直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

2014年10月の記事

誤り続けた人生51年

ペーパークラフト作製日記 弥勒菩薩つづき2

先週は忙しくてできなかったが、今日は少し進んだ。下半身のひざ下の衣のひだの部分。
ひだひだのすべてを紙で表現しているわけではなさそうだ。大きなひだに絞って実際に凹凸を繰り返す。小さなひだは印刷でごまかす。でも、離れてみれば十分立体的で、なかなかのものだ。

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少し斜めから。
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右足の下、左足の後ろの辺りの衣の襞がなかなかリアルだ。この工程はまだまだ続く。お尻から下のほうが残っている。

頭部や手も難しかったが、下半身は工程の長さと全体が歪無くつながらなければならないところが難易度高いようだ。もう少しで終わるので頑張ろう。

さて、実は先々週の作業で右手親指がしびれる感覚があり、腱鞘炎になりかけているのではないかと疑った。翌日には治っており、会社に行って仕事をしている平日はなんともない。鋏で展開図の部品を切り取る作業をしなければ大丈夫だった。

しかし、鋏で紙を切るだけで腱鞘炎になるのか。朝から晩まで切り続けているわけではない。ある程度切ったら、折って貼るという作業になるので、作業全体の1/3くらいの時間しか鋏を握っていない。細かく、切り取り線にきちんと沿って切るために余計な力が入っているのだろうが、それでも腱鞘炎になるほどのことなのか。
もしや鋏の持ち方が悪いのではないか、と思って、ネット検索をしてみると、なんと本当に間違っていることが判明した。
ああ、なんということだろうか!鋏の持ち方などどいう基本的な所作が間違っていたなんて!
驚きとともに愉快でもあった。いったいいつ僕は鋏の持ち方を覚えたのだろう。誰から教わったのだろう。全く記憶がない。箸や鉛筆の持ち方もボタンのかけかたも紐の結び方も覚えていない。何となくだが、鋏の場合は勝手に自分で使い始めたような気がする。

鋏の持ち方。
まずは間違っていたその持ち方とは、親指と人差し指と中指を指孔に入れていたことである。次いで、親指を深くいれてなかったこと。この2点。
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あとから考えれば、親指に相当負担がかかるような持ち方である。
正しくは、①親指を動刃穴(指孔のひとつ)に深くいれる(付け根まで)、②もうひとつの指孔に中指と薬指を入れる、③人差し指は添えるだけ、だそうだ。
こんな感じ。
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細かい作業をするのだから、ピンセットでつまむようなイメージの間違った方の持ち方の方が精密に動作するような気がするが、鋏を手のひらで握るような正しい持ち方の方が実は安定して切りやすい。切る先がふらつかないのだ。そして、切ってみてわかるのは、親指の負担が明らかに少ないのだ。

正しい持ち方をしっかり解説しているのは、美容師さん向けのサイトだ。ただし、ここでは穴が小さいので中指と薬指を両方入れることはできない。美容師さんや医師の場合は薬指を入れる。普通の紙切はさみ、工作用はさみは、子供にどうやって教えるかということで解説されている。保育士さんなんかは、きちんと教わっているみたいだ。

鋏の正しい持ち方くらい当たり前に知っていると思っている人が大半なのかもしれない。けれど僕はこれまで人生51年、鋏の正しい持ち方を知らなかったわけで、こんなささいなことだけれど、同類がいたらうれしいなと思ってここに書き付けた次第。
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ペーパークラフト作製日記 その□※▽

次なる大作に取り掛かる前に弥勒菩薩を作ってしまわねば。
とはいうものの、気になる小物をネット上でみつけたので作ってみた。
知る人ぞ知る漫画「夏目友人帳」にでてくる「にゃんこ先生」である。
前に簡単なやつを作って紹介したかもしれないが、すでに本物の猫の餌食になって今は無い。
今度のやつはどうも台湾の人が展開図を作ったみたいでダウンロードするときにちょっと怖かった。
それは、このページにアクセスしてみればわかる。展開図はソフト「ペパクラビューワー」(フリー)をインストールしていないと見れないし印刷もできないのでちょっと面倒だ。(世のペーパークラフト作家?は作りたいモデルを3Dデータにして、ペパクラデザイナーというソフトで処理すると展開図にできるらしい。こちらは有償ソフトだが、作製された展開図などのデータを見るのは誰でもできる。ありがたい。)このソフトで作ったペーパークラフトは基本、曲線を多面体近似しているので、今回のにゃんこ先生のようにごつごつしているのが多い。ともあれ、作ったにゃんこ先生はこちら。

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正面から見ても、左から見ても右から見ても、いつもこっちを見ている。
作ってみるまでどうやってるんだかわからなかったが、簡単なことだった。
瞳を少し奥に引っ込めているだけ。
でも面白い。

さてさて、弥勒菩薩はというと、先週も作ったのだが、わずかに右手と左手のみ。あわせてA4用紙1枚分だが、結構大変だった。5本の指が各関節で微妙にそれぞれ曲がっている様子を再現しているので、一本の指は3つのパーツを輪っかにして作る。これを繋げる。さらに手のひらに5本の指を取り付けるのは、かなり難しい。前に阿修羅像で経験したことがあり、そのときは6本の手だったし、今回の弥勒菩薩の手よりも2まわりほど小さかったので、慣れているはずだったが、それでも時間はかかった。

今週は、腰と右足である。弥勒菩薩は半跏思惟像であるので右足先を左大腿部にのせて足を組む(半跏)。下半身は衣をまとっているので、衣の襞を表現しつつ、曲げた足と衣から出た足先を表現する。部品は結構大きいので、手を作るよりは易しい。けれども、切断をいい加減にやるとちょっとずつずれて、組み立てが進むほどに、つなぎ目が合わなくなってくるので、鋏仕事は気が抜けない。結果的に、ところどころ小さな針の孔のような隙間ができてしまったが、全体としては悪くない。いろんな角度から見てみよう。

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最後のやつを見てもらえば、どのくらいの間隔で部品をのりづけしているかわかるかと思う。
それにしても、写真であらためて見ると、曲線であるべきところが角張っているのが惜しい。本当は折り目をつけなくてもできるのだろうが、安全を見て指示通りの山折り、谷折り線で折り目をつけて作っている。折り目が必要な場所と無くても良い場所を予め判断して進めればよいのだが、そこまでする気力はなかった。
全体ができてしまえば、そういうアラはあまり目立たないだろうし。

上半身はすでにできあがっているし、基台も最初に作ったし、あとは左足だけのはずだが、まだ展開図は何枚もある。お尻からしたの衣が垂れてる部分が最後の難関になりそうだ。ま、でも作るのは楽しい。

作業をしながら、身体の使い方について考えてみる。鋏を使うとき、折り目を付けるとき、気が付くと肩に力が入っている。頭が固定されている。足を踏ん張っている。足先を机の脚に押し付けている。手先の作業なのに、身体中のあちこちに力が入り緊張していることに気付く。呼吸が止まっていたり浅くなっていたりすることもある。気づくたびにその部分の力を抜いてみる。力を抜いても作業は難なくできる。なるほど、丁寧にやろうと気を付ける気持ちがそうさせているだけだ。今、この瞬間もキーボードを打ちながら、肩が上がって緊張していることに気付いた。力を抜いても同じようにタイピングできる。
これを続けていけば、手作業やパソコン作業の疲れ度合がかなり緩和されるような気がする。さらに作業が正確で速くなれば言うことはないので、しばらく試してみることにする。気が付くたびに力が入っているので、常時不要な力を抜きながら作業できるようになるのはだいぶ先のことだろう。

なんで、こんなことをやってるのかというと、今読んでる本「しないことリストのすすめ」の一節に「アレクサンダーテクニーク」が簡単に紹介されていて、応用できそうだと思ったからだ。アレクサンダーテクニークというのは、しっかり学んだわけではないが、以前何かで知って2冊ほど本を買って読んだことがある。あまりピンとこなかったので本自体売ってしまった。身体の使い方のテクニックのことだろうという程度の理解しかなかった。「しないことリストのすすめ」には次のように書いてある。

「心身の不必要な緊張に気付き、これをやめていくことを学習する」
「誰にでも、無意識的な習慣や癖がある。何かをしようする際に不必要な反応が生じ、その不必要な運動を行おうとして、不必要な緊張が生じる。それが、しようとしている行為や動作が自由に行われるのを妨げているのだ」

なるほどね、と思って、ネット上でもわかりやすい解説を探してみると、東京芸大で非常勤講師としてアレクサンダーテクニークを教えているホルン奏者の方の文章があった。これも大変参考になる。身体だけじゃなくて、心の緊張の問題について書いてあったのは面白かった。舞台で緊張して硬くなるのは、身体が硬くなるんじゃなくて、自分が身体を硬くしている。身体は自分の脳の指令のとおりに一所懸命動く(硬くなる)だけ。ならば思考を変えればよい。緊張し、身体を硬くしてしまうのは、どんなに努力して練習して、十分に時間をかけても、「緊張する思考」が変わってないからだと言う。「現実」を確認する、ということをしていくと、自分の思いこそが「現実」とずれていることに気が付く。現実をひとつひとつ確認していくと、現実は自信を持ってよいことをちゃんと教えてくれる。その現実の声が聞こえて、『思考』が変わった時、緊張は消えて行くのだと言う。
なるほど、なるほど。つい、会社でのプレゼンのときのことを思い出す。今度そのときになったら、この方法で対処してみようと思う。楽器の演奏とは違うのでうまくいくかどうかはわからないが(発表そのものよりも、その内容自体が議論になるので、それに自信を持つのは容易ではない。)。

ついでに、「しないことリストのすすめ」(まだ読み切ってないが)のアレクサンダーテクニークの次に書いてあることも気に入ったので、引用しておく。

医師の鎌田實さんは「がんばらない」という本を書いて有名になった。そのあと「あきらめない」という本を書いた。「がんばらないということはあきらめてもいいことなのか」という声に対する彼なりの答えだったようだ。さらにしばらくたってから「それでもやっぱりがんばらない」という本を書いたそうだ。
「あきらめない」ということばについて、脚本家の山田太一さんは「あきらめるなとよく言われるが、この言い方は、あきらめさえしなければ誰にでも夢がかなうかのような幻想を振りまくものだ」と言っていた。「限界だらけでぼくらは生きているわけで、そんなにうまくいかないのが普通なんです。その普通がいいんだと思わなければ、挫折感ばかり抱えて心を病んでしまう。僕は一握りの成功者が「頑張れば夢はかなう」と言うのは傲慢だと思っています。」
「あきらめる」という言葉は、もともと「あきらかにみとめる」からきているという説がある。山田さんが言うのも、自分の弱さや限界を、認め、それに向き合うことの大切さであり、認めないこととしての「がんばる」の危険性だろう。


がんばる、がんばらない、について何の脈絡もなくここに引用してしまったが、本を読んでなるほどと思ったことでもしばらくすると忘れてしまうので、今のうちに機会をみつけて書き留めておこうと思った次第。本を読んでも一回限りだと一時記憶にしか留まらないのでたいていのことは忘れていってしまうそうだ。(これも何かの本に書いてあった。もちろん、数日前に読んだばかりなので覚えているのだが。)忘れないためには、読み直すか書き留めるしかないらしい。

確かに成功している人は「がんばった」に違いない。しかし、がんばりだけで成功したわけじゃない。何をやるか、が適切だった。その選択がよかった(ノーベル物理学賞を受賞した赤崎教授が研究では「どうやるか」ではなく「何をやるか」が重要とコメントしていたのはまさにこのこと)。運がよかった。時代にマッチした。思わぬ助け人が現れた。ライバルが自滅した。等々、いろんな状況があったからこそ成功したはず。もちろん、才能もあってだろう。才能と「何を」がマッチしたのだろうし。
山田太一さんのエッセイなんか読むと、達観していてちょっと斜に構えているような感じもあるが、おそらく、先ほどの言葉は真実だろう。いつどこで役に立つかわからないけど、腑に落ちるので覚えておこうと思う。

実は、ここまでの話は今朝、カミさんとランチしながら話したことである。一度言葉にしておいたことは文章にしやすい。ほとんど引用ではあるけれど。復習にはなった。

他に「モチベーションが上がる、下がる」ということについても面白いことが書いてあった。そのうち僕は「モチベーション発言」禁止条例でも出そうかと思っていたところなので、背中を押されたような気がした。禁止条例はもう少し練ってから書くことにする。

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