直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

2010年02月の記事

これから読む本

ふつうは、本を読んでからレビューを書くのだけれど、図書館で借りてきた未読の本をとりあえず紹介します。

・橋元淳一郎「時空と生命」
 本屋で新書の新刊で「時間はなぜ取り戻せないのか」という本を見かけて、興味を持ちました。時間の謎を解き明かす鍵は、生命の“意思”にあり、「意思とは何か?」ということが書かれているようです。生きていることと「時間」についてはこれまでの記事でも書いたようにとても関心のあるテーマなので、自分の考えていることが裏付けられるのかまたは修正をせまられるのか、非常に興味があり、買おうかと思ったのですが、一応図書館にあれば借りてみようと思って思いとどまりました。図書館には、同じ著者の別の本があり、内容は同じようなことだったので借りてきました。物理の式がでてきますが、自分も物理学を専攻していたはずなので、一応。トライしてみます。

・埴谷雄高「死霊」
 はにやゆたか と読むのだそうです。恥ずかしながら借りて知りました。池田晶子さんが師としているみたいだし、「死霊」は読んでおかなくてはならないみたいだったので、ふと思い出してまず第一巻から借りてみました。さてどんな内容だろう。わかるかしらん。

・鶴見俊輔「言い残しておくこと」
 図書館の新着図書コーナーにあった少し厚い本です。鶴見俊輔氏の本は読んだことがあるとしても一冊ぐらいか、あまり覚えていませんが、何となく、ためになる提言が書いてありそうだったので借りてみました。

さて、まずは2週間の期限内にどれだけ読めるでしょうか。それにまだ読みたい本があります。会社の先輩に教えてもらったサイモン・シンの「宇宙創成」です。これは文庫本化で改題したそうで、もとは「ビッグバン宇宙論」という本です。これなら図書館にあったのに「宇宙創成」を探してなかったのであきらめましたが、同じ本と知ったのはついさきほどのこと。こういうことってありますよね。ま、あとでゆっくり読みなさいということでしょうか。

それより前に取り急ぎ、会社で借りた本を読んでレビューを書く宿題があるのです。「研究開発マネジメントの強化書」という本で、こてこての真面目本ですが、つらつら読むとなんとなく面白いので、あとで会社用の面白くないレビューを掲載したいと思います。

ああ、それにしても本を読む時間と、読みたくなる雰囲気がほしい、圧倒的に。
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死ぬまで向上心

2月20日に誕生日を迎えて47歳になった。このくらいの歳になると、会社では、現場で知恵を出す若い人達に対して、自分はもう頭が硬いから君達いい知恵を出してくれよと言うような年代である。
こんなことを言うのを50代の人が聞けば、君はまだ若いのだから頑張ってくれよと言うし、30代の若手が20代の新人達に向かって同じようなことを言うのを稀に聞くことがある。どうも人は自分より若い人に、自分の方が脳をより長く使って来た事を自慢したいらしい。

いやしかし、本当は年齢がいくつになっても頭柔らかく進化し続けたい。

先日、同僚が飲み会の席で彼の部下に向かって「僕は申し訳ないけれど自分を変えられないから、それで困るなら、僕はできるだけいない時間を作るようにするから、その時間に君達がいいと思うようにやってくれ」と説いていた。彼は部下に厳しく、時には自分の主張を押し付け、部下の意見を押さえつける、または部下がものをいいづらい雰囲気にしてしまうところがあり、本人もそれを気付いているものの、いざその時になるとストレートな自分の主張と気概をコントロールできないのだろう。それで先ほどのようなことを言ったようなのだ。
一見それはそのような上司としては理解があり、よい思いつきのように聞こえる。いくらかはそれで状況が良くなるかもしれず期待したいところだ。
ただ、彼にとってそれは善い事ではないと思う。まだ40代にも拘らず自分はもう変えられないと思い、それを公言してしまう。口に出せば本当にそうなってしまうのに。年をとれば頭は固くなり(脳が柔軟性を失い)、自分の行動パターンや言動パターン、考え方、感じ方もろもろのことを変えられないと思い込み、宣言して自らその「迷信」に嵌ってしまう。確かに経験の影響は大きい。良い意味でも悪い意味でも過去の経験が自分を作っているのだ。しかし、だからといって今の自分がこのまま固定化される保証はなく、今からでも新鮮なる経験、それを求める行動によって変っていかない理屈は無い。人は「求める」ことによって事象を引き寄せ、新情報と新体験を得てシナプス網を改変し続ける。「求める」、「アンテナを張る」いろいろ言い方はあろうが、この心の志向性さえ意識すればよいのだ。自分はこういう人間だから、と言ってしまってはおしまいだ。そこに留まろうとするのは、時間を止めることに他ならない。生きるのをやめるのか。生きるということは時間とともにある、ということであり、時間を生きるということは、変るということだ。人は死ぬまで生きる存在で、変り続ける存在だ。
言うのは簡単だがそんなに簡単なことではないのは承知している。だからこそ、意識することが肝要なのだ。自分を「今ここ」に引き留めない生き方を目指したい。

フィギュアスケート男子悲喜こもごも

バンクーバーオリンピック フィギュアスケート男子の結果については、新聞、テレビ、ニュース、ネット上で書きつくされているだろうけど、それらの中から興味をひいた話を書きます。

メダルには届かなかったけれど7位入賞を果たした織田君の靴ひも切れアクシデントの話題。演技後の本人へのインタビューで明かされた事情でなんとなく納得したつもりでしたが、いろんな人の意見があります。
本番前に切れたひもを新品に変えずに応急処置的にくくった理由として、感覚が狂うのを恐れたことを本人は証言していますが、そんなに違うものか?という非経験者の疑問に対し、元バレーボール選手の川合さんは、スケートのくつひもは皮製で、使い始めは硬くて徐々に水分などを吸って柔らかくなってくるので感覚が違うというのはわかるという主旨の説明をされていました。素人としては納得するしかない内容だったので、織田君の判断は致し方なかったとその時は思いました。
伊勢-白山 道のリーマンさんは、ブログで、彼は「げんかつぎ」をしたと感じたと述べています。げんかつぎとは、自分で先入観を造り、その規則で自分自身を「縛る」行為です、と説明しています。生まれながらにして別世界を感じてきたというリーマンさんの感覚は正しいのでしょうが、織田君のほんとの事情はもっと複雑かもしれません。初めてのオリンピックで試合直前にくつひもが切れた時点で動揺があったでしょうし、冷静な判断ができなかったのでしょう。想像でしかありませんが、今までの長いスケート競技経験のなかで、くつひもが切れても応急的にくくっておけば急場はしのげるという実績があったのかもしれません。
そんなことを考えていたら別の情報もありました(例えば、高橋大輔に負けた娘さんのブログ)。3位の銅メダルを獲得した高橋君の話です。彼も前日にくつひもが切れそうで不安だったとのこと。しかし、あとでコーチが「それなら昨日新しいひもに替えておいた」と言ったとのこと。試合のすべてが終わってからの話だとすれば、高橋君はくつひもが新しくなっていたことに気付いていなかったことになるし、コーチも、そのことはあえてなのか試合前には言わなかったことになります。じゃあ、高橋君はくつひもの新旧では感覚はあまりかわらないんだ、ということです。
靴ひもに対する感覚の持ち方が織田君と高橋君で違うということなのでしょうか、実はたいしたことではないのに織田君が冷静でなくなり「げんかつぎ」をしてしまったのか、といろいろ疑問が湧いてきます。真実はよくわかりません。ただ、結果的には高橋君のコーチが偉かった。
カミさんが得ている情報では、フィギュアスケートの選手の靴の管理はコーチがするものなのだそうです。ブレードを磨くのもコーチの責任だそうです。くつひもの状態を確認するのもコーチの役目なのでしょう。だとすれば、高橋君のコーチは実に当たり前のことを当たり前にやっただけとも言えます。この当たり前のことが確実にできるということは信頼関係の基礎になります。大怪我をして手術、リハビリを乗り越えて復帰してきた過程で高橋君のコーチに対する信頼は揺るぎなかったし、コーチの高橋君への信頼も確かなものだったことは、この一年弱、何度も何度もテレビ番組の特集で取り上げられた彼の復活物語の中であきらかです。そして、今回の前日のひも替えにも、信頼たるべき行為があったことが、小さなことかもしれませんが確認できたのではないでしょうか。このコーチだったからここまで来れたと思えてなりません。

そのほかの話題として、政治家の方の中には、国からお金を出して(国民の税金で)行かせるのだから、楽しんでくるなんて感覚で行ってもらっては困る、メダルを取ってこいみたいなことを言われる人がいます。百パーセント否定はしませんが、当然本人たちはベストを尽くし、少しでも上にいけるよう頑張るに決まっていますから、そのような「決めつけ」に近い言い方は発言として相応しくないと思いました。出場を決めた選手の中には、インタビューに答えて「楽しんで演技をしたい」と言う人もいました。けれどもその意図は本当に楽しみたいということではなく、「楽しむ」くらいの究極的な緊張とリラックスのバランスと自信によって演技しなければ最高のパフォーマンスを得られないことを知っているから、自己暗示にかける気持で言っているに違いありません。
ちなみに、いつかニュースの中で、選手の育成にどれだけお金をかけているかを国別に紹介しているのを見ましたが、日本は決して欧米の主要国ほどお金をかけていません。予算の出所、目的など正確には覚えていませんので、これがすべてを物語っているとは思えませんし、一例として受け取りました。いづれにしてもその報道によれば、トップはドイツで、日本はざくっと十分の一くらいでした。現金な話、投資額とメダルの数が比例するなら、日本はドイツの十分の一でも仕方ありません。韓国では、メダルをとると、メダルの種類や数などによって額は違うようですが、一生、年金が出るそうですし、徴兵も免除されるとか。それぞれの国によって事情は違うので、育成資金やご褒美だけでは選手のやる気の度合いは測れないものの、ただ、お金を出してるから金メダルを取れという短絡的な物言いは、お金出して塾に行かせているのだから一流校に合格しなさい、オール5とりなさいと言ってる受験生の親のようなものです。ま、しかし、国のスポーツ関連予算は、その目的が必ずしもオリンピックやワールドカップで優勝できる選手を育てるとは限らず、むしろ、国民全体の健康増進とかあるいは文化的な側面が大きいのかもしれません。これを議論するにはきちんとした政府の予算資料の分析が必要になりますので、こんなところではまともなお話はできません。
スポーツにしても芸術にしても、まずは小さいころから経験する人が多いかどうかという裾野の大きさが効きますし、その中で優秀な子を見出して強化していけるだけの目利きコーチや師の存在と強化できるシステムがないと国としての水準を上げていくのは難しいのは素人でも考え付くことです。しかし、実情は多くの場合、最初は自腹です。クラブや教室の運営も民営である以上、経済事情に運命を任せるしかありません。高橋君が子供のころスケートの練習をしていた倉敷のアリーナも存続の危機があり、地元の親たちの出資や高橋君の応援などもあってなんとか存続しているのだそうです。名古屋の大須のスケート場も経営はどうなのか心配になりますが、幸いなことに今のところ危機的状況という話は聞きません。クラブが多く盛んな地域はよいのでしょうが、そうでない地域の方が多く、自主的な活動に任せている状況では、オリンピックの時だけ国のためにやれというのは虫がよすぎると思ってしまうのです。
だんだん愚痴っぽくなってきましたので、このへんでやめときます。

テーマは無し

アメリカ出張や体調不良でご無沙汰である。
一週間弱のアメリカ行きでかなり疲れた。時差ぼけとの戦い。もちろん、帰国してからの数日も含めて。
あたりまえなことだけど、自分の体は自分の思い通りに動かない。この期間にしみじみと感じた。
病気もそうである。けだるさや眠気、のどのいたみや不快感。こういうものは意識で何とかなるものではない。
もうすぐ花粉症の季節だ。毎年のことだが、今年こそは奇跡的に快癒していてほしいと願う。
生体は動的平衡を保っているから、体調不良も長期的な平衡がふらつきのどこか一ポジションである。変化はゆっくりだから、時差への対応も風邪ひきも花粉への反応も徐々に起こり徐々に治まる。それを一日や一時間で変われというのが無理な話だ。時差ぼけはともかく、体調の変化には日頃の体の手入れの影響が大きい。スポーツやトレーニングやヨガなどを続けていると環境の変化や疲れ(負荷)に対する耐性も上がってくるので、世の多くの人が日課にしているわけである。かくいう私も週一ヨガをやっているのだが、週一では少ないのだろう。インドでは朝6時ごろすでに公園でヨガをする人達が多いという。健康ブームという言葉もあって今は流行らないのかまだ続いているのか知らないが、皆がやっているからというのでなく、まさに体の手入れの大事さを身をもって感じるこのような状態だからこそ「明日から始めよう」という気持ちになる。大事にしよう。ここに書いたことも背中を押すだろう。

ところで、このところの読書の状況はというと、
神谷美恵子「生きがいについて」は半分程度読んだが、図書館で予約者がいたので再度借りることはできず、結局、良い本だと思うので買うことにした。たまたま行った本屋にあったので神の声と感じて買ってきた。買ってきたので本棚行きとなって今止まっている。
ダニエル・デネット「心はどこにあるか」を借りてきた。アメリカ在住の哲学者の本で、東洋経済かなにかの書評で別の著作の紹介があったので、彼の著作のいろいろを調べるうち、図書館で借りられるのを借りてきた。
「人を助けるとはどういうことか」という本を買った。これも海外の著作である。居丈高な意味ではなく、すべて人は他人とかかわる限り、支援をしたりされたりの関係に必ずなる。そのダイナミクスを心理的に考察し、よりよい支援関係を持てるための(たぶん)心得を理解するための入門書のようだ。例えば、会社でいえば、部下が上司に相談に来た時は、上司は部下の支援者であり、支援者と考えた場合の対処の仕方があるというわけだ。それは、継続的な人間関係に大きく影響することだから、心しておかなければならない。
そのほか、いくつか地球温暖化(反対論)関係の本も読みつつある。この世界のことはよくわからない。

またまた、ところで、オリンピックは面白い。どのような結果であってもだ。
フィギュアスケート男子は贔屓の高橋君が銅メダルをとってめでたいが、4回転に挑戦した事が一番うれしい。失敗しても演技全体は最高の出来だった。前にも書いたが「道」の曲が素晴らしく、それに合わせた振付けが素晴らしい。それを完全にものにして仕上げた彼の努力とセンスに拍手したい。さて、来週の女子はどうなるか楽しみは尽きない。
カーリングも見ていると面白い。

以上
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