直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

2012年02月の記事

映画「アバター」遅ればせながら観ました

先日、地上波で映画「アバター」を放映したので録画しておいて時間のとれた昨日ゆっくり鑑賞した。
3D映画として公開当時話題をさらったSF映画だ。映画館に足を運ぶことはなかったが気にはなっていた。というのは、「教養としての資源問題」という本の中に、この映画のことが書かれていたからだ。レアメタルを巡る各国の資源戦略を紹介し、日本の資源外交に対する警鐘を鳴らす内容だったが、こぼれ話として、映画「アバター」は未開の土地の資源を先進国が開発するために先住民を追い出し、自然を破壊するという現実に起こっていることに対して問題提起をした作品であるとした見方を紹介していた。(この本に書いてある現実の資源開発の現場も、この映画と同等またはそれ以上の残虐な行為も行われている例もあるとのことで、レアメタルの恩恵に浴している日本人にはあまり知られていない事実もあるらしい。)
そういうことであれば、ストーリーはわかりやすいはずで、いや、わかりやすくなければならず、その世界をいかにドラマチックに描いて魅せ、見る人に「入れ込ませるか」が重要となってくるはずだ。その点に興味があった。

実際に観てみると映像技術の目新しさの効果もあってか、充分に「入れ込める」作品として楽しめた。ストーリーは単純であり、結末も概略予想できる上で、物語の詳細や登場人物ら個々の次の行動や気持ちの動きにわくわくしながら観進めることができた。ネットで検索すれば映画評はたくさんでてくる。大勢は「ストーリーが単純」というもので、その点を批判的に言ってる意見が多かったが、「単純」ではいけないのだろうか?という疑問と、冒頭に書いたような資源問題に絡めて2元的に作品を捉えてみれば他にいくらでも議論すべきことはあろうに、という落胆とを感じた。

それにしてもこの作品に入れ込むことができた大きな要因は、異形の異星人の動きや表情が本物の人間(俳優)の演技そのままに感じられたからだと思う。俳優は顔全体や目で演技をするが、特殊メイクや被り物ではどうしてもそれに限界がある。「猿の惑星」のメイクもかなり進歩していて、目や口の動きがある程度わかって伝わるものがあった。しかし、このアバターの場合、特殊メイクではなく、CGである。目はネコ科の動物の目のようであり、耳の形や位置も人間とは違う。背も高く、手足も長い。これまでの映画のCGでは、どうしてもCGらしさが前に出て俳優の演技とは明らかに違う「作り物」感があったが、アバターのCGは、本物の俳優の演技に「見える」のである。どのように制作したのか気になって調べてみたら、やはり俳優自身の演技をベースにCGを「上塗り」していた。
「上塗り」という表現は正確ではないので、次の解説記事と、その中のメイキング映像を見ていただきたい。

http://journal.mycom.co.jp/news/2010/01/16/007/index.html



何かを訴える方法のひとつの典型的なパターンとして、キャメロン監督は最新技術を徹底的に駆使して、エンターテインメント性を究極に高め、観客に「入り込ませる」という手法を取ったということができる。実際のところ、キャメロン監督の狙いが何だったのか、資源開発への警告のメッセージがあることは間違いないが、他にもあるのかもしれない。さて、見た人は何を感じただろうか。
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「なかよし」で育まれた嗜好

最近、ふとしたことで、高階良子の漫画が懐かしくなり買い求めた。
はるかなるレムリアより
タランチュラのくちづけ
ガラスの墓標
化石の島
このあたりの作品は、読み返すと、登場人物のセリフが脳裏から蘇ってくる。
小学校か中学校のころ、少女マンガ雑誌「なかよし」の連載で読んでいた作品だ。
「なかよし」は妹が親から買ってもらっていて、それを回してもらっていた。
ただし、「なかよし」掲載作品の中で「キャンディ・キャンディ」と高階良子のホラー作品以外を思い出すことができない。
僕は思春期を迎えるころ、「キャンディ・キャンディ」によって人の運命の可能性を知り、高階良子によってSF物語の面白さを覚えた。前者は今、美内すずえの「ガラスの仮面」や上橋菜穂子の「守り人」シリーズへの嗜好につながっていて、後者は山岸涼子や萩尾望都のホラーやSFチックなマンガへの嗜好につながっているように思う。
結局、夢見るようなお話に惹かれるのだ。ちょっと不思議な出来事が起きる物語に目がない。だから、そういう感覚で村上春樹を読んだり、粕谷知世を読んだり、最近は吉本ばななの「はごろも」が面白かったりするのだろう。
思春期に三島由紀夫を読んでいたら、宮澤賢治を読んでいたら、・・・もっとまともな人間になっていたかもしれないんだけど、これはこれでよかろう。
楽しき物語は次から次へと僕の前に現れて、新しい世界へ連れて行ってくれるのだから。

YOGA:肉から骨を解放する

今日のヨガレッスンのインストラクターは名古屋では有名な(と思われる)Y先生。
1月までのL先生は今インドに修行に行ってしまわれたのでしばらくは代行の先生になる。
Y先生はとても精密なガイドをしてくれる。
精密なガイドというのは、例えば、呼吸をするときに、身体のどこを意識すればよいのか、そして、順を追ってどの方向に何を感じながら呼吸を「通して」行けばよいのかを事細かに指示してくれる。慣れないと、そのガイドにどうにかこうにかついていくのが精一杯になり、その「ついていく」ことに頭が行ってしまって、本末転倒になる。
丹田に集中して、大地からエネルギーを吸い上げるように息を吸い、・・・頭頂から吐き出しましょう。風を感じていますか?・・・みたいに。突然7つのチャクラを開きましたか?と問われたりすると、7つのそれぞれがなんだったか考えてしまって、やはり集中が途切れる。
Y先生のガイドに慣れてしまえば良いのだが、YOGAの精神を追及しようとしていない凡人にとっては難しいレッスンになる。
ちなみに、7つのチャクラとは、下から順に、
①ムーラダーラ (会陰:肛門と生殖器の間)
②スヴァディシュターナ (丹田:おへそのした)
③マニプラ (みぞおちとへその間)
④アナハタ  (胸:両乳首の間)
⑤ヴィシュダ (のど仏のした)
⑥アジーナ  (眉間の少し上)
⑦サハスラーラ (百会:頭頂)
のこと。
身体が健康で心が落ち着いているときには、気(プラーナ)のエネルギーが身体を出入りできるようにチャクラが開いているのだそうだ。
ヨガでは、瞑想とアーサナ(ポーズ)によって、自らチャクラを開き、エネルギーを大地から取り入れたり、空に向かって出したりする。
これを、わかりやすい「呼吸」になぞらえて、呼吸が体幹から体の末端まで流れるようにイメージすることによって、気(プラーナ)が身体を巡ったり、出入りしたりするのを体現しようとする。
と僕は理解している。
しかし、そうは言ってもプラーナというものを見ることはできないし、本当に空気や水といった実体のように触れて確かめることもできないし、今のところ、そういうものがあると信じて、身体の中のどこに今満ちていてどこを流れているのかということを常に探りながら精神を集中するよりほかなく、それを続けることで、自分の身体をより細かく感じられるようにしていく。

しかし、Y先生はじめ、若い生徒さん達は、例えば、腕を上に上げるのもスムーズで肩が軟らかい。特に自分は肩回りの筋肉かスジが固いため、腕が真上に上がらない。肩が後ろに出て、腰から上体が後ろに反るようにしてはじめて、頭頂でナマステ(合掌)ができるという具合だ。これは昔からそうで、高校時代に器械体操をやっていたが、肩が固いため、倒立も美しくなく、バク転もなかなかうまくできなかった。
実は、骨だけだったら、関節はもっと自由に動き、肩から真上に腕を上げることは平気なのだという。腕が上がらないのは、筋肉やスジが充分伸びないからだ。人間が骨だけになれば、腕も足も腰もどこもかしこも関節の周りに回すことができる。サーカスで身体がぐにゃぐにゃ曲がる人も、関節が軟らかいというのはたぶん正確な表現ではなく、関節周りの筋肉や腱が軟らかいのだ。
背骨(脊椎)は、人が立って生活する以上、その骨の隙間は重力を受けてだんだんつまってくる。朝よりも夜の方が身長が微妙に低いと言われている。
骨は関節で緩くありたいし、自由に曲がれるはずなのに、肉がそれを阻止している。もちろん、筋肉や腱は人の身体の動きを制御するためになくてはならない器官だが、一方で骨の自由を奪ってもいる。
YOGAは、もしかすると、これを両立させようとしているのではないかと、今日、ふと思った。
骨に心が宿っているとするならば、それをできるだけ緩めて解放してあげることが、真に心を開き、身体を自由に動かせることにつながる。

肉から骨を解放する

そう考えてYOGAで身体を動かしてみようと思う。

映画 アメリ

アメリという映画を見た。CSのFOXチャンネルで放映していたのを録画しておいて、昼間にカミさんとまったりしながら観た。
アメリのテーマ曲をフィギュアスケート男子シングルの高橋大輔君がエキシビションプログラムの音楽に使っていたことから、いつか見てみたいと思っていた。エキシビションではピアノで演奏されて、もの寂しげで静かな心落ち着く曲に仕上がっていて、そこに、ランビエールの振り付けの上品さがよく合っていた。

この映画を録画できたのは、偶然が3回くらい重なって実現したのだが、ややこしいので書かない。とにかく、これは、神様が見るといいよと言ってくれてるとしか思えなかった。そして、その通り気分のよい映画だった。

この映画は、フランス映画らしくこじゃれたセンスをバックに、深刻さを感じさせないけれども閉じた心を抱えて何かもがいているような女の子の心理をコミカルに表現していて面白い秀作だった。
主演のアメリを演じた女優の可愛らしい容姿と演技、顔の表情は忘れられない。綾瀬はるかの顔をもう少しあごのラインをしゅっとさせて、目を大きく魅力的にぱっちりと大きくした感じで、笑うと口元が愛らしい(だんぜんアメリの方が可愛いが、誰に似ているかとしいて言えば、ということ)。
件のアメリの音楽は、映画の中ではアコーディオン演奏で、リズミカルな3拍子で、物語の進行役を務めているかのごとく流れていた。高橋君の演技は、映画の雰囲気とはまた別物だということがわかった。どちらもそれぞれの味を出していてよいのではないか、と思った。

ショパン 舟歌



カミさんと友人で催したピアノジョイントリサイタル「水のコンサート」(1月14日、名古屋伏見)で弾いたショパンの舟歌の録音です。結構、うまく弾けてるんじゃないかと思います。
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