曜日は自分が会社に着ていく5日分のワイシャツにアイロンを掛けます。できるだけ自分でかけることにしています。これを「作務」としましょう。実は、毎週日曜日にアイロンがけをしている時間は、どうしても翌日以降の仕事のことを考える時間になっています。これは必ずしも楽しい時間ではありません。だからといって苦行というわけでもありません。あえて考えようとして考えているのでもありません。自然と頭に浮かんでくる明日行われるとある場面で何を言おうか、何を言われるだろうかと考え始めてしまうのです。ここで考えを抑え込むのがよいのか、考えるままにしておいたほうがよいのかわかりません。どちらがよいのかということも考えながら、思考があっちこっち飛んでは戻ってを繰り返しています。これは修行なのでしょうか?

「作務」が修行だということに近い状態なのか、それとも、全くお門違いなのか。

結局、アイロンを掛けながら、週の初めに一週間の仕事の覚悟を固めているような気がします。


もうひとつ、気になったドラマのセリフがあります。
朝、NHKは連続朝ドラ「ごちそうさん」の再放送を流しています。
先週の107回で主人公のめ以子の息子が、知人の「源ちゃん」がものを食べられない状態になって(PTSD?)苦しんでいるのに対して、
「何が何でも、食べさせなあかんの?」「元気になったら、また、(戦争に)行かされる人がほとんどやろ? いろんなとこ送られて、結局、死ぬまで、行くことなるやんか。その度に あんな つらいことになるんやったら、ここで、静かぁにみとってあげた方がええいう考え方はないん?」と言います。

ぼくは会社に行く時間なのでここで家を出ました。そのあとどうなったか気になっていましたが、あとでカミサンが教えてくれました。その次の主人公のセリフが良かったと。

「死なん人間なんておらんやろ!」「死ぬのは当たり前や! あんたも私も。源ちゃんだけが死ぬようなこと言うてるけど、分からんやろ? 私かてあんたかて、明日いきなり、丸焼けになるかもしれんやろ? どうせ死ぬなんて言い出したら、アホらしゅうて飯炊きなんか やってられるか!」

思い込みがモノを見えなくする


たいした話ではないけれど思い込みによって目の前のモノが見えなくなることをちょこっと体験した。
たいした話ではないので今回は良かったが大事な時にも起こりうるので気をつけたい。
お昼ご飯を食べに車ででかけた。そうだタイ料理を食べようということになり夫婦で店の住所を確認して車のナビに登録して出た。ここまででいくつかのことを思い込んだ。
・マンションの一階というから、高い建物であろう
・お店だから広い道路に面しているだろう
・隣に駐車場があると書いてあるから、マンションの1階の端のテナントであろう
一方通行の道路が入り組んだ住宅街にあるので注意しながら進んでいったはずなのに、同じところを3回走ってもその店を見つけられなかった。結果は上の思い込みとはすべて違っていた。
・マンションといっても2階建てだった
・交差点の角にある建物の狭い方の道路側に面していた。
・3店舗の真ん中のお店だった。
結局、3回同じ交差点を通り過ぎ、最後にぐるっとまわって90度違う方向からその交差点に差し掛かって一旦停止した時、予想していた方向とは違う方向に大きくタイ料理の店構えが目に入ってきた。どうして何度もその横を通ったのに気がつかなかったのか不思議でならない。

脳科学でなんちゃらかんちゃら解説してくれるテレビ番組や本もあって、その時は面白おかしく思っているけれど、自分の身に起こってみて初めてこれは大変なことだと思うのである。仕事でもたくさんやらかしているのかもしれない。

以上

夏目友人帳

これから、ワーグナーの息子ジークフリートが作曲した交響詩を聴くところ。NHKのクラシック音楽館を見ながら久しぶりにブログを書いています。

タイトルの夏目友人帳というのは、漫画、アニメのタイトルです。漫画の方は読んでいませんが、アニメは好きで何度か見ました。シリーズで夏目友人帳、続・夏目友人帳、参、肆ときて、この秋に伍が始まるというそこそこ人気の作品です。

漫画やアニメは子供が見るもの、いい大人が見るものではないと子供の時に親や他の大人達から刷り込まれて、今でもこうした話題を話したり書いたりすることに若干の抵抗があります。でも、心地よかったり楽しかったりするものをそう表現して何が悪いのでしょうか。これが本当の自分なのだから仕方がないのです。他人がどう思おうと。

今テレビに繋いだサラウンドスピーカーから響いてくる美しい交響詩の高く澄んだ弦の音色に心が囚われるのと同じように、夏目友人帳の心に沁みる物語や田舎の風景、優しい音楽に心が囚われて、気持ちよくなるのだから仕方がない。ま、それをこんな場所にわざわざ書くこともないのかもしれませんが。

夏目友人帳は、妖(あやかし)が見えてしまう青年のお話です。気の良い妖もいれば、襲ってくる奴もいます。闘いの場面もあるけれど、哀しいお話もあり、優しいお話もあり、毎回最後は落ち着いた日常に戻っていくところが気に入っています。数あるアニメ作品の中でも、心の澱を沈めて、この世の善き成り立ちを思い出させてくれる随一の作品だと思っています。

特にシリーズ参エンディングの中孝介の唄はすごくいい! 「!」と書きたくないほど穏やかで胸に落ちてきます。何が落ちてくるのだろう、わからないけれど何かが長い時間を超えて手繰り寄せられて落ちてくる感じです。
これは、唄を聴いただけではたぶん感じ取れません。話の終わりに、夏目の心を引き継ぐように流れ始めるのがいいんです。

さて、このゴールデンウィークにアニマックスで一挙全回放送するのだとか。どうしようか⁉︎


田舎に暮らすと・・・

なぜか今自分のPCではgoogle chromeで見ると写真が表示されないので、同じ現象の人はIEで見てください。


しばし都会を抜け出して、緑なす山間の村へ古家の様子を見に行った。

と書けばちょっとカッコよさげだが、ここはそれほど都会ではないし、古家があるのは多少田舎と言えなくはないが、ムラではなく一応「町」である。
気分は冒頭の通りなんだから善しとしよう。
少なくとも、ここよりは窓外の緑と空の量が圧倒的に多い。

古家は、いずれ改築して住みはじめるのだが、まだ空き家のままにしてあって、月に一度は風を通しに行く。窓という窓を開け放ち、しばらく風を通すあいだに、庭の草取りをする。
草取りと草刈りは違うのだそうだ。
草取りとは根っこからとってしまうこと。草刈りは根っこを取らず、茎の途中で切ってしまうこと。You Tubeで信州鎌の使い方をレクチャーしているおじさんが言っていた。鎌で根っこ近くの地上の部分を刈り払うテクニックを教えてくれる。一方で、同じ鎌を使うのだけれど、地面をこするように根っこから刈り払うところも披露してくれた。これは草取り。時間がかかって大変らしい。

それはさておき、この時期、田んぼの風景が緑から黄色に変わりつつある。
こんな風景が窓から見えるのがいい。今の暮らしには無いので、郊外に住む人には当たり前の風景が、私たち夫婦にはとてもうれしい。
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家の裏手には今は住んでいない古い小さな平屋があって、その庭にはソメイヨシノらしき桜と八重桜が1本ずつあり、その葉の間から百日紅のピンク色の花が夏中見られる。春の桜も嬉しいが、これも嬉しい。
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古家の庭では、いつ来ても何かが咲いている。前回は夏のヤマユリだったが、今回はタマスダレ。クロッカスに似た花だが、それよりも和風な感じの花だ。木の根元近くに一輪だけ咲いていた。いかにも和風の佇まい。
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玄関前のコンクリート上に小さな緑のものがゆらゆらと動いていたのを危うく踏むところだったが、カマキリ君である。
なにゆえカマキリはゆらゆら身体を揺らすのか?風に揺らいでいる木の葉を擬態しているとか、臨戦態勢で威嚇しているとか言われているが。
こいつのアップ写真を撮ってみた。地面にデジカメを置いて、モニターをほとんど見ずに(地面に顔をこすりつけるように這いつくばるのは嫌だったので)何枚か適当にシャッターを押した。
昆虫の目に目玉があるなんてあまり意識したことはなかったのだけれど、こいつは右も見るし、左も見るのだということがよくわかった。
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この季節は、田のあぜ道や土手に彼岸花が列をなしている。
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いわゆる名所というほどではないけれど、少し足を延ばせばこういう景色も手近に見られるのも善い。

若い頃、奈良の山野辺の道を一日かけて歩いたことがある。季節はちょうど今頃で、やはり彼岸花が行く先々に列をなしていた。そのころ詠んだ俳句は今でも覚えている。造語はあまり良くは無いらしいので「プレバト」なら「才能無し」と一刀両断にされるかもね。

山野辺の 無限道標 曼珠沙華

改めて書くと漢字だらけだな、これ。


カワセミ ペーパークラフト


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先週、胴体を作り、今週、頭部と脚を作って完成.

これで2体目.最初のものは紙で作った木の枝に留まらせて、その木の枝を土台に固定した.この鳥が好きだという妹に譲ったが、やはり自分も好きなこの鳥を手元に置いておきたくなって、いつかそのうち作ろうと思っていた.
今回は、とりあえず本体だけ作った.いずれは本物の木の枝に留まらせようと思う.

本物そっくりの鳥のペーパークラフト作家さんの展開図がFreeでダウンロードできるので、ありがたい.

ペーパークラフト ゲド戦記の竜


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ずっと前に作りかけてしばらく眠らせていた「ゲド戦記」の竜のペーパークラフト作りを再開した.
といっても、胴体も四肢もできていて、あとは翼だけだったので、本日5時間ほどでできあがってしまった.

ずっと前にペーパークラフトBOOKとして買っておいたものを去年くらいから作り始めて中断していたのだけれど、この三連休に疼いてきて久々の手仕事となった.

それにしても、この展開図を設計して本にした人はすばらしい.鱗一枚ずつというわけにはいかないが、竜のごつごつした感じがよくできている.身体のうねりには針金を芯に使っている.
この本はもう売ってないようだから、中古で探すしかなさそうだ.

この映画を見たことがある人は知っていることだけど、この竜は悪者じゃなくて、主人公の少年と仲がよくなる少女が化身したものだ.少女が竜になるって、なんとなく違和感があったけど、この姿には邪気がなくで凛々しい感じがする.座った姿のカッコよさに惚れて作りたくなったという次第.

全身像はこちら.

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これも部屋に陳列しておくことはできない.猫の餌食になってしまうので.しばらくはクローゼットの中に棚に鎮座させておく.

実は、このBOOKには、飛翔体の展開図もある.座った姿は30cm×37cmとまあまあこれでも大きいが、飛翔体は、頭の先から尻尾の先まで100cm、翼を広げた幅は80cmとかなりでかい.これはまたいつか作ってみよう.作ったら天井から糸で吊るしておかねばならないので、今作るわけには行かない.

小さなお店 マルシェで繋がる


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最近、「市」に出かけることが多い.
マーケットとかマルシェとか朝市とか、いろんな呼び方があるけれども、最近、そういう出店イベントが増えているらしい.
近くでは、「勝川弘法市」が毎月第3土曜日に開かれる.
勝川商店街が遊歩道になって、入口からずっと屋台が並ぶ.
事の始まりは、ここで美味しいコーヒー屋さんを見つけたことである.
Sunday Coffeeさん.
手回し焙煎のコーヒーは香りも味も素晴らしい.
僕とカミさんの好みによく合う.特にカミさんが惚れ込んでしまったので、それ以来、追っかけている.
Sunday Coffeeさんは、市に出店するのが基本で、お店が無い.次はいつどこに出店するのかを毎回確認して、それまでの間もつ量の焙煎豆を買わせていただく.

3度目に訪ねたのは、「フェアトレード・ツキイチ・マルシェin NAGOYA TV TOWER」だった.
コーヒーをいただくだけではなくて、他の出店も見ていたら、焼菓子やパンのお店もあって、岐阜から来たという「焼菓子○Jour」さんのガレットやグラノーラを買って食べた.良い素材を使った安くて美味しいお菓子は、記憶に残った.

カミさんがひとりで行ったビーガン祭りで見つけた「ピタゴラスイーツ」という卵もバターも使わないお菓子を出すお店も最近のヒットで、普通にケーキ屋さんで売っている焼菓子よりも味わい深くて美味しかった.神宮西のお店に行ってみたり、お持ち帰りを持ち帰ったりして楽しんでいる.
そのお店が東別院の朝市に出店するというので、行ってみた.残念ながら、出足が遅くてお菓子は売り切れだったけれど、他のお店を楽しむことができた.O-Coffeeさんというコーヒー屋さんのコーヒーも美味しかったし、Dolceという岐阜から出店されていたお店の焼菓子やキッシュもしっかりした濃い味で美味しかった.外で食べる開放感も手伝ったのかもしれないが、ここの市も多くのお店が手作り物や玄米菜食系だったり、無農薬野菜系だったりと、善いものを手間暇かけて提供していた.

最近の市、マルシェ、マーケット、朝市、といったイベントは、質の良い本当の食べ物を味わうことができて、目から鱗である.

そして、面白いことに、そういうお店が繋がって進化している.我々も買う側ではあるけれど繋がらせてもらっている.

Sunday Coffeeさんが月一のマーケットに出店しているMondというフェアトレード商品のお店に出かけてみたところ、「焼菓子○Jour」さんも出店されていた.前はお菓子やグラノーラを買うだけだったけれど、手作りアイスクリームに手作りグラノーラを2種類かけ放題で出してくれた.これは絶品だった.Sunday Coffeeさんのコーヒーも一緒にいただいて、互いの味がひき立てあって、幸せなおやつタイムを楽しめた.
それに、岐阜の無農薬野菜の農園からも野菜の出店があって、こちらも善いものをお値打ちに買わせていただいた.
小さなガレージに幸せが一杯詰まっていて、とても得した気分だ.

単に、善いものを美味しく(しかもお値打ちに)いただけるというだけではなくて、出店者の方との会話も楽しいし、他のお客さんとも会話を持てる.喫茶店やレストランに行っても他の客と話すことはほとんど無いが、マルシェではなぜか話ができてしまう.そのお店の良さを互いに共有できるからなのだろう.月に一度しか出会えないお店を目当てに訪れたという共通項が、見ず知らずの他人でも会話を成り立たせるということだ.出店側のお兄さん、お姉さんも皆出店自体を楽しんでいるし、笑顔で迎えてくれるし、謙虚だけれど芯があって見るからに人生を楽しんでいるようで、そういうオーラに触れるだけでも幸せな気分になれる.
皆僕らよりも若いけれどもしっかりと自分を楽しんでいるように見えて、こういう人たちが増えているとしたらとても嬉しい.

皆さんFacebookページを作っていて、どのイベントに出店するかという情報を発信しているので、僕はそれをチェックして出かけていく.インターネットは情報伝達手段としてとても便利で、彼らもそれを利用している.でもそれは、「お知らせ」の手段であって、ネット上で繋がるということではない.彼らは彼らの動線でいろんなイベントに出店し、僕らは僕らの動線でいろんなイベントを訪れて、そこでリアルな動線が繋がる.
今はまだ単純な図形なのだけれど、これから動線が増えて、それらが絡み合ってリアルなネットワーク図形を描いていく予感がする.

お店をもたない、小さなお店とマルシェで繋がる.