直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

2011年10月の記事

箱根出張

箱根のホテルで会議をするというので、出張で芦ノ湖へ行った。
泊ったのは箱根園レイクサイドアネックスホテル。会議はザプリンス箱根。レイクサイドアネックスは東京都内のホテルと比べれば値段が高めのわりに、部屋のグレードは普通のビジネスホテルと同じだった。違いは、窓から芦ノ湖がよく見えることくらいだろうか。

このプリンス系列のリゾート施設の周辺には、駒ケ岳に登るロープウエイの駅と遊覧船乗り場に隣接して土産店などがあるくらいで、レストランや喫茶店も無く、夜に少し呑みたくなってもそうした場所は全くない。夕食のために元箱根の街にタクシーで行ったが、そのあたりのタクシーは夜になると一台しか営業していないとのこと。元箱根の街は昼間はいくらか賑わっているが、夜は外出して呑んだり何かを楽しんだりする場所が無いということらしい。

観光地としては、できるかぎり不要なものを削り落した自然派の場所と言えるのかもしれない。最近の観光客は一日ゆたりと自然の景観を楽しみ、夜はホテルのレストランで料理を楽しみ、あとは深酒もせず、静かに部屋で身体を休めるというパターンなのだろう。温泉街で遊びたい人は、箱根の中でもそれができる街に泊るのだろう。

で、期間中、非常に天気がよく、遠くは靄っていたが富士山も見えて楽しむことが出来た。
朝早く起きて露天風呂に入ってゆっくりし、遊歩道を散歩した。芦ノ湖の湖畔に沿って進む遊歩道には朝は誰もおらず、野鳥のさえずりがうるさいほどに森に響いていた。何種類もの小鳥がいるようで、美しく音のふくよかなさえずりは耳に心地よかった。枝にしばしとまる小鳥たちの写真を撮ってみた。コンパクトデジカメをズームいっぱいにして狙うので、なかなかピントが合わない。緑色の身体に赤色の嘴の鳥をカメラに収める事ができたが、彼等は何という名の鳥だろうが。自然の中にはいつでも楽しみが見つかる。この周囲何kmの中に自分しかいないという感覚もあって、世界がとても独立している、というか、自分がここにいることの不思議、というものを感じた。他人と一緒では絶対に味わえない感覚である。
こういうちょっとした経験は全く予定外の、ほんの小一時間の自由時間に手に入れることができたものだが、そのことが続く一日、一週間の生活の基底部に沁み込むのだ。
ま、行ってよかった、ということだ。

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もう「甘さ控えめ」やめようよ

最近、ケーキ屋さんのケーキが今ひとつな感じがする。最初は美味しいと思って食べるのだが、何度か買い求めて食べてるうちにふと気付く。
確かに味は工夫されているし美味しいのだろうと思う。
でも、下手をすると水っぽくも感じる。
味自体は濃いのだけれど、ムース系などとてもやわらかで口当たりもいいし。でも、水っぽさに近いものも感じてしまう。これはひとえに甘さが足りないからではないかと思うのである。

「甘さ控えめ」という言葉がここ10年くらい?、流行っている。まるで美味しいものの定番の謳い文句のように。
「甘さ控えめ」が「良い」ことのように皆刷り込まれているのではないか。
体重やスタイルを気にする女性が、本当は甘いお菓子を食べたいのに食べると太るから・・・と控えているところに、「甘さ控えめ」ですよ!と言われると、まるでカロリーが低くて太らないというお墨付きをもらったように感じて、「甘さ控えめだから食べてもいいんだ」と自分を納得させて食べてしまう。そういう心理と行動を狙った売り手側の作戦ではないだろうか、と勘繰るのは考え過ぎだろうか。

甘くて何が悪い? 甘さに酔いしれ、甘さが口の中、五臓六腑に広がる至福感を望む人だって多いはず。
それに、しっかり甘いお菓子はそんなに多く食べられないので、「甘さ控えめ」のお菓子やケーキを食べ過ぎるよりはよほど健康にも心の癒しにも効用が大きいのではないだろうか。

何とかしてほしい。甘さたっぷりのケーキが食べたい。
どうか、ケーキ屋さん、甘さ控えめコーナーと甘さたっぷりコーナーと両方作ってくださいませんか?

買い手側も、「甘さ控えめ」が良いことであるという操作された画一的価値観から解放されようではないか!

地震が心配

地震が気になる。
毎日、Yahooの地震情報のページを確認する。
その日、どこで、どのくらいの規模の地震があったか。
震度4以上があれば、詳細ページに行って、マグニチュードを確認する。

3月11日以降、たまに規模の大きな(震度5レベル)の地震もあるが、この半年の毎月の地震回数は少しずつ減ってきている。Yahooのページや気象庁のページからデータを集めてグラフにしてみた。震度も小さいものになってきているので、単純な回数の合計ではなく、震度の数値の合計(重み付け回数ということになるか?)も集計してみた。震度5弱は5、5強は5.5というように数値化した。
地震の規模はエネルギーとしてはマグニチュードで表現するのが科学的には正しいが、まあ、研究者では無いので、これで許してほしい。

地震
グラフを見ると、地震の規模で考えても、毎月合計は直線的に減って来ている。まだ、2月以前のレベルにはもどっていないが、このまま推移すればあと半年後には元のレベルになりそうだ。
ただ、何が起るかわからない。日本全体で見たデータだから、地域別にみれば何等かの別の徴候があるのかもしれない。例えば、この半年間、愛知県が震源地の地震は3回しか無い。これは、3月以前よりも少ないペースだ。こうしたことが何を意味するのかはわからないが、不気味な感じもする。地震は起るときには起るのだから、心配しすぎてもしかたがない。
天災は忘れたころにやってくる、というので、毎日忘れないように注意していよう。そして、防災意識をいつも持っている様にしたいと思う。何よりも大切な家族を守るために。

世界体操個人総合優勝3連覇

今、世界体操をやっている。テレビで放映しているので見てみた。
昨日は、男子個人総合の戦いで、日本の内村選手が優勝した。3年連続優勝で、これは世界初とのことだ。
内村選手のことは今日の新聞に書いてあったが、努力の天才などと言われている。
彼の演技は実に美しく正確で、鳥肌が立つほどだった。6種目目の鉄棒はグループの最後の演技だった。同じグループの選手で、離れ業に失敗しあごを鉄棒に打ちつけて落下し棄権したのを見たが、もしこのようなことが起きれば内村選手も優勝できなかっただろう。その演技を見ていたわけだから、普通なら緊張するはずである。しかし、全くそのような様子は無く、演技も堂々としていて高難度の技をノーミスでこなし、最後の着地は微動だにしなかった。足がマットに吸い込まれるようにすとんと納まった。ここまでやれる理由は、とんでもない練習で自信をつけていたからとしかいいようがない。

先日も天才と努力家に違いは無いというようなことを書いたが、内村選手はとにかく練習をすること他人の比では無かったという。とんでもない努力の末、誰にも真似できない正確で美しい演技がいつでもできるようになったのだ。

自分も高校時代の2年半だけだが器械体操をやっていたので、昔から体操競技は見ていて、歴代の日本の代表選手を見てきているが、内村選手の完璧さは群を抜いていると思った。両親が体操選手で体操教室をやっていて、5歳から練習をしてきたのだそうだ。そうした環境も一因だろうが、やはり遺伝というものもあるのではないかと思ってしまう。

遺伝子はいったい何を伝えるのだろうか。形質(顔かたち、体格)やある種の病気は遺伝する。では、それ以外に遺伝するものにはいったい何があるのか。
NHKのBSで、精子バンクの精子を使って産まれた女性が、同じ精子ドナーの子供達を探して知合いになるという話が放送されるという。番組宣伝の中で、彼女等は皆、同じように右手で髪をかきあげるしぐさをするという。
自分自身について言うなら、歩き方や手先のちょっとした癖が父親そっくりだと言われたことがある。どうも身体の使い方そのものも遺伝するらしい。
身体の使い方にもいろいろあるが、毎日体操をやっている人の遺伝子には、体操競技のために使う筋肉や神経系の使い方の情報も書き込まれるということがあるのかもしれない。毎日何時間もピアノを弾いている人の遺伝子には、指先を自在に動かすための筋肉や神経系に必要な情報が書き込まれるのかもしれない。

とすると、子供を作る時点までに特別力を入れてやってきたことが遺伝することになる。近年、英才教育が進み、若いころからいろいろな芸術やスポーツで活躍する人が増えて来た。すると、彼等彼女等の身体の使い方が遺伝した子供が、同じ世界で育つならば、親を越えてさらに高度な技を当たり前にできるようになるのだろう。こうしたことは、今の社会状況が続く限り、加速していくように思われる。

こうした人達の人生だけが人生ではない。特殊な人達だ。遺伝プラスとんでもない努力が必要で、いろいろなことを犠牲にして生きている人達だ。
特殊ではない世界で生きる僕達は、彼等を鑑賞して楽しませてもらう事はあるが、それができないからといって落胆する必要も意味も無い。
できれば、親達の遺伝子の良い所だけありがたく頂いて、有難くないところは克服しながら、好きなように生きて行きたいものである。(こんなことを考えたりすることも、もしかして、親の癖の遺伝だったりして・・・)

ふとん考

高校2年の娘はどこでも寝られるという
ほとんど夢を見ないし、寝たと思ったら朝起きたという感じらしい
うらやましい限りだ

僕はというと
寝がえりをうつたびに目がほんの少し覚めているようで
(実はすべての寝がえりではないらしいが)
熟睡した気がしない

加えてここ10年以上使っている羊毛の硬めの敷布団には最近特に朝起きたときの背中の痛みに悩まされていた
5年以上前になるだろうか。低反発マットが評判になったころ、やはり睡眠が大事だということで購入したが、いつのまにか使わなくなっていた。半年前にぎっくり腰をやったときには、これを敷いて寝ると多少楽だった。

低反発マットは身体が沈んで負荷を分散してくれるのはよいが、寝がえりを打つのが楽ではないのだ。
朝、背中が痛いのは何とかならないか、寝がえりを打つたびによいしょとやってたら熟睡できない、こういう悩みが募っていた。気にしだすと止まらない性格で、ついに、反発性マットで最近話題のairweaveに狙いを定めた。
値段は高いが、これで熟睡できるなら、と思うと試してみたくなった。東急ハンズにおいてあることは前から知っていたので、とにかく展示品を試しに行った。店員さんが快く説明してくれて実際に寝てみると、程良い反発があってしかも体重が分散するような感覚だった。これならよかろうと妻も賛成し、購入した。

使い始めて一週間が過ぎた。背中の痛みは無くなった。今やこのマットに身体を横たえるのが楽しみになり、朝はいつまでもマットに寝転んでいたい気分が続いている。

airweaveは、岡崎市にある釣り糸のメーカーが開発した新素材でできている。非常に反発性のある太い繊維が絡み合ったようなマットで、空隙率が非常に高い。空気の上に寝ているようだと、口コミに書いている人がいた。この空隙率のおかげで通気性が非常によいというのも特徴である。
なんだか製品の宣伝をしているみたいだが、方やセラミックスの部品メーカーで材料開発を担当している身としては、高分子系材料の幅広い応用性には羨望を感じながらも、その力学的特徴を寝具に適用しようと考えたメーカーの開発者の発想力に学びたいと思うのである。

金木犀

その時ぼくは
考えごとをしながら歩いていました
(ま、いつも考えごとをしているのだけれど)
そのとき
すうっーと金木犀の匂いがして
考えごとが飛んでいってしまいました

なんだっけ
何を考えていたんだっけ

と考えて歩いて行くと
別の金木犀の木があって
また匂いがする

ああ、金木犀の匂いは
僕の考えごとをふき飛ばす

匂いは脳に直接に効く
その強い作用は
ぼくの下手な考えよりも確かに
生きていることを実感させてくれる

天才と努力と、もうひとつ

故糸川英夫博士の「逆転の発想」新装版を読んだ。約40年前に出版された本の再版である。古いけれども現在に通用する言葉があまりに多いので驚いた。マネージメントや経営や新商品開発やエネルギー問題など。1970年代に2000年までの予測を試みているが、時期の違いはあれ、およそ当っている。当っていることに価値があるというよりも、予測できた理路とその根源たる物の見方と見識の広さに憧憬の念を覚える。

内容はさておき、面白いと思った言葉のひとつに次がある。

天才は単に努力の階段を隠しているだけ。隠さず表に出す人が努力家と言われている。

直感的にこれは正しいと思った。天才だと言うのは結局他人であり、他人は本人をどのくらい知っているか?ということである。天性のものがある、ということはあるかもしれない。それが生れつきなのか、生れてからの環境によるものなのかは結局最終的には判別不可能である。

とはいうものの、知識にしろ、芸術にしろ、スポーツにしろ、その分野で成し遂げられるものは時代を追って高度化し、かつ、より若い個人によって達成されているのを我々は目撃している。例えば、今朝放映された「題名のない音楽会」で紹介された、11歳のピアニストの牛田君とか、13歳のバイオリニストの服部さんなどは、すでにとんでもない演奏技術と味を持っていて驚いた。服部さんの演奏は見ていて涙が出そうになったくらいである。こういう事態は何故生じるのか。努力はものすごいのだろうが、それだけでは説明できない何かがある。音楽性、あるいは演奏技術の元となる何か勘のようなものは世代を越えて引き継いでいるとしか思えない。「生まれながらにして」というものがあるのではないか。あるいは、そういう素質を持って生れる子供は確率的に結構多く、ただ、その中でたまたま音楽家の家庭に生まれた子が、その素質に加えて尋常でない努力によって神童になるのではないだろうか。

そうなると、天才は単に努力の段階を隠しているだけでなく、その素質がたまたまその分野と出会った幸運を身にまとっていると言わなくてはならない。
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