直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

2010年06月の記事

フランツ・リスト著ショパン その生涯と芸術 完了

このブログを始めたころに取りかかっていた古書の全文打ち込みが漸く完了した。
フランツ・リスト著 亀山健吉、速水冽共訳 ショパン―その生涯と芸術―
あのリストが、ショパンのことを書いた、というだけで読みたくなって、ネット上の古書店で見つけて購入したその本は焼けシミが酷く、乱暴に扱ったら崩壊してしまいそうな状態だった。
そこで、マイクロソフトWORDに打ち込むことにした。

好きな人なら差し上げてもよいと思っている。
すでに、会社の同じ大学出身者の集まりの宴会で近況報告で話をしたら、若い後輩が読みたいと言ってくれたので早速メールで送った。

スキャナで採ればよいのにと思われるかもしれない。しかし、いちいち旧仮名づかいの文をタイプしていくその行為が癖になってしまったのだ。休日になると、コツコツと2,3ページづつ進めていく。その非日常の行為に忘我の時間を過ごす。
ペーパークラフトに集中するのに似ている。集中することは日常をひと時忘れることだ。そこに精神を苦しみから一時解き放つ秘訣がある。「日常」については平野啓一郎さんが「葬送」の中で語っている場所がある。それは別の場所で紹介することとしよう。
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高橋大輔君の演技に神を見た

金スマに高橋大輔君が出演し、フィギュアスケートを始めた時からの半生をVTRにまとめて解説していた。最後には、やはり、先般のオリンピックと世界選手権の演技の一部を流した。
フリーの演技の「道」
編集の関係で飛ばし飛ばしであるのに、その音楽と踊りの映像を目にすると瞬間に感激モードに入った。映画「道」の悲しい物語やその情景をバックに、それとは少しは異なるものの、物悲しいジェルソミーナのテーマ音楽から感じられる憂愁と懐かしさ、そして高橋君の音楽にぴったりあわせた踊りのフィット感がその憂愁さを助長する。そこに神を見たとしか言いようがない。
ほんの10秒程度のテレビの画面から感じたその想いは何だろうか。特別な宗教や教義や何かではない日常のふとしたことに神を感ずるという伊勢白山道のリーマンさんにいうことが少しわかった気がする。
その感覚は、まさに自分の中にあった。自分の中に神があると言わざるを得ない。
だから、人間なのか。わかった気がする。

モノに踊らされる

最近、モノに踊らされていることを強く実感している。
例えば、携帯電話。
リビングに置いている飾り台にいつも携帯電話を置いていたが、この台を倒してしまった。
携帯電話が先に落ち、その上から台が倒れて角が当たり表のガラス?部分が割れてしまった。
電話、メール機能に支障はなかったが、割れた部分で放電するせいか、充電しても早く電気が消耗するようになった。これでは使っていられないので、否応なく新品に機種変更した。このことは先日書いたが。
ほとんど受信用にしか使わないので、新品も一番安いものでいいやと考えて買いに出かけたが、結局、長時間かけて物色し、気に行ったモデルを買うことにした。
次に、昨夜パソコンを使い、設定変更をしたため再起動を行うと、全く反応しなくなった。立ち上がらない。ファンがまわっていないようで埃を払い、しばらく冷却したが駄目だった。翌朝もう一度トライしたら動くかもしれないと思って布団に入ったが、どうも、そのことが気になり、夢にまで見た。

たかが、携帯電話、たかがパソコンである。生き死にの問題ではないが、なぜ心を捕らえ縛るのか。
いや、数万円以上するモノの不具合に真剣になるのは当然と考える向きもあろう。しかし、もっと大事なことは他にある。これらのモノに対する執着に費やす時間、その間、自分は他への関心、想いを明らかに疎かにしている。

通勤電車がホームに入ってくる音がするので、走って乗り込むというのも、踊らされている、という人がいる。モノやコトに踊らされ、待つことや「仕方が無い」「そのうちやればいいや」という自由な心の余裕が無くなっている。社会は問題だらけで、みんなが「もっと考えなければいけない。考えさせられた。」のオンパレードであるが、そんなに考えなければいけないことが多いと考える時間もない。会社の仕事も余裕が無い。機械のように働いて心が死にかけていないか。そんなことばかり考えては、いつもやはり考えなければならない。

お酒を飲んでも、真面目に議論している。こんなに考えるのは人間の性なのか。
シンプルに生きたいと思うが、それができないのは世の中の有様のせいではなく、自分の心の持ちようなのか。

夢とは

人生の夢とは
何か遥かな、そして尊い、かつ、頑張れば実現できそうな目標
それを達成した暁には深い満足感と一目おかれる存在感とを得られる
そんなようなもの?

自分には夢が無い
夢ってなんだ
なぜ他者は夢を持ち夢を語り夢に向かって行動することができるのであろうか

電車の運転手になるのが子供のころからの夢だったという中年のサラリーマンが念願かなって運転手になるという映画もあれば、実話としてそうなった人が一人ならずいると新聞に書いてあった。会社役員に近い人でも、その高収入を捨てて一からやり直すようなものだ。

電車の運転手になりたい、そう子供のころ思うことができた人は幸せである。
医者になりたい、そう子供のころ思うことができた人は幸せである。
床屋さんになりたい、そう子供のころ思うことができた人は幸せである。
サッカー選手になりたい、そう子供のころ思うことができた人は幸せである。

僕は、大人になるのが怖かった。大人になるということは、仕事を持つということだ。
仕事を持つということは、毎日、朝から晩まで働いて、お金をもらうということだ。
お金をもらうということはすごいことだ。働いたことに価値がなくてはならない。
自分が、お金をもらえるような価値を有する仕事をすることが果たしてできるのだろうか、そういう怖がりようをしていた。どうしてそのように考えていたのか今でもわからない。

実際には会社に就職して言われるままに作業をこなし、だんだんと慣れてきて、少しずつ、言われなくても自分で考えてやることを覚え、そのうち、部下を任され、仲間が作ったプロトタイプを顧客に買ってもらうよう説得し、説明し、それらが半導体製造装置の中で最も重要な場所に使われて、最後はインテルやサムソンや東芝の半導体工場の数千億円という投資の対象としての装置の一部に採用され、結局、iPodや携帯電話やパソコンやゲーム機の部品の一部を製造することのお役に立つようになった。そのような仕事のあとは、新しいものを開発する立場になって、いつも、何をやっていいのかと迷いつつ、提案しては失敗し、それでも新しい挑戦を続けている。
これがお給料をいただける仕事なのか、ときどき思う。子供のころの感覚に戻ると恐ろしくて年収決定通知など見れないはずだが、もはや感覚はマヒし、少しでも多くなることを願うこのごろだ。

こんな人生は夢などというものとは最も遠い。

思い出したことがある。会社に入って2年目のこと。新入社員の一人が、部の歓迎会で「新しい商品を開発して事業を立ち上げたい」と実にまともな元気な抱負を述べた。今にして思えば、普通の新人の意気込みだ。しかし、僕はその彼を含めて行った2次会の居酒屋で、「おまえ、よくそんなことが言えるな。責任がもてるのか!」と彼に言った。真意は「君はよくそのようなことを言える気持ちの強さがあるな。僕には怖くて言えないよ」という気持ちから出た言葉だが、言い方が悪かった。彼は怒った。当たり前だ。今の僕がそんなことを言う奴を前にしたら馬鹿野郎と言いたくなる。しかし、当時の自分は臆病で融通が効かず、仕事の価値と自分の存在意義をうまくとらえることができていなかった。その極致であった。

さて、今、自分はこの先どんな夢を持って生きているのか。
会社は定年まで勤めるだろう。退職したら何をしたいのか。
夢、というと何かクリエイティブなことをしていなければならないと僕は規定してしまう。
従って、定年後に何を生み出したいと思っているのか。
それが無い。
そして、無いことが悪いことなのか、それでも構わないのかわからない。
誰が決めるのか、夢の有無の善悪を。
他人じゃない。
他人なんか関係ないはずだ。
僕が僕の生き方の基準であり、将来を考えて生きるのが良いことなのか必須なのかさえ自分で考えて善いことのはずだ。
今、考えることが楽しい。
それでいかんか?
そういうことだ。
夢は語りたい人が語ればよい。ああ、それは素敵なことですね。
でも僕はそんな気分にはなれない。なぜなら、夢を語った瞬間、その夢に決めた理由とそれ以外の数億万以上の選択を捨てた理由を自分に納得させねばならないから。そんなことは不可能だ。明日、もっと面白そうなことに出会うかもしれないではないか。それに仮に夢と語ったものが、夢に見た通りのことなどほとんどありえない。何の気なしに始めたことがものすごく面白くなってついにプロの域に達し、気がついたらカリスマになってたなんてことが無いとはいいきれない。人生の先のことは空欄にしておくのが一番善いのではないだろうか。
夢として一つ事に目標を決めてしまって生きるのは実は楽なのかもしれない。馬鹿になってそれにまい進すればいいのだから。集中すれば人はなんでもできてしまう。
自分はそれを善しとしない。それは、つまり、裏を返せば欲張りということかもしれない。
それは今日、携帯電話の店で、どの機種を選ぼうかと、そうとう長い時間端から端まで手にとってはカタログを確認し、何度も往復しながら、いろんな基準で考えて最も買うのにふさわしい機種を絞り込んでいったその工程と同じだ。人生では、自分が何をするのが一番よいのかを、そのようなやり方で選び取るのは絶対に不可能だ。だから、選ぼうとすることを初めから投げているのである。とりあえず選んで、しばらくしたら機種変更すれば善いのかもしれない。けれど、人生の機種変更はそんなに簡単にはいくまい。夢SHOPなんてものがあるわけないのだから。

和洋風館のフレンチ

名古屋市東区主税町にあるRestaurant Dubonnetというフランス料理店に行った。外国人のお客様の接待ではあるけれども。ここの町名は「ちから」と読むので面白い。大石内蔵助の息子の名前と同じである。
このレストランは、旧春田邸といって、大正14年に陶器貿易商の邸宅として建てられ、名古屋市の文化財にも指定されている館とのこと。門から玄関までの石畳や灯篭など風情がいい。ここで一人9000円のディナーコースをいただいた。接待ということもあり、十分に味わいながら食べることはできなかったが、魚介類、肉類、野菜をバランスよく配し、ひとつひとつのお皿は必ずしも多くない量で、前菜が3回にわけてでてくるなど、趣向を凝らしていた。総じて美味であった。こういうコース料理は若いころ夫婦やあるいは小さかった娘も連れて年に何回か巡っていた記憶があるが、ある一定以上のお店になると、どこが美味しいだの、あそこより良かっただの味の比較はもうあまり意味が無くなってくる。ただ、そのお店で特に気に入った料理があれば、長く記憶に残ることがあり、総合判断というより、それがあったかなかったかでもう一度行きたいかどうかが左右される、そういうものである。だから、今回のレストランは、会話に気がそがれ、料理の味わいに集中できなかったので本当に残念だ。
部屋はそれほど大きくなく、むしろ8名でついたテーブルは少し狭いイメージもあったが、席の近さが8名での和やかな会話に役立った。個室でよく落ち着けた。

このような旧館や和風の古い建物を利用した洋食レストランは、調べてみると結構多いようだ。東区でフレンチレストランを検索してみると、いくつかは同じような和のテイストの建物であった。落ち着いた雰囲気が好みの人にはお薦めだろう。続けて、どのお店が評判なのだろうといろいろなサイトを見ていると、ある元イタリアンシェフの食べ歩きブログを見つけた。名古屋を中心に相当多くのお店を訪れ、写真とともに味の説明と感想を載せている。元シェフということもあってか、食材やソースの味付けなどの説明は素人よりも詳しい。この方のお店の評価点と総合評価を読んでいくと、ついつい、他人の評に頼ってしまう自分の癖に気がついた。ある程度は参考にしてもよいだろう、彼の評も主観であり、味わいのルーツは人それぞれ違うのだから、あまり当てにしない方がよいのではないかと考え始めた。さらに、グルメ評の中で、残念なコメントをしているのを見ると、その残念さがどの程度「美味しくない」のかが伝わらないし、もしかしたら自分であれば美味しいとおもうかもしれないし、だんだん、評する態度そのものに嫌悪とまでは行かないがそれこそ残念な気持ちを覚え始めた。
値段で判断するのは間違いかもしれないが、ディナーで5000円以上もするコース料理に美味しくないものは無いはずだ。本当に美味しくなければすぐに潰れるだろうし。そこそこのレベル以上であることはおそらく間違いなく、そのような料理に、味が若干薄いとか、スープが洗練されすぎとか、普通の味、とか、無理やりケチをつけなければいけないようなコメントは心を貧しくするだけではないか。普通って何?と突っ込みたくなる。
味覚は体調によっても、人によっても違うのだから、あくまでその評人のその時の状態でたまたま感じた感想だと思って読む以上のことは無意味であろう。
今、この時代、まずいものはほとんど無くなった。自分が子供のころは確かにまずい料理があった気がする。けれども、今はどのお店で何を頼んでも、基本的に美味しいと僕は正直思う。ファストフードもしかり。
だから、あとは、ボリュームと店の雰囲気と店員さんの物腰や親切さ、そういうところが人気あるなしの分かれ目なのだと思う。忘れてはならないのは、相手がそれで飯を食っているプロであるとはいえ、料理をしてくれて、テーブルまで運んでくれて、腹を一杯にさせてくれることには本当に感謝しなければならず、ありがとうと言ってお代を支払うというのが正しい人間の営為ということである。
とまれ、普段の家での食事が基本であり、毎日、違ったメニューを考えて何種類ものオカズをこしらえてくれるカミさんにまずは感謝である。そして雰囲気を変えるのと、料理・後片付けをしなくて良い日をプレゼントするためにたまに家族でレストランでお食事というのを続けていきたいと思う。僕だけが会社のお陰でいろいろなレストランで食事をさせてもらってることの罪滅ぼしももちろんあります。

芸術の感じ方

平野啓一郎さんの「葬送」で語られるショパンのパリでの最後の演奏会の様子。
実際に聞いてみたいと思わせる文であった。演奏の様子の描写に感嘆する。

演奏の休憩中に彼の芸術論が語られているので紹介したい。それは、ショパンが舟歌を弾いた時に、自分で指定したフォルテを無視してピアニシモで弾いた、そこに感動し、それに気がついた婦人が分析的に嬉々として話すのに対し、ドラクロワの口を借りて次のように述べている。

ドラクロワは、そうした部分をことさらに取り上げて、したり顔で議論するピアノの練習生めいた会話に少しうんざりした。彼とてあの比類なく魅惑的なピアニシモを前半のプログラム中の特筆すべき個所だと考えていた。楽譜は見たことはなかった。けれども、以前に同じ舟歌の演奏を聴いた時の記憶と曲の展開が齎す昂揚への期待とから、その演奏がいかに意外で、しかも効果的であったかは、十分に感ぜられていた。それを話題とすること自体は構わなかった。しかし、その感動の秘話を、単にそうした分析的な発見にのみ短絡させて語ることを彼は嫌っていた。なるほど、煎じつめればそうであるには違いない。しかし、芸術が偉大であるのは、およそ技術上の知識を持たぬ人間が、最も技術的な工夫によって感動を与えられることである。問題はその仕組みの妙である。本来の楽譜とは違う弾き方をした。しかし、だから感動したということはできるだろうか?鑑賞者には、分析より先に必ず驚嘆がある筈である。寧ろ感想とは、その驚嘆を語ることではあるまいか?ショパンがフォルテの指示を無視したことが人々を驚嘆させたのではない。驚嘆の内容を閲(けみ)した後に、たまたまそうした事実が見つかったというまでである。

なるほど、学生のころオーケストラの演奏会後に感想を言い合ううちに妙に分析的になって、どこか特徴的な部分を見出しては話し相手に披露し、得意げになっていた自分を思い出して恥ずかしくなる。良かったなら良かったでよいではないか。
いつもカミさんの舞台での演奏には感嘆する。どきどきする。光を放つ演奏というか、音色が広がり純粋な音魂となって耳に届くと言うか、感動的なのである。身内に対してこんなことを書いててどうかという人もあるかもしれないが、ことピアノの演奏に関しては、自分との家庭生活とは次元の異なる世界のことなので、一人の演奏家として眺めて、それでもやはり良いと思うのである。
おそらく、その理由をドラクロワ(平野さん)が言うように閲(けみ)していくと、技術的な理由が明らかになるかもしれないが、そのようなことに今まで挑戦したことは無い。考えようがないというか、素人だからわからない。当たり前である。その技術上の工夫には並々ならぬ努力と天才とが詰め込まれていて、もし明らかになったならば感服するしかないことは容易に想定できる。やはり、そんな分析よりも純粋に感嘆したその心のありさまを味わうのが鑑賞者として真にありうべき姿だと思う。
その辺のところを平野さんは実によくわかっていると、さらに私は平野さんにも感嘆するのである。

上司は同期

同期の上司と一緒に出張した。
彼は博士課程修了して入社、僕は大学卒業で入社。なので、5才違いだ。
彼は部長で、僕は課長のような次長のような立場である。1年前の組織変更でそうなった。
新幹線で隣りに座り何を話したものか。行きは互いに書類を出して仕事。
帰りはずっと話をした。
彼の雑誌を見ながら、iPADで本を読むことの意味に始まり、自殺者の数の増加と原因について、うつ病で自殺した35才の会社員の自殺理由に対する考察、家庭用風力発電や太陽光発電の初期投資と売電と自家使用による損得、鳩山首相の退任の速報(新幹線の掲示板にテロップが流れたのをみて)についての感想、普天間基地問題における抑止力の本当の意味(内田樹氏のブログにあった記事を想定しての問答。なぜか自分のPCからは今アクセスできない。)、僕が夏に計画している宮古島旅行計画の詳細、と実に1時間30分ほど話を続けた。この間、僕の口調は基本はですます調で、ところどころ、タメ口がさし挟まった。
同期として若いころ一緒に遊んだし、同期仲間で飲みに行った。今や話題にもできない色々なことを語り合った。同じ部門にいた4人(学卒、修士卒2名、博士卒)で一週間のドライブ旅行にも行った。その頃は皆タメ口だった。互いの結婚式にも招待された。其の後、仕事場も皆ばらばらになり、会う事も減っていたが、昨年、私と彼は同じ部署になったという次第。それで、どんな話し方がよいのか若干は迷ったが、多くは他の部員もいる職場で話す場面であったから、当然、敬語を使う。それで基本はですます調となった。他のマネージャには時々いらついて命令調に話すことがあるが、僕にはどうも言いにくそうに話す様子の時がある。目が泳ぐ。やっぱりやりにくいのではないだろうか。僕も完璧に仕事をこなしているわけではないので、言いたいことはいろいろあるだろうが、他の人のようには言えないのだろう。今日の新幹線の中で「やりにくくない?」と一言聞いてやろうかとも思ったが、唐突すぎるし、却って明日からの仕事に差し支えるかもしれないと思い、言葉を飲み込んだ。どの道、あと数年も経てばどちらかが異動して離れるだろう。それまでは、僕としては彼の方がやりやすく、上層部からのプレッシャーの盾になってもくれるので、しばらくはこのまま一緒でも構わない。ただし、決して彼を利用しているわけではないし、このままではどちらにとっても宜しくない状況だということもわかっている。僕は彼に反対を述べにくいし、彼も僕を甘やかしがちだ。これは是正しなければならない。それを学んでいる最中だ。
結局、今日の会話は、互いの心の内に踏み込むような話題にならず、世間話の域を出なかった。これは、酒が無かったせいもあろうが、おそらく、今後も変わらないであろう。いい年になり、互いに家庭を持ち、一緒に部下の仕事の責任を抱える立場として大人のつきあいに徹するのが無難ということだろう。
それ以上に彼は幾多の仕事の変遷、経験を経て変わった。少なくとも僕はそう感じる。会社で鍛えられ、人も変わる。それが善いことか悪いことかは別として。かくいう僕自身も変わったと思う。彼も今頃、今日のことを思い返しているだろうか。いや、おそらくそれは無かろう。僕とは違うのだから。

自分のための写真と他人のための写真

社内報のアンケートで「夏休みのお勧めスポット」に「八重山諸島の美しいビーチ」と回答したら、次の号で写真を載せたいと連絡があった。自分が写っているものは無いけれど、風景写真はたくさんあるよと答えると、それでよいので2,3枚コメント付きで送ってほしいと頼まれた。

家に帰って波照間島の写真を探すと、2007年のことだった。つい最近のつもりでいたが、もう3年も八重山に行ってないことに違和感すら覚えた。とまれ、よい写真はないか探し始めた。
どの写真も旅行当時の感覚を呼び覚まし、日照りと空気の生暖かさを思い出させた。そうした意味では自分や家族にとってはどの写真もかけがえのないものだが、これを不特定多数が見る社内報に載せるとなると、しっかりした構図と写真の「意味」付けが必要なことに気がついた。八重山の美しいビーチをまさにその言葉のままに表現した写真はなかなか見つからない。もちろん、美しい海面を写した写真はあるが、砂浜と空と場合によっては海水浴客と浜辺の雑草と、さまざまな要素がどのような構図でどのような大きさで写り込んでいるのが最もよいかと考えだすと、よい写真を選び出すことができない。他人のための写真、すなわち、観賞に耐える写真は、適当に撮ったスナップ写真では済まされない感じがしてきた。人が被写体であれば、それがその写真の「意味」であり、風景は付属品に過ぎない。しかし、自分が写っているものが無いので、風景が主体の写真しか提供できない。これは思った以上に難しいことになったとあせる。
波照間のニシバマビーチは小じんまりした美しいビーチだが、ある日、夕焼けが殊に美しかった。オレンジ色から紅色に燃えるように変化し海面に長く尾を引いた情景は素晴らしかった。これを出してもよいが、海の美しさではないし、風力発電の風車の写った夕景も味があるが、これも趣旨が違う(実はUFOが写っているかもしれないと若干疑っているのだが)。
結局、いくつか候補を送って広報室に判断してもらうことにする。
意外と難しいものだ。
波照間 風車の夕景          波照間夕焼け
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