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直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

2016年04月の記事

思い込みがモノを見えなくする


たいした話ではないけれど思い込みによって目の前のモノが見えなくなることをちょこっと体験した。
たいした話ではないので今回は良かったが大事な時にも起こりうるので気をつけたい。
お昼ご飯を食べに車ででかけた。そうだタイ料理を食べようということになり夫婦で店の住所を確認して車のナビに登録して出た。ここまででいくつかのことを思い込んだ。
・マンションの一階というから、高い建物であろう
・お店だから広い道路に面しているだろう
・隣に駐車場があると書いてあるから、マンションの1階の端のテナントであろう
一方通行の道路が入り組んだ住宅街にあるので注意しながら進んでいったはずなのに、同じところを3回走ってもその店を見つけられなかった。結果は上の思い込みとはすべて違っていた。
・マンションといっても2階建てだった
・交差点の角にある建物の狭い方の道路側に面していた。
・3店舗の真ん中のお店だった。
結局、3回同じ交差点を通り過ぎ、最後にぐるっとまわって90度違う方向からその交差点に差し掛かって一旦停止した時、予想していた方向とは違う方向に大きくタイ料理の店構えが目に入ってきた。どうして何度もその横を通ったのに気がつかなかったのか不思議でならない。

脳科学でなんちゃらかんちゃら解説してくれるテレビ番組や本もあって、その時は面白おかしく思っているけれど、自分の身に起こってみて初めてこれは大変なことだと思うのである。仕事でもたくさんやらかしているのかもしれない。

以上
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夏目友人帳

これから、ワーグナーの息子ジークフリートが作曲した交響詩を聴くところ。NHKのクラシック音楽館を見ながら久しぶりにブログを書いています。

タイトルの夏目友人帳というのは、漫画、アニメのタイトルです。漫画の方は読んでいませんが、アニメは好きで何度か見ました。シリーズで夏目友人帳、続・夏目友人帳、参、肆ときて、この秋に伍が始まるというそこそこ人気の作品です。

漫画やアニメは子供が見るもの、いい大人が見るものではないと子供の時に親や他の大人達から刷り込まれて、今でもこうした話題を話したり書いたりすることに若干の抵抗があります。でも、心地よかったり楽しかったりするものをそう表現して何が悪いのでしょうか。これが本当の自分なのだから仕方がないのです。他人がどう思おうと。

今テレビに繋いだサラウンドスピーカーから響いてくる美しい交響詩の高く澄んだ弦の音色に心が囚われるのと同じように、夏目友人帳の心に沁みる物語や田舎の風景、優しい音楽に心が囚われて、気持ちよくなるのだから仕方がない。ま、それをこんな場所にわざわざ書くこともないのかもしれませんが。

夏目友人帳は、妖(あやかし)が見えてしまう青年のお話です。気の良い妖もいれば、襲ってくる奴もいます。闘いの場面もあるけれど、哀しいお話もあり、優しいお話もあり、毎回最後は落ち着いた日常に戻っていくところが気に入っています。数あるアニメ作品の中でも、心の澱を沈めて、この世の善き成り立ちを思い出させてくれる随一の作品だと思っています。

特にシリーズ参エンディングの中孝介の唄はすごくいい! 「!」と書きたくないほど穏やかで胸に落ちてきます。何が落ちてくるのだろう、わからないけれど何かが長い時間を超えて手繰り寄せられて落ちてくる感じです。
これは、唄を聴いただけではたぶん感じ取れません。話の終わりに、夏目の心を引き継ぐように流れ始めるのがいいんです。

さて、このゴールデンウィークにアニマックスで一挙全回放送するのだとか。どうしようか⁉︎