直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

2011年08月の記事

しゃっくり

僕の特技のひとつに(というかこれしかない)しゃっくりを止める技がある。
一番調子の良いときは、止める制御をかけたら、以後一度も「ひっく」ということなく止まった。
だいたいは1,2度以内に止めることができた。

今朝、出勤して席につくとしゃっくりが出始めた。
しゃっくりを止めることも忘れて仕事にかかろうとしたが、落着かない。
そうだ、僕はしゃっくりを止められるんだった、と思いだして早速とりかかった。
しかし、今朝は少してこずった。1分以上もかかってしまった。トライしたこと5回くらいか。

どうも体調が悪いらしい。あるいは、最近太り気味で十分に制御できなくなっているのか。
少し残念だった。


では、どのように止めるのか。
しゃっくりは横隔膜の痙攣である。
横隔膜は膜というけれど要は筋肉である。
息を吸うときは横隔膜が収縮して下にさがり、胸の空間を膨らませる。
横隔膜が弛緩すると元にもどって胸の空間を下から押し上げ息を吐く。
しゃっくりは、吸うか吐くかといえば吸う方である。つまり、横隔膜が痙攣して一定間隔で収縮するわけだ。
しゃっくりを止めるということは、横隔膜の痙攣を止めるということである。
僕は誰に教えてもらったわけでもなく、横隔膜を弛緩させることによって痙攣つまりしゃっくりを止める事ができるようになった。二十歳前後だったろうか。
息をゆっくりと吐きながら、腹筋の回りの筋肉が全体的に弛緩するように意識する。
横隔膜を直接意識出来ればそうするが、それができないので腹の周り全体が緩むよう意識する。
すうーとゆっくり長く息を吐いている間、しゃっくりは出ない。調子がよければ、そのまま済んでしまう。
筋肉の緊張と弛緩を感覚で認識できるようになれば、たぶん簡単なことだ。

これは、体調がよく、落着いているほうがやりやすい。
ちなみにお酒に酔っているとできない。酒を呑んだときに限ってしゃっくりがでやすいが、その時は止められないのが口惜しい。

筋肉の緊張と弛緩を意識的にできるようになることは、身体のコントロールに繋がり、うまくいけば心のコントロールにもつながると、昔「自己コントロール」という本に書いてあった。それを少し真面目に練習していたことがある。
しゃっくりを止められるのはその効用であろう。

一応、しゃっくりはすぐに止まったのだが悔しい。次にしゃっくりが出た時は一発で止めてやることを心に誓って仕事に取りかかった。
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定光寺公園

緑の多い場所に行きたくて、手頃で近くの定光寺公園に行った。公園近くに一度行ってみたかったカフェがあることも理由のひとつだ。ギャラリーカフェ空という。
カフェで美味しいピザを食べてゆっくり雰囲気を楽しんだ後、近くを歩いた。公園の池の周りを歩いていると、甲虫が飛んできた。最初はカナブンかと思ったが、良く見るとタマムシだった。飛んでいたがはっきりわかった。タマムシだ。久しぶりに見て嬉しかった。
近くにとまってくれと願ったが、池の対岸へ飛んで行ってしまった。
セミがたくさん鳴いている。都市部よりも種類が多い。アブラゼミがやたらと目につくが、ミンミンゼミやツクツクボウシの声がよく聞える。これらも懐かしい奴らだ。

場所を移動して、自然休養林へ行った。見晴らしの良い園地があって少し歩いた。そこで、これまた久しぶりに蛇に出会った。カミさんがヨモギの葉を取ろうとして屈んで手を出したその1メートルくらい先に、赤い斑のある太った立派な蛇がいて、咄嗟に「蛇だ」と叫んだら、驚いて逃げてしまった。ヤマカガシだ。この出会いの間中、どきどきしていたが何となく嬉しかった。

他に、キアゲハ、クロアゲハ、モンキアゲハ、などいろいろな蝶もいて、生き物との出会いが好きな僕としては満足の一日だった。

リハビリ2

昨日「リハビリ」と題して書き始めた内容は、リハビリ前の状態で終ってしまった。
リハビリはその後のこと。
つまり、島で開放された心身が日常生活に戻れずにリハビリが必要だったのである。
日常はA、島で開放された状態がBとすると、二日間でA⇒Bに、バッと遷移したところが、B⇒Aにすぐには戻れなかったという話である。
月曜日からの数日は、B⇒Aへの逆遷移のためのポテンシャル障壁を越えるためのエネルギー注入が無いままに、障壁を徐々に浸み出しながら遷移するしかなかった。

一番良いのは心身Bのまま日常Aに戻り、うまくやりくりすることである。切り替えたり遷移したりするのではなく、AをA'にすることである。
ちょうど、「身体で考える」という本をこの数週間読んでいる。内田樹と成瀬雅春の対談本である。これはこれで面白いのだが、今迄の生き方ではこりゃちょっとまずいかな、と思わせる内容であり、ちょうど、この日間賀島体験からのリハビリにうまく取り入れて日常のバージョンアップができれば、と思いながら読んだ。して、それはこの一週間で成功したのか?
いやいや先は長い。焦らず、行きつ戻りつを繰り返し、A’ならぬ新たなフェーズCに自身を変容できたら、と願う。

リハビリ

先週の土日にまた日間賀島に行ってきた。YOGAとガイドリラクゼーションがセットになった日間賀観光ホテル一泊の旅である。名古屋市高岳のYOGAスタジオで教わっている先生の企画で今回が2回目の参加である。
先生のYOGAのガイドは実に身体に心地よい。自分に集中できるようにうまくガイドしてくれる。身体を休めるポーズにいるときに歌ってくれるインド音楽?のその声が身体に沁みてくる。
この一泊でYOGAのレッスンが2回とガイドリラクゼーション、そして歌とおいしい食事が味わえる。食事の内容も身体に優しい、野菜の多い特別メニューにしてくれる。ホテルの雰囲気や対応の良さは格別で、YOGAだから行くというだけでなく、このホテルなら何度泊っても良いと思わせてくれるのも参加した一因である。
さて、この二日の間に、島特有のゆっくりした時間、素朴な村の風景、ゆったりと波がゆれる海を味わい、そして、YOGAで自分の身体をチェックする。日常を離れた島という特別な場所での特別な時間は、心を開放する。開放すると同時に心の深くを探りに行く。静かに、静かに潜って行く。
日常と異なる心象から、普段なら決して書かないだろう落書きを描いた。
夜のガイドリラクゼーションで、床に寝ころびながら先生のガイドに従って心を仮想の風景の中に遊ばせ、一種の催眠術にかかったような状態になる。
お月さまからのメッセージを受け取り・・・ というガイドに、ふすま紙のような厚紙の扉を真ん中から両側に開く場面が浮かび、その向うから「無」という楷書で書かれた一文字が現れた。多少、無理をして引き出した感もあるが、何か自分で自分にやらせをして「無」の文字を出させたことは決してない。
ま、出て来たものだから、何となく気になっていて、翌朝、便せんの裏側に筆ペンで「無」と書いてみた。
そして、ちょうど持っていた5色ボールペンで、その字の周りにある隙間を埋め始めた。これも島にいる影響なのか。単なる落書きみたいなようなものだが、そのあと、先生がラウンジで歌を披露するというので、ソファにもたれながら聴いていると、落書きを続けてみたくなり、歌を聴きながら無心で続きを描き始めた。実に無心であった。その時間は何かにとりつかれたようだった。そしてできたのがこれ。↓

月のメッセージ(日間賀島2011-08-20)_convert_20110827192551

無のすきまをうめただけだが、でも、ノーマルな構図だと後から気がついた。上の方は空っぽいし、下の方は大地か海かだし、幻想的でもなく、へたくそな子供の絵にも劣る勢いの無さ。
そんなものでも、あの二日間にしか書けなかったと思うし、少しだけ愛着の湧く絵になったかな、と思う。

パエトーン

お盆なので実家に帰った。妹がひとりいるが、彼女は山岸涼子のファンでコミックをたくさん持っている。萩尾望都も好きで、これらは自分とカミさんと妹の共通点である。山岸涼子といえば、日出る処の天子、妖精王、最近ではテレプシコーラなどの中長編や日本やヨーロッパの神話や昔話を題材にした短編、現代ものの心理的に怖い話の短編なんかも読むべきものは多い。
実家に帰ると、妹が山岸涼子の「パエトーン」を読む?と聞いてきた。その題名には聞き覚えが無かったので、借りて来た。原発問題を描いた漫画で最近話題になったから読み返してみたと妹は言う。
読んでみると、なるほど話題になっておかしくないと思う内容である。むろん、原発に疑問を呈する内容である。賛否の議論はともかく、25年前に書かれたこの漫画は、今読んでも少しも古い感じがしない。ただ当時はチェルノブイリの事故のことを契機に書かれている。
ネット上ではどんな風に取り上げられているのかと思って調べてみると、話題になったのはすでに3月終りから4月のことで、それまでファンでありながら知らなかったことが何だか恥ずかしい。
3月の時点で出版社が本人の承諾を得て、Web上に全ページ掲載していたことがわかった。
今でも掲載中である。⇒パエトーン

所有権と自由裁量権

金田一秀穂先生の「汚い」日本語講座(新潮新書)を読んだ。

どうして近頃の書物のタイトルは中身を表わそうとしないのか。タイトルから想像する中身と違う書物が多い気がするのは自分だけだろうか。まずは本を買ってもらわなければならないから、できるだけ多くの人の興味をひくインパクトのあるタイトルを編集者が考えているみたいだ。例えば、「デフレの正体」なんか読んでも「デフレ」という単語はほとんどでてこなかったりする。「普通がいいという病」も誤解されやすいタイトルである。中身は現代の心を病んでいる人の多くが陥っている状況を的確に分析している名著だと思う。
名は体を表わさない書物は多いけれども、「普通が・・・」のように善い意味で期待はずれの書物もある。今回の「汚い」日本語講座も想像以上に面白かった。内容が「汚い」日本語のことだけを論じたものではなく、人類20万年の歴史に及ぶ言語獲得と行動パターンに対する考察が入っていたりして面白かった。

しばらく前に新聞の人物紹介欄で金田一先生が紹介されていたが、そこで先生は人類20万年の歴史のうち、最初の15万円は言語が無かったことをとりあげ、その悠久の15万年の間、人類は何を考えどのように生きて来たのかを考えたいと語っていた。これをきっかけで金田一先生の本を読んでみようと思ったわけだが、今回、たまたま図書館で借りられた「汚い」日本語講座に、このことが詳しく書かれていた。
アナログ言語とデジタル言語という概念を持ち出して、5万年前に出エジプトを図り全世界に勢力を拡大しはじめたホモサピエンスがなぜそれができたかを説明している。コンテクストに依存して身体的意味を伝える音声言語としてのアナログ言語はホモサピエンス以前にネアンデルタール人も持っていてコミュニケーションはしていた。しかし、象徴の思考ができたホモサピエンスはデジタル言語を創り出し、圧倒的に知識と知恵を拡げて行った。象徴の思考というのは、あるものが、ほかのあるものを示すということである。言葉というのはその代表である。単なる記号やその列(文字列)がほかのなにかの意味を持つということである。ネアンデルタール人は力は強かったがデジタル言語を持たず、知恵の累積、知識の伝達、状況の伝達すらできなかったというわけである。組織を作ることができたホモサピエンスは小柄で力も弱かったがネアンデルタール人を容易に征服できたというわけだ。
本書の「汚い」という言葉については、触れる事を忌避するべきものを表現する言葉として、本来的には20万年前から生物的に感じてきているものであったはずのものが、ホモサピエンスによって言語化されたと言えるらしい。別の言い方をすると、アナログ的に、「汚らしい」と感じて危険視し、ある程度音声言語的に伝えあっていたが、ホモサピエンスの世界では、社会生活を営んで行くうえで必要な知識としての「汚い」という言葉が生じた、という理解になる。
言語が生み出されたことによって、人は考えるということを始めた。好奇心を持ってすべてのことを知りたいと思えるだけの余裕のある「脳」をもった人類は、「自分はなぜ生まれたのか」「人は何のために生きるのか」といったような余計な事を考える動物になった。それもこれもすべて「言語」が生れたからということだ。何だか、神様の実験台になっているような気がする。

さて、本書には他にも面白い考察が出てくる。
所有権と自由裁量権だ。
自分の身体は自分のものである。これは所有の概念だ。これはまあ正しい。
しかし、だからといって好き勝手に改変したり傷つけたりするのは通常躊躇われる。所有権=自由裁量権であれば、自分の身体をどう好きにしようが勝手だ。身体にピアスの穴を空けるのも、命を絶つのも勝手だ。しかし、身体は自然の産物である。病気になるのも自然のなす技である。病気にするのは自然がもつ裁量権だ。そう考えると、自分の身体に自分の自由裁量権はない。自分の命にも無い。従って自殺は罪であり、他殺には怒ることができる。病気で死ぬのは仕方が無い。自然に自由裁量権があると考えればすべては説明できる。自由裁量権は文化にも依存して、国に依って考え方は違う。日本はどちらかというと自然に自由裁量権を認める。欧米はもっと個人や社会よりである。心臓の裁量権は、欧米では個人や社会にあるので、比較的容易に移植が行われるが、日本は自然に裁量権を認めるので、あまり移植が行われない。胎児の場合は、日本では身ごもった母親に裁量権があるが、欧米では、受精した時から神に裁量権がある。だから中絶に対する意識も異なる。以上は個人によっても異なるから一概には言えないが、傾向があるということは言えそうである。
所有権と裁量権を分けて考えると、いろいろな問題をうまく説明できる感じがして面白い。

非現実的な夢想家として 村上春樹

村上春樹氏がスペインのカタルーニャ国際賞を受賞した時のスピーチが少し話題になっている。例えば以下のURLに全文が掲載されている。

http://megalodon.jp/2011-0611-0101-51/www.47news.jp/47topics/e/213712.php?page=all

しばらく前に新聞のコラムで、このことを批判的に書いてあったのを斜め読みした。彼が原爆や原発に対してノーというメッセージを示したのは初めてだ、云々。どんな内容だったか忘れた。

全文を読んでみて、素直な自分は、なるほど我々は(日本人は)間違っていた、と反省気分になる。
しかし考えてみると、こういう発言は福島で起ってしまったからこそできたんじゃないか、起ってしまえば誰でも言えるんじゃないか、と言う事もできる。
それでも、あえて言葉にして人々にメッセージを送ることが物書きの仕事であるとも言える。
できるだけ論理的に情緒的に説得性を持って、人々の心にしみる言葉を駆使して表現するのが物書きの使命だ。
そういうふうに村上氏のスピーチを好意的に受け取ることはできる。

さらに一歩進めると、福島の事故が起きなくても、持ち前の想像力によって、もっと前から同様のメッセージを発信しているべきではなかったか。それが本物の物書きの姿ではなかろうか。

少し調べてみれば、小説家、文学者、思想家、哲学者と称される人々の中には、すでに前から反原発を訴え続けていた人はいるはずである。しかし、知る人ぞ知るでは力にならない。村上氏にしても、日本の社会・国家を動かす事はそうそう簡単ではないだろう。氏もそれは当然認識しているからこそ、「非現実的な夢想家」という言葉を使っているのだろう。そして、あえて、皆が「非現実的な夢想家」にならなければならないと訴えている。長い年月の間に、現実になることを夢見て。

今回の事故を踏まえて、技術神話の崩壊、と一言で片づけられることが多いが、世の中の技術者はどう感じているのだろうか。うまく言えないが、この言い回しには違和感を覚える。これは誰の「技術神話」だったのか。
世の中の技術者には、神話になるほど素晴らしい技術にまみれている人はほとんどいないと思う。たいていの技術には欠点があり、不完全さがあり、限定的な使い方しかできないものであることは誰でもわかっている。ましてや、ひとつの技術をある程度ものにすることがどれほど大変なことか、一生かけても成功体験をできない人は多い。
誰が「技術神話」を語ったのか。そしてそれを信じたのか。象徴的、無検証的な言葉を使うことは確かな議論を阻害するのではないだろうか。「技術神話の崩壊」は技術論ではおそらく無いのだと思う。

歩行の快感

昨夜のJR中央線の人身事故は、女性が踏切に入ってはねられて死亡したのだそうだ。飯田史彦さんによれば、自殺者の魂は、そうでない人と違って、暗闇の世界に閉じ込められるのだそうだ。身内の誰かが、その自殺者を理解し供養しなければ出て来れず、光の世界へは行けないらしい。そうかと言って死んでから後悔しても遅いしなあ・・・。死にたくなったら、飯田先生の本を読もう。信じられない世界かもしれないが、あえて信じてみれば死ぬこともなかろう。

さて、今朝、自宅を出て数歩歩いたところで、いきなり歩くことの快感を覚えた。絶妙の速度で、絶妙の歩幅で、それを可能にする筋肉の全身運動が、その全身に動きの快感を呼んでいる。少し速くても少し遅くてもだめ。快感によって、そのまま同じ動きで永遠に歩き続けていたいと思ったくらいだ。昨夜の40分はや歩きの筋肉疲労がちょうどほぐれたのだろうか。筋肉のほぐれの快感だったのかもしれない。それから、移動の快感もあった。身体が前に移動していく。そのことが生きていることを支えているかのようだった。歩くことができるということの幸せは、普通なら歩けなくなってからしかわからないだろう。けれども、今朝は歩ける事の幸せを感じた。そうすると、他の面倒なことにも何だか耐えられる気がしてくる。

久しぶりの会社、そして人身事故

久しぶりに会社に出勤した。一日仕事をすると夕方には心身ともに会社モードに戻る。
あれこれ、あれこれ、あれこれ、
考えている自分に気づく。

休日も確かにあれこれ考えている。
しかし、種類が違う。焦り。
休日の焦りは自己の生き方の焦り。自分は何ものであるかという焦り。
これは恐ろしい。会社をリタイヤしたらどうなってしまうのか。
こんな焦りが何日も何カ月も何年も続くのだろうか。
何もできない男が、会社に依存して生きている。
最も危惧すべきことだったはず。

それとも期限のある休日だから焦るのか。そうなのかもしれない。いやきっとそうだ。
中途半端なのだ。長期休日というのは。


さて、帰り道。JR中央線の新守山手前で電車が止まった。
春日井-神領間で電車と人が接車したため、安全を確認しているという。
そして、運転見合わせ。
とりあえず新守山駅までは動いた。そこで相当程度の時間、運転を見合わせると放送される。

あと一駅なのに。

人身事故はたいてい1時間以上電車が止まる。新守山から勝川までなら一度歩いたことがある。だいたい30-40分くらいかかったような気がする。
歩いた方が早いだろう。風が無い蒸し暑い中、歩いて帰るのはつらいが仕方が無い。朝は歩かなかったし、よいだろう。

で、歩いた。汗だくになって。

塾に行っていた娘がやはり電車に乗れなくて困っていると連絡がきた。
さて、車で迎えにいくとしよう。

鹿児島

出張で鹿児島に行って来た。
九州新幹線が開通し、名古屋から小倉乗り換えで鹿児島中央まで行った。5時間かかった。
大阪~東京の区間は比較的よく利用するので、車窓の風景を見て楽しむこともないが、大阪より西には滅多に行かないので、車窓を眺めたり、あるいは眠ったりしていて、5時間は飽きる事が無かった。
九州新幹線さくらは、指定席の座席が横4席でゆったりしていた。グリーン車のような感じだ。

途中、広島の街が見えた。ちょうど原爆投下の日に近く、何とはなしにそのことを考えた。どこがどうというわけではないが、他の街の風景と何か違って見えたが気のせいだろうか。違うというより、印象に残るといった方が正しい。山口や小倉や博多やその他の車窓から見た街はほとんど記憶に残っていない。

鹿児島中央駅は前の西鹿児島駅だった。駅の東口を出ると、「若き薩摩の群像」という銅像群がある。この銅像群は、新婚旅行で鹿児島を訪れた時に観た記憶がある。カミさんと写真を撮ったはずだ。
新婚旅行は平成3年3月11日から約一週間。鹿児島空港に降りたち、バスで西鹿児島駅まで来た筈だ。駅前でこの銅像群を見て、鹿児島に来たことを実感した。さて、これから観光だ、と一息ついたような記憶がある。
天文館にも行った。アーケード街で特に何かしたような記憶は無いが、そこでひろったタクシーで半日観光したのが印象に強い。夜は指宿のホテルを予約してあり、そこまでの移動をJRでと考えていたが、タクシーの運転手さん(尾堂さんという)が指宿まで観光地を回りながら連れてってくれると言うのでお願いした。たまたま拾ったタクシーが観光タクシーだったのか、鹿児島のタクシーは皆、観光タクシーにもなれるのかよくわからなかったが。

そんな新婚旅行のことを思い出す20年ぶりの鹿児島だった。
市電に乗ると、杖をついた老人が一番前に座って他の乗客になにやら世話を焼いていた。自分も世話を焼かれた。
まず、携帯電話でメールを打とうとしたら、その老人が、ちょっとちょっととこちらに手を軽く振りながら、携帯電話は使ったらだめだという。メールぐらいいいじゃないかと思ったが、ここはそういうところなのだろう、と思って引っ込めた。ちょっとバツが悪かったが、何食わぬ顔で車窓を眺めたりしていた。停留所で他の客が降りる時、自分の立っている場所が悪くて身体をひねったりして避けていたら、先ほどの老人が隣りの席を勧めてくれた。座ればいいよ、疲れもとれるから、という。はい、ありがとうございます、と言って座った。座るともう一度、疲れが取れると言われたので、こちらももう一度ありがとうございますと言った。市電では携帯電話は使ってはいけないのだろうかと気になって回りの乗客の様子を眺めてみると、確かに誰も携帯電話を使っていない。どうやら、鹿児島の市電では携帯電話を使わない(通話はもちろん、メールもやらない)のが当たり前のようだ。名古屋では、バスや電車に乗ると、多くの人が携帯電話を取り出し、メールやらネットやら何かを始める。たまに通話をする人もいるくらいで(これはマナー違反だが)、地方によって意識が違うことを実感させられた。
市電の線路が緑の芝生の中を走っている区間がある。この緑は、吸水性ブロックに植えられているそうだ。走る市電の中から進行方向を見ると緑の絨毯の上を進んで行くように見えて感じがよい。

何ほどのことはなかったけれども、帰って来てから新婚旅行の写真を出して20年前を懐かしんだ。写真の中の自分とカミさんは、どの写真の中でもぴったりと寄り添っていた。