直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

著者の気持ち、本屋の気持ち

カミさんが気になる本の話をしてくれた。興味深い内容だし、読んでみたい気もした。内容はさておき、つい、次のようなことを言ってしまってちょっと気を悪くさせたかもしれない。
つまり、それほどの量の内容を細かく記憶できるほど読むのなら立ち読みでなく買ってくるべきだ。著者のことも考えたら? というようなことを言った。
自分は立ち読みをしないかというとそんなことはない。しかし、たいていの場合は、買うかどうかを決めるために少し読むだけで、始めから買う気が無いのに内容だけ知りたくて読むことは少ない。レストランや旅行先の情報本はそういうこともある。ごめんなさい。
大学生のころ、お婆さんがひとりで店番をしている小さな本屋での出来事を今でも忘れない。当時、本宮ひろしの赤龍王という漫画本が売り出されていた。これをちょっと手にとって読み始めると面白いので、つい、立ち読みしてしまった。連載されているので定期的に通って立ち読みをしているうちに、店のお婆さんから「読むなら買いなさいよ」と厳しく叱られた。普段からこういう立ち読みを嫌っていたのだろう。よく視線が気になった。同じころ、手塚治虫の「ブッダ」も発刊されていたので、これは同じ書店で購入した。一応、いくらかは商売の足しになっているはずの顧客なんだから、少しくらい立ち読みしてもいいじゃないかという気持ちがあった。正直に言えば、つい先ほどまであった。カミさんにひとこと言うまでは。
カミさんに言って自分で気がついた。
書店は本を売って稼ぎを得ている。立ち読みだけして買わないのだとしたら、それは泥棒と同じだ。本来なら買って読むべき客のはずだ。お金を払わずに楽しむだけ楽しんでよいのか!著者の立場にしてもそうである。書店に並んだ本を皆が立ち読みするばかりで買わなかったら赤字である。こんな単純なことにどうして鈍感でいられたのか。読んで頭に入れて気持ち良かったり知識になったりすることは、目には見えないものだから、そのこと自体を得るためのお代を払わなければならないとは気がつきにくいのだろうか。我々は本という紙の束の代金を支払っているのではない。それも含めて、書かれたものそのものにお金を払うのだ。価値にお金を払うのだ。それで著者は食っていけるし、本屋も食っていける。紙の束など二束三文のはずだ。中身に価値があるのだ。それを立ち読みで盗むのは道義に外れる。そんなことはわかっていたはずで、極端なことはこれまでしてこなかったはずなのに、他人の振りを見て改めて気付かされるとは。恥ずかしい限りである。
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