直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

2015年04月の記事

珈琲 その2

前にも珈琲について書いたので、「その2」にした.
好きな珈琲は、名古屋栄の「びぎん」のレギュラーブレンドだと書いた.
それは変わっていない.
珈琲豆を買って自分で淹れ続けてもう30年になる.
それでも最近、より美味しい淹れ方を知って驚いている.

その前に、世の中のことで、やはり意外なことがあったので書く.
図書館には雑誌もいろいろおいてある.滅多に見ないが、時間があったのでつらつらと端から眺めていくと、ある雑誌に珈琲の特集が載っていた.
【特集4】
“サードウエーブ”が我が家に到来!
家で“最高のコーヒー”を飲む
という特集に目を惹かれた.どんなすごい情報が載っているのだろう.と思って読んでみると驚いた.
どうも、高品質のスペシャルティー珈琲を買って、自分で丁寧に淹れるということなのらしい.抽出方法もいろいろ紹介されていた.メカものが最初にずらっと.そして、ハンドドリップ用の器具やフレンチプレスなど一通り.
ネット上にもサードウェーブについて解説されているが、豆の栽培農園まで特定し、単一の苗木から取ったシングルオリジンに拘っているという.自分がいろんな焙煎店から買っていた珈琲豆はそこまでこだわっているかどうか知らないが、そこはおいといても、ようやく「美味しい」珈琲を世の中の多くの人が嗜好しだしたということらしい.コーヒー専門店ではなく、大手のレストランなどで扱うようになってきたということでもあるらしい.個人でひっそりとやってるのはウェーブとは言わないのでね.
美味しいコーヒーを追いかけてきた自分としては、複雑な気分だ.

さて、本題だ.珈琲の淹れ方はいろいろあるが、自分はフレンチプレスかペーパーフィルターのハンドドリップである.
どちらがいいとも言い切れず、豆によって、それぞれの味わいが変わるので、どちらかに決めていない.
ハンドドリップは「びぎん」で教えてもらった(というか紙に書いてあった)方法でずっとやってきているが、ここにきて、新たな視点を得た.それは、最後まで抽出しないということだ.
珈琲をハンドドリップで抽出する場合、最初に少量の湯を注いで豆を蒸らすということをする.そのときの粉の山が盛り上がって膨らんでくるのを見るのが楽しい.この膨らみに快感を覚える.膨らむのは、二酸化炭素が泡になって出てこようとするからだそうだ.古くて酸化が進んだ豆はこれが無い.
次に、湯を適度な回数に分けながら中央に回しながらかけていく.
これまでなら、豆の量に応じた湯量を入れて、最後の液はちょっと捨てておしまいにしていた.最後の液は、雑味を含んでいるから捨てたほうがよいとどこかに書いてあった.
しかし、実は、コーヒー抽出液は、最初から最後まで同じ成分、濃度では無いという.最初のころはいろんなうま味成分がでて濃度も濃いが、あとになるほど、いわゆる出がらし状態になる.つまり、後半は、不味い液を、先にだした美味い液に混ぜていることになる.恐ろしい!
そこで、抽出は前半だけで終え、あとは、差し湯で薄めるということをしたほうがよほど美味しいということになる.
不味い抽出液は混ぜないということだ.この方法を紹介してくれたサイトがこちらだ.
実際に、後半の抽出液だけを飲んでみたが、明らかに違う.雑味があって美味しくないのだ.めちゃくちゃ不味いというわけではなく、もしかしたら他人に黙って出してもわからないかもしれない.砂糖やミルクを入れたら充分飲めるとは思う.
しかし、美味しい方の前半抽出液を2倍に薄めて調整した方を飲んでしまうと、この方法でしか飲めなくなってしまう.
この方法で淹れる場合は、豆は少し多めに使うので、若干コストに響くが、外の店で飲むことを思えば、全く痛くはない.
例えば、二人で300cc飲むなら豆を30g使う.ひとり15gだから、100g500円の豆ならひとり75円の計算だ.
日本茶でも紅茶でも最初に淹れたものは美味しい.2番、3番と入れていくと味は薄くなるだけでなく、雑味もでてくる.珈琲だって同じことだ.なぜ今までこんな単純なことに気が付かなかったのかというくらい、眼を開かされた気分だった.
不思議なのは、今までどの珈琲店に行って、ドリップしているところを見ても、こんなふうに淹れているのを見たことが無い.あえて、目の前でドリップしてくれるお店こそ、こういう淹れ方をしていない.
やはり、世の中には常識とか定番とか定石というものがあって、それをきちんとやっていれば十分だという安心感と安定感に慣れてしまうということなのだろう.

他のことでも同じ状況のことは多かろう.気を付けよう.
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万年筆

万年筆が気になって、モンブランの万年筆を使ってみたくなった.モンブランの万年筆というのが世間一般にどう評価されているのか正確には知らないが、高級筆記具で有名なブランドで、結構なお値段である.インターネット販売サイトのレビュー欄を見ると、念願のモデルを思い切って買って良かった、といったコメントが多数書いてある.こういうレビューは信じてよいのかどうかわからないが、他のブランドと比べてみる意味もあまり感じず、直感とイメージでモンブランに惹かれるので、深くリサーチすることもなく、思い切ることにした.
とはいえ、いくつかの型があるようだ.名古屋栄の松坂屋にモンブランブティックがあるので会社が早く引けた日に行ってみた.他に客はおらず、店員さんがマンツーマンで対応してくれた.まずは、どんな種類があるのかサンプルを出してもらい、続いてペン先の種類も試し書きをさせてもらった.
試し書きとはいえ、万年筆を売る女性スタッフの前で字を書くのはちょっと緊張する.そもそもどんな字を書けばよいのか.自分の名前を書くのも変だし、とはいえ変な言葉を書いてもなんだし.
じっと紙面を見られているような視線を感じ、ためらいながら、「山」「川」「海」と書いた.もっとたくさん書かなきゃ、書き味や書きやすさや好みになりそうかどうかはわからないだろ、と心の中で自分に言い聞かせ、つぎに「一番うれしい」と書いた.よりによってこんな気の利かない、かといって意味があるようでないような言葉を書いてしまった自分が恥ずかしくて冷や汗が出てきた.だが、彼女は字が上手だと世辞を言ってくれた.

結局、ペン先は少し太字のMにすることにした.
肝心の軸は、細身、太身、極太の3種類を見せてもらい、さすがに極太は太すぎると感じたので、太身を選んだ.極太は、昔の著名作家(誰と教えてくれたが忘れた)が使っていたことで有名らしいが、持ちやすさというよりも、これを身に着けた姿を想像して、自分の身に対して太すぎる、不釣合いな印象をまず感じ取ったのでやめた.これも直感である.この太さは、スマートな生き方をして大成した人間ではなく、何か脂じみた裏黒い体躯を持った人間が持つような太さを感じ、手をひっこめた.この感覚は別の時なら別の感覚に変わるかもしれないが、そのときはそうだったので感覚に従った.

軸の太さとペン先を決め、縁取りの装飾部分の色(金2種類、プラチナのどれか)を決めれば終了.あとはインクの補充の仕方を実演してもらって、インク壺を合わせて購入した.
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買って帰って、しばらくは「思い切ってしまったな」という想いもさながら、何を書こうかというのが課題になった.
目的もなしに買ったのか、と言われても仕方がない.手紙、はがきとまずは考える.しかし、書きたい相手として適当な友人がいない.友人でなくてもただの知り合いでもいいのだろうが、あらためて手紙を送るのも変だ.
で、娘に書くことにした.二十歳の娘に父親から手紙、というと「げっ、きも!」と思わるかもしれないが、「万年筆を買ったので初筆の記念に勝手に書いた」ということにして書いてしまえ、と思って書いた.
昔、谷川俊太郎の「ぽえめーる」という詩の郵送便を送ってもらっていた、その付録についていた様々なデザインの紙や封筒があったのを思い出して、そこから便箋替わりの紙と封筒を選んだ.インクの染みがよい紙で書きやすかった.
善い万年筆に善い紙.
書くだけで気持ち良かった.

さて、他に何を書こうと思って、万年筆に関係する情報をネットで見ていると、同じように何を書くかを質問している人がたくさんいることがわかった.そんなもんなのか.筆記具は巷にあふれている.学生なら授業で使えばよいが、仕事ではパソコンで文書を作るのがほとんどなので手書きをする書類は極めて少ない.メモを取ることは多いが、万年筆でちょこちょこメモるという感じではない.
万年筆は毎日使うことが推奨されている.長期に使わないとインクが乾いてつまりの原因になる.さてどうしよう.

思い出すと、中学から大学の間、日記のようなものを書いていた.万年筆(当時は安物)やつけペンも使っていた.特に大学時代は、講義ノートを清書するのにつけペンを使っていたのを思い出した.ペンは疲れない.力が要らずすらすら字が紙に乗ってくるからだ.その感覚を思い出すと、もともと僕はペンが好きだったのだということに気が付いた.
だから、万年筆を買ったのか.
順番が逆.
数年前に買ったメモ代わりのノートがあったことを思い出した.読んだ本の要旨をまとめたり、気に入った言葉を書き写したりしていた.その量はあまり多くない.同じ機能をブログが果たしていたので、ほとんど忘れ去られていた.
あらためてそのノートを開いて、半分以上残っているページに2行だけ書いてみた.
やはり乗りがいい.安物のつけペンと違い、字の乗りやすさは快感だった.

翌日から、当の万年筆を買った経緯や頭にひっかかっていることなどを書き始めると、驚くことに筆が止まらない.
結局、A5のノートに一行おきだが、16ページも書いてしまった.それでもまだ書き足りない感じがしたが、ほどほどにして止めた.次の日も書いた.この日は7ページ.丁寧にきれいな字になるとうれしく、乗ってくると字が乱れだす.これを正して内容も吟味しながら書き続ける.気持ちのままにページごとに変化する文体や字の乱れ.アナログなファジイな独白.
これが快感になった.
ブログは誰かが読むことを前提に書くので、自由さが無い.当たり障りのない話題や個人名を出す必要のない話題を、しかも少しはカッコよく書きたいと思いながら書くので、文章を飾りたがる.気障になる.落ちを考える.うまく落ちないけれど.
だから、この制約を逃れたノートへの書き込みは解き放たれ感の海で自由に泳ぎながら書く感覚に浸れる.

このノートの中身に意味はない.たぶん.
書くこと自体が目的で、それが心の癒しになる(ようだ).

ところで、万年筆を買って帰ってきてから、この商品名はなんだったっけ?とあやふやな買い物をしてしまったことに気が付いた.
ネットで調べても、外観上、似ているモデルの写真が2種類あって、どっちだかわからない.値段を見るとおよそ見当がついたが、はっきりしなくて気持ち悪い.
しかたなく、次の日にお店に電話して聞いた.
「あのう、昨日の夕方、万年筆を購入した○○といいますが、すみませんが、商品名を忘れてしまって、正確な名称を教えていただけますか?」と聞くと、丁寧に教えてくれた.(名前を控えさせられたのでわかるはずと思って聴いたので)
「マイスターシュテュック ルグランです.」
「あのう、何か番号はついてなかったでしたっけ?」
「146とも呼ばれています.」
なるほど、それでしたか.
「ところで、本体にそれがわかるような刻印のようなもんがありますか?」と聞いたら、そのようにはなってないとのことだった.なるほど、モンブランならモンブランでいいじゃないかってことね.

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黒い軸の曲線とペン先のデザイン、刻印を見るだけで、美しいと思う.
善い道具で善いことを書こうと思う.自分のために.

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