直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

善き人のための初陣

正月に録画しておいた映画「善き人のためのソナタ」をようやく見た。
あまりに感じ入るところがあったので、僕の初めてのブログにタイトルを一部借用した。
折角だから、このブログでは否定的な表現をできるだけ使わないようにしようと思っている。今、使ったのが最後だぞ・・と言い聞かせる。

善き人のためのソナタで女優を演じていた女優さんは、マルティナ・ゲデックというドイツの女優さんで、大人の色気のある味わい深い女優さんだった。印象に残っていたが、先日、劇場で映画「クララ・シューマン」を見たら、彼女がクララを演じていた。神経質なロベルトの精神的な支えとなり、8人?もの子供を産み育てた逞しく美しい音楽家を好演していた。マルティナ・ゲデック。これから贔屓にしたい。

というわけで、映画も女優さんもクララ・シューマンも心を豊かにしてくれた。だから、こういう話をまさにこれを読んでくれる「善き人」のために、僕の想いや気づきを伝えたい。
ブログの初陣に付き合ってくださってありがとう。善き人であるあなた。

シューマンといえば、ショパン。どういう脈絡かは置いといて、ショパンにまつわる話。
ショパンの有名な曲が山ほどでてくるショパンの半生を描いた映画『Pragnienie Milosci (Desire for love)』があることをカミさんが教えてくれた。ピアニストである彼女はこれを見たいという。日本語字幕版も吹き替え版もなく、国内では見ることはできないので、Amazonで輸入ビデオを購入した。俳優さん達はポーランド人のようだが、英語の映画だったので、おおざっぱにストーリーを追うことができただけだったが、ジョルジュ・サンドをめぐるショパンとサンドの息子との確執が話の大半を占めていた。音楽好きには、ショパンの名曲がそれに似つかわしい場面で使われているのが気持ちよい映画だろう。
いづれ劇場で観たいものだが、名演小劇場みたいなところが取り上げてくれないだろうか。

ショパンについて、これまたカミさん情報だが、リストが書いたショパンの本があるという。すごい古い話じゃないか、これは。日本では翻訳が出版されたが、絶版になっていたので、古書店で手に入れた。
フランツ・リスト著 ショパン その生涯と芸術 (翻訳者 亀山健吉、速水冽)宇野書店 昭和24年4月26日初版
でして、亀山さんの三文判が押してあった。もう、全体、茶色に変色していて、乱暴に扱えば、ページがばらばらになりそうなので気をつけて読むことにしている。旧かなづかいで、難しい漢字が多いので読むのに時間がかかる。
一念発起して、すべてをWORDでタイプすることにした。
まずは、「序」から紹介しよう。 昭和24年に書かれたこの「序」2文を読むだけでも、当時の音楽関係者がショパンをどう見ていたかが窺われ面白い。少なくとも梶原さんはピアニストだったらしく、ショパンの音楽の特徴の捉え方がよくわかって、なんだか小気味良い。
続きはこのブログで追い追い紹介するので気長にお付き合いを。




 ショパンが死んでから今年は百年目にあたる。そして百年を経た今日もなお彼の芸術はすべての人の心情を捉えずにはおかぬ。浪漫的な夢幻と憂愁と情熱の独自な表現をもって、このピアノの詩人は西欧を風靡し、幾多の不朽の名作を残して逝した。著者フランツ・リストも十九世紀の大半欧州の楽壇に君臨した明敏超凡な作曲家であり、ショパンとはその楽風を異にしていたがよき友であって、彼の真価を世に伝えた。それが今回訳出された本書であり、この興味深い本書こそ、ショパンを愛する人々に、また近代文化を知ろうとする人々に、真に悦ばしいおくりものと言えよう。
一九四九年四月 春雨けむる宮島にて                       遠藤 宏


 このたびリストの著になるショパンの本が翻訳されて発行されることは私の大きな喜とするところである。当時ショパンと交際し、ショパンの芸術をだれより良く理解していたリストの言葉は、ショパンを知る上に於いて最も信用出来るものと思う。ショパンほどにピアノを使いこなした作曲者は他にないと思う。それは一見大変女性的で線が細いように思うかもしれないが、決してそうではない。ショパンは直接付き合った人から見てどんな性質の人であったろうか、それは今の我々に直接にはわからないが、私どもピアニストはいろいろの作曲者の曲を弾いてみればその曲からその人の性格がはっきりとわかってくる。曲をとおしてショパンを考えると、ショパンは実に意志の強固な人である。彼くらい気が強くて熱にもえている人はなかろう。曲の音量等の点からいえばリスト等のほうが大きいが、その中に含まれている精神力の点からいえば、ショパンの方がはるかに強い。ショパンの曲は技巧的に云っても非常に細かく、その細かい半面にまた非常に大きな技巧を要求している所もある。その中に含まれている感情の多彩なこと、演奏者は非常に神経が要る。リサイタルのプログラムの上から云っても、全部をショパンで作るのに大変な練習が要る。軽いワルツか何かを聞いて女性的できれいだと等云うのでは本当にショパンを理解したものではない。そんな軽々しいものではない。このように色々な意味から云って今度発行されるこのショパンの本は、一般から云っても、専門家から云って、大いに得る所が多いと確信するものである。特にショパン百年祭の記念すべき年に、原本からこれを訳された方、発行に努力された方々の労を思い、この書物の門出を祝して序文とする次第である。
一九四九年四月                                       梶原 完
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