直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

2015年03月の記事

久しぶりの一泊旅行 徳島

猫と同居してから初めて一晩家を空けた.一晩くらい大丈夫だろうと思ってトイレを3つ用意して、ごはんを大目に盛っておいてでかけた.特に問題はなかった.3つのトイレに万遍なく排泄してあった.処理するのに多少は時間かかったが、他のところを汚していたりなどしておらずありがたかった.

さて、どこに行ったかというと、徳島県三好市の大歩危である.20年以上前に一人で四国を旅したときに行って以来だ.
今回は、カミさんがどうしても行ってみたい宿があるというので、そこに泊まるのが目的で行った.
自然菜食と田舎暮らしの古民家宿 空音遊 (くうねるあそぶ)というお宿.
ここの自然菜食が食べたかったのだ.もちろん、僕もそれが楽しみ.

JR大歩危駅から東側の山の奥に祖谷という地域がある.ここは平家の落ち武者が隠れ住んだところといわれており、また、かずら橋という吊り橋が有名だ.なので、そこにも行ってかずら橋を渡ってみた.

宿は祖谷までは行かず、大歩危の近くの吉野川を見下ろす小さな村落にある.
地図
四国の真ん中らへんあたりの航空写真のこの辺だが、ほんとに山の中の古民家で、近くには何の店もない.交通手段もないので、送迎してもらうか、小一時間歩くかである.
ここは宿泊客もオーナーも皆で食事をする.食事の前に近くのホテルの温泉に連れて行ってもらったが、その時からだが、久しぶりに英語で会話をしなければならなかった.ここはこんなに山奥のひなびた村の一軒宿で、襖で仕切られた古い民家の宿なのだが、外国人が多く泊まるのである.昨晩は、スエーデン、イスラエルからの客と一緒になった、日本人は、うちら3人と一人旅の男性ひとり、女性ひとり.スエーデン語、ヘブライ語でそれぞれ小声で話す傍ら、皆で英語でお話をしたり、もちろん日本人同士日本語で話したり、食事とその後の語らいタイムはなかなかな経験だった.
こういう形式の宿に泊まったのは初めてだが、それなりに面白かった.スエーデン人の夫婦とは、今朝、祖谷のかずら橋まで一緒に行って観光を楽しみ、そこで別れたが、外国人から見てもこのあたりは面白いのだろうな.日本に居ても滅多にこれないところだし.

オーナーの保坂さんは、とてもユニークな方らしく、自費出版の本を買って読んだけれども、なかなか、こういう宿でこういうゲストを迎えて10年もやれている理由もわかる気がする.

外国人が多いのはどうも口コミサイトで広がったらしい.が、わざわざ大歩危まで来るのも変わっている.

肝心の料理はとても美味しかった.たくさん食べたけれど胃にもたれず、翌日は快便だった.毎日こういう食事ができたらよいと思った.

大歩危と祖谷の写真を少し.小便小僧の写真があるが、道路脇から飛び出た岩の上に立っている.昔、この地域の誰かが度胸試しで立小便をしたのを聴いた村長が発案して建てたそうだ.なんでこんなところに、と思うような秘境にあるが、実際見てみると、結構、はまっている.

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大歩危駅にあるこなきじじい.

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鼻水を垂らしているように見えるのは、だたの雨水です.

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キウイの樹の処分

購入した中古住宅には、キウイの樹がある.
2階建ての母屋の西側は敷地境界まで1.5mほどしかなく、その狭い場所に植えてある.
敷地は擁壁の上なので、キウイの樹は、下の道路から見上げることになる.

キウイの樹は、蔓がたくさん伸びる性で、ほっておくと大変なことになる.

実際、大変なことになっていた.
キウイを育てていた高齢の奥さんはだいぶ前に亡くなったらしく、その後誰も手入れをしていなかったみたいだ.
蔓が伸び放題で、家に引き込む電話線に絡まり、擁壁から2~3メートル上の空中を這う電線にまでのびて絡みついている.隣の庭の桜の木の枝にも2本の蔓が絡まっている.家の壁にも這っていて、雨戸の戸袋の中に侵入し、別の隙間から出てさらに屋根まで伸びていた.

このまま春、夏となれば、さらに蔓は伸びるし、いつ電話線や電線が損傷するかわからないし、秋に葉っぱが敷地の外に落ちれば近所に迷惑をかけるし(ここ数年、迷惑をかけっぱなしだったようだ)、処置しないといけない.

これからリフォームの設計をして工事を始め、入居できるのはおそらく1年後だろう.

それまでほっておくことはできないと思って、今日は昼からキウイの樹の処分に行った.
長靴と枝切り鋏をホームセンターで買い、作業着に着替えて、いざ出陣.

どこからどうしてやればよいのかわからない.
初めての経験だ.庭木の剪定すらやったことがない.
普通の木なら根元をのこぎりで切ればよいが、キウイの樹は迷路のように枝がぐねぐねと伸びては絡まっているので、仮に根元を切っても除去できたことにはならない.蔓を這わせるための鉄パイプで作った棚があって、これにも絡まっている.とにかく細かく切っていくことに決めた.枝別れしていると捨てるのにまとめにくいし、とにかく細かく切る.
少しずつ進め、脚立も使って電話線との絡みの部分は5cm間隔ですこしずつ切り落としていった.

鉄パイプも腐っていたので、少し力を入れたらねじ切ることができた.鉄パイプの棚も邪魔だったので、分解し、ひっこぬきながら進めた.2時間近くかかっただろうか.建物の2階から屋根にかけて絡まっている蔓を除き、すべての蔓と枝を切り落とすことができた.

すっきりした.落とした枝はそのまま地面にばらまいたまま.枯れて土に帰るだろう.もしくは、リフォーム工事の準備で庭木を伐採してもらうときに一緒に処分してもらおう.

キウイを育てるなら、最後まで面倒を見よう.毎年剪定をしよう.敷地境界に植えるのはやめよう!

というのが今日の教訓.

しかし、中古住宅というのは、それまで住んでいた人の遺産(いろんな意味で)があるので、手間がかかる.特にこの家は庭が荒れ放題だ.枯れた松が立ち枯れたままだし、石灯籠も壊れたままだし.
それも含めて安く購入できたのだから、しかたがない.

慌てずゆっくり少しずつ整理していこうと思う.

初鳴き

鶴舞公園を歩くのは最近気持ちいい.
梅が咲き、晴れた朝の陽に当たる緑も活きて見える.

金曜日朝の出勤途中.梅の近くに咲き終わりを迎えた山茶花の木立から、透きとおり響くようなウグイスの鳴くのを聴いた.
僕にとっての初鳴き.

気象庁の初鳴き前線地図を見ると、1961年から1990年の平均だそうだが、愛知県は2月28日から3月10日の間にある.ウグイスの初鳴きをこの日と決める方法について思いめぐらしてみた.例えば愛知県内に生息するウグイスの中で一等最初に鳴くウグイスを誰が正確に知りうるのだろうか.できっこない.
例えば、ある場所、もしくは、ある木を決めて、そこにくるウグイスを毎日観測すればできそうだが、それでも、一日中観測していないと初鳴きしたかどうかわからないのではなかろうか.
いったいどうやって、その地域の初鳴き日を決めているのだろうか.

それはさておき、ウグイスの鳴くのを立ち止まって聞いている女性がいた.
彼女は40代か50代だろうか、出勤途中の風体である.
僕も立ち止まり、ウグイスがいるあたりを窺うと、彼女が口をきいてきた.
「どこにいるかわかります?」
目を凝らしてみると、ウグイスらしき小鳥が葉陰を飛び移る姿が見えた.飛びながら鳴くのだろうか、という疑問を持ちつつ、
「飛び移ってるみたいですね」
と返すと
「まだ鳴き方は下手ですけどね」
と言って、歩き始めた.
僕の行く手と同じなので、少し遅れて歩き出した.

通勤途中でも風情を楽しむ心を持つ人とわかれば、楽しみを分かち合いたくなる気持ちは心地よい.
風雅を前にして時を分かつ人には誰にでも自然にすっと言葉をかけられる人間でありたい.

猫は人につく?

「犬は人に付き、猫は家に付く」
だから、引っ越しても犬は問題ないけど、猫は新しい家には馴れない.犬は飼い主が変わると新しい飼い主に慣れるのに時間がかかる.
昔どこかで聞いた話だし、よく言われる定説のようなものだと思うのだが、本当なのだろうか.

今一緒に暮らしている猫たちは、もちろんこの家に馴染んで過ごしているに違いないが、僕とカミさんにも馴染んでいるのはよくわかる.特に警戒心の強いキジトラ君の方はあきらかに人に対する態度が違う.知らない人が来ると逃げて隠れるが、僕が家に帰るとキジトラの「そら」は「にゃにゃあ!」と言って僕を見上げてじっと見つめてくる.遊んでほしいと言ってる.僕が構わずにパソコンや本やテレビを見たりしていると、何度も「にゃにゃあ~」と呼びかけてくる.
いつもはリビングにいるのだが、寝るときは我々の寝室にやってくる.「そら」はよくカミさんの枕を占領するし、茶トラの「海」は僕の布団に入ってくる.
明らかに人の近くにいたいわけだ.
名前を呼べば振り返って、「なあ~」と応える.
たぶん彼らは僕らに懐いている.
単に遊んでほしい、ご飯をくれ~、という本能的な欲求のためにすり寄ってくるだけなら、懐いていると思うのは勘違いの可能性もある.が、一緒に寝るというところまでくると、懐いていると言ってもよかろう.

家に獣がいるということ.
そいつらが闊歩しているということ.
毛むくじゃらのやつらと少ないがコミュニケーションしているということ.
ひっつかまえても、追いかけても、肩に背負っても、赤ちゃん抱っこしても、凶暴に暴れられたりひっかかれたり噛まれたりしないで大人しくしているということ.
わざと腹をしつこくもふもふして、足の爪でけりを入れられたり、軽く噛まれたり(甘噛み)するのを楽しんでできるということ.その加減をわかっているということ.

一昔前の自分には考えられなかった生活の変化である.
猫だからか.

猫だからだ.

と思う.

モナリザ 立体視

レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作「モナリザ」の模写の話.

プラド美術館にあるその模写は、弟子が書いた模写で、模写の中でも最も古いことがわかったそうだ.
テレビ番組でさらにつっこんだ紹介をしていた.オリジナルとこの模写はモデルに対する画家の目線の角度が微妙に違う.その角度はちょうど目の位置が7cm離れた程度であるとのこと.詳細の分析の結果、オリジナルは、モデルに対して左寄り、模写は右寄りにキャンバスをおいて同時に書かれた.ダ・ヴィンチは左目でモデルを見、弟子は右目でモデルを見る.その左目と右目の距離が7cm.7cmというのは人の両目の間隔と同じである.

オリジナルと模写は、ちょうどひとりの人がモデルを見た場合に、右目で見た絵と左目で見た絵ということになる.
これは、立体視画像そのものではないか!
番組では、この二つを立体画像の概念を狙ったものとし、それぞれの絵を赤、青別々のフィルター処理し、それを合成するという手の込んだことをして、赤青メガネで立体画像として見ることをトライしていた.ゲストに見せていたが、テレビを見ている我々にはわからない.
そんなことしなくても、2つの絵を並べて、立体視すればいいだけのこと.立体視は誰でもできるはずだが得意不得意があって、番組の短時間で視聴者に簡単に教えることはできないので避けたのかもしれない.
僕は得意なのですぐにやってみたかったが、なかなか2つの絵を並べて映してくれない.
ネットで探したら見つかったので、立体視してみた.オリジナルはモデルに向かって右側から、模写は左側から見ているので、この画像は逆に並んでいることになる.つまり、立体視するには、交差法を用いることになる.(つまり、寄り目にしてみるということ.二つの絵をぼんやり同時に眺め、寄り目にしながら焦点を絵よりも手前に持ってくる.すると、2つの絵が次第に中央に寄ってきて重なる.この瞬間が味噌だ.重なった瞬間、立体画像として像を結ぶのだが、この感覚は経験してみないとわからないけれど、世界に奥行ができたような快感を得ることができる.)
人が描いたものなので正確ではないのだろう、奥行はいまいちだが、顔のあたりは立体的に見える.確かに立体視画像になっている.
ダ・ヴィンチはもしかしたら立体視の見方を知っていたのかもしれない.当時、3Dメガネも、それ用の画像処理技術もなかったのだから.人の両目で物が立体に見える原理はわかっていたらしい.それを図解しているメモが残っているそうだ.
すごいね、としかいいようがない.
さて、その画像はこのサイトにある. 僕はこれで立体視ができた.皆さんはどうでしょう?

モナリザ

では.

庭木について

近所を歩きながら、気になって家々の庭木を見るようになった。だいたいどこの家も同じように、松やカイヅカイブキを植えている。梅や椿もある。この時期、白梅や紅梅がちょうど見頃に咲いており、どの家に梅があるかすぐにわかる。目隠しや防犯のために、どこの家も塀を設えてあり、その内側の狭いスペースに庭木を押し込むように植えていたり、塀の代わりにカイヅカイブキやサツキを植えている場合もある。ハウスメーカーが建てたようなモダンな家は少し違った種類の木が植えてある。どちらかというと、線の細いシュッとした感じの葉の密度のうすいものが多い。
梅はいい。今日も猫を病院に連れて行った帰り道、他所様の家の塀の上から出ている梅の木に白い綺麗な花がさいていた。近づいてひとつの花弁をよく観察するように眺めてみると、雄しべ、雌しべまでが輝くように楚々とした姿を呈している。梅はいい、と思った。
すぐ隣の家には、白い椿の花が丸々と咲いていた。手のひらを包み込んだような形の真っ白い椿の花。木に咲く白い花は素敵だ。高くそびえるタイサンボクを見上げて大きな白い花を見つけたときの感慨を思い出す。自然の風景の中に真っ白い色は、ハッとするように目立つ。白い花はいい。

先日手に入った中古住宅の庭にも庭木がたくさん植えてある。しばらく手入れされていないので、なんとかしなければと思ってはいるが、さてどうしよう。
あるのはこんな木達だ。
カイヅカイブキ、松(残念ながら枯れている)、樅の木、サツキ(だと思う)、槇、檜、山茶花
他にもあるが、名前を知らない。
今日、思い返してみて共通点があることに気がついた。それは、どれも冬でも葉が落ちない樹木ということだ。
秋から冬にかけて、なんどか訪れ、家や庭を見ていて気がつかなかったが、冬枯れの葉の落ちた落葉樹が無い。どの木も葉がついている。
偶然ではなく、おそらく意図的なのだろう。樅の木や檜まであって、全体としてどういう方向性があるのかわからない。何も考えず、次々に行き当たりばったりで植えて行ったのだろうか。植えるときはそれなりに理由があったに違いない。特に、樅の木は離れて2本もあるのは何か意味があるのかもしれない。灯篭や日本風の池もあるのに樅の木がどういう脈絡で植えられているのか謎だ。
この庭を作ったのは、この家を建て増築して一代を築き、すでに亡くなった老夫婦だと思うが、長い年月の中でしあげてきた庭であろう。もしかすると、身体をこわして世話ができなくなってから、勝手に伸びてきた木もあるかもしれない。ひとつだけ想像できるのは、いつも緑にしていたかったのだろうということだ。落葉樹は、葉が落ちて枝だけになるといかにも寂しい。春に花が咲き、次いで新緑が芽生えるのを見るのも変化があってよさそうなものだが、冬の枯れた庭の風景を好まなかったのだろう。庭の一角にガラス張りの小さな温室があり、中には蘭を育てていた形跡がある。温室なら蘭は1年中見られる。奥さんが好きで育てていたらしい。いつも緑と花に囲まれていたかったのだろう。(温室は、中から育って伸びてきた木にガラスが突き破られ、扉も壊れかけていた。危ないしどうしようもないので、売主さんに撤去してもらった。残念ながら、温室で観葉植物を育てる機会はなくなってしまったが。)
もしかすると、落葉樹は落ち葉を掃除するのが面倒だから植えなかったというオチはないだろうな。たぶん、そうではないことにしておく。

さて僕らはどんな庭にしようか、家をどうリフォームするのかも楽しみだが、庭を作り変えるのもまた楽しみだ。

中古一戸建て


中古一戸建てを買った.
今日、有給休暇を取って、売主、司法書士、不動産屋との間で売買代金や諸費用の決済を済ませ、物件引き渡しを終えた.


感慨深い.


日経なんとかのWeb記事に、TOTOのような水回り機器の売れ行きが好調な理由が解説してあった.少子高齢化で新築住宅の着工件数は減りつつあるのに、トイレやお風呂の売り上げが伸びていて、さらに今後も各メーカー強気の予想らしい.
なぜか?それは、自宅のリフォームや、中古物件を買ってリフォームするケースが増えているからだ.新築では、トイレやバスだけでなくすべての設備が必要なので、個々に高級設備を入れる余裕はないが、リフォームならひとつずつ好みに応じて選んでいける.すぐに必要なものではないので、時期をずらすこともできる.そして、ショールームに行ってゆっくり選ぶことになる.見れば見るほど良いモノが欲しくなる.結果、高級機種を買う人が増えるというわけだ.つまり、購入単価が高くなってきているということらしい.
この記事を書いた人も中古物件をリフォームしているとのこと.そして、こう書いている.

”日本では長らく「新築住宅至上主義」だった。高度経済成長期には、“住宅すごろく”なる言葉も飛び交った。新婚時代は小さなアパートを借り、子どもが生まれると広めの賃貸マンションに移る。出世して収入が増えたら新築分譲マンションを買って、最後にそれを売却して、庭付き一戸建てを持つとゴール、というストーリーだ。だが、地価神話の終了で、このすごろくは機能しなくなった。言い換えれば「買うなら新築、最後は戸建て」だったゴールが、ずっと賃貸、最初から中古、買い換えよりリフォーム、といった具合に多様化している。”

この住宅すごろくなる言葉は知らなかったし、そういうストーリーを考えていたわけではなかった.実際、数年前までは、一戸建てを買おうなどとは思ってもいなかった.そうした夢を持ってもいなかった.しかし、結果的に自分の人生はこの住宅すごろくにだいたい沿ったものになりそうだ.
高校時代までは西三河の一戸建ての自宅で過ごし、大学時代は古い木造の下宿で過ごし、就職してからは会社の寮の四畳半の部屋に移った.結婚を機に2LDKの賃貸アパートに入り、子供ができてから、4LDKの分譲マンションを購入した.部屋数はまあまあのように思われるかもしれないが、一部屋はカミさんのグランドピアノ用である.そして、このマンションで、少なくとも会社人生終わるまですごすのかな?と何も考えずに生きてきた.
しかし、子供も大学生になって下宿を始め、カミさんもピアノ演奏を本格化してきて、そのほか、いろいろとプライベートの過ごし方や趣味趣向も変わってきた中で、住環境を変えたいという考えが湧き上がってきた.
そして、ちょうど1年前にとある工務店を訪問したのをきっかけに物件探しが始まった.
まずは土地探しをしてからハウスメーカーか工務店を選ぶという手順が普通ではないかと思うが、僕らが工務店に行ったのは、まずは「チルチンびと」に載っている良さげな家を作る工務店では、実際にどんな家作りをするのか、いくらくらいかかるのかを知り、勉強しようという気持ちだった.だがそこで、新築よりも中古を買って再築したほうが1000万円くらい安くなりますよと言われ、さらに物件探しの手伝いもすると言われた.一緒に探してくれるということではなく、基本は僕らが捜して、候補となる物件を下見して大丈夫かどうか診断してくれるということだ.土地の様子や家の作りなどチェックしてくれるので、リフォーム前提で中古物件を買う際に安心して買うことができる.考えてみれば心強い話だ.
この工務店さんは、他にもいろいろな面で気に入った.物件を探し始める最初から、リフォームをこの工務店さんにお願いするつもりで行動を開始した.
今のマンション住まいは、良い面もあれば改善したいところがある.良い面は、街中にあって買い物場所やレストランや病院などが多くて便利だということだ.駅にも近く通勤にも便利だ.子供を育てる間は、その便利さがありがたかった.もちろん、子育てに最適だったかというとそうではない.自然が多いわけではないし、目の前は国道で騒音が大きい.でも、その分、休日に子供を連れて自然の中に遊びに行ったし、いろんな体験ツアーにも参加させてそれなりに強い子になったとは思う.
子育てを終えて、夫婦ふたりの生活になると、いままで潜在的に我慢してきたことが意識の上に上がってくる.たとえば、駐車場.マンションの駐車場は狭い.しかもたまたま僕の車の両横は大型のワンボックスで、車への乗降に苦労する.ドアを少ししか開けられず、身体をひねりながら運転席に滑り込ませるように乗り込む.いつも思うのだ.このまま一生、こんな想いをしながら車に乗り続けるのかと.リビングの窓は猫が脱走しないように開かないようにしてある.その窓の向こうには、向かいに大きな家があって、空が小さい.むろん、遠くの景色など見えない.ベランダは東向きで、昼からは陽が入らないので野菜などもうまく育たない.家庭菜園するのは難しい.そもそもベランダには出にくい構造にしてしまったので、ほとんど楽しみがない.
趣味は読書とペーパークラフトと音楽鑑賞なので、ベランダに出られなくても困らないのだけれど、どちらが先かということもある.もし庭があれば、野菜作りが趣味になったかもしれない.読書をする場所ももっと快適な場所にできる可能性もある.
カミさんと相談して、少し不便な場所でもよいので広い庭のある一戸建てを手に入れよう、そして、例の工務店さんにリフォームしてもおうということになり、探し始めた.場所も早々と特定した.岐阜県の少し田舎のほうで、電車の駅近くの地域.そこは、完全な田園風景ではないが、そこそこ住宅があり、そこそこ田園がある、寂しくないが景色が良い場所、しかも名古屋への通勤圏内.その地域で中古物件が出るのを待った.
そして運よくたまたま新着物件にいち早く気づき、良い物件を手に入れることができた.「良い」はあくまで我々夫婦にとって「良い」のであって、他の人にはどう映るかわからない.いや、たぶん、なんでそこ?と思われるだろう.相当に多くの要因が絡み合ってでてきた結論だから.
景色がいいというのは決めてのひとつだ.もちろん、観光地や景勝地の絶景と言われる景色と比べたらなんてことはない田舎の風景だ.けれど、今、新築の分譲や中古物件、空き地を探してもなかなか良い景色の場所は見つからない.近くには山を切り開いた平坦な分譲地はいくらでもあり、空き家もあるが、そうした団地では見られない風景がそこにあった.もっと何年もかけて探せば違った良い風景の場所も見つかったかもしれないが、言い出したらきりがない.ここで十分満足できると思ったし、この年齢、この時期、このタイミングというのが大事だと思って購入を決めた.地域の特性上、土地の値段はそう高くない.いろいろと事情があって、結構お得な価格だったのも決めてのひとつだ.

2階の窓から見える風景はこんな感じだ.すぐ前には隣家の屋根が見えるが、位置が低いので気にならない.その屋根の向こう側の景色を気に入ったというわけ.近くに家はあるが、それぞれ土地が広いので、家同士の距離は結構あり、独立性が高い.
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今はまだ春にならんとする時期なので薄茶色の田畑だが、5月すぎれば緑の絨毯が見られるだろう.その先の丘の森も浅黄から深緑まで様々な色の広葉樹に彩られた山肌が見られる.それが楽しみだ.西側なので、山の端に沈む夕日を見るのも良い.

これからリフォームの打ち合わせが始まる.どんな家になるのか楽しみだ.
購入した家は、築50年の木造平屋と、築30年の軽量鉄骨2階建てが合体した家だ.木造のほうは大幅に改修し、軽量鉄骨のほうは間取りを変える.「快適ビフォーアフター」という住みにくい家を匠がリフォームをするという番組があるが、それに近いようなことをするんだろうな.

この家にはキウイの樹が植わっていた.世話をしていたころは実がなってとても甘く美味しくいただいていたそうだ.しかし、世話をしていたお母さんが亡くなってからはほったらかしで、今、蔓が伸び放題である.危ういことに電話線に複雑に絡みついている.このリフォームで、キウイの樹は取り除かないといけない.こうした様々な細かなところはいろいろありそうだ.
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この家のある地域は、今まで全く縁のない土地なので、いきなり引っ越してきて大丈夫だろうかという不安もないわけではないが、これまで近所の人と話した感じでは、皆善い人のようであまり心配はしていない.
今日は、すぐ近くの寿司屋に行ってみて、思い切って大将に家の購入のことを話してみると、売主の方とは同級生だとのことで話が弾んだ.周囲に住む人も皆善い人だと言ってくれたし、寿司屋の大将も奥さんも気のいい感じの人で好印象だった.
この物件探しを始めてから、いろんなことがすべてうまく運んでいる.想いは通じるということを実感している.
その根本には、「正直になる」という意識の開放があることに私たち夫婦は気づき始めている.

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