直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

技術の進歩と人の進歩は反比例か

船瀬俊介氏の緑の技術(GT)の本を読んだ。会社の図書室でタイトルだけ見て、ためになるかもと思って購入したものだ。本の内容は、新技術が盛りだくさんで楽しく読める。国や大企業が本気で採用しようとしていないという点もある意味面白い。どういう意味があるのか。太陽エネルギーを効率70%で電力変換できるシンラタービンが紹介されていた。数年前、会社で調査の仕事をしていた時にその存在を知った。仲間と少し真面目に議論した記憶がある。本当に優れた技術だとして、自分らの会社で何ができるかを議論した。
しかし、その前にこの技術を実用化する上で問題は無いのか、というところまで突き詰めなかった。国が補助金を出すなどの優遇措置が無ければ、基本的には儲かるものしか企業は製造しない。儲かるかどうか。どんなにエコロジーでも、儲からなければどの会社も手は出さない。そうして国の将来は立ち行かなくなるのだろうか。資源が無くなれば、原始的な暮らしをするしかない。それでも生きて行ければいいのかも。

携帯電話が無かった時代。我々は好きな相手に電話するのに、その子の家に電話をかけなければならなかった。親が出たら何と言おうかと考え悩み緊張して電話した。そこで頭を使った。電話も無い時代はどうだったのだろうか。手紙を出したのだろう。一所懸命文章を考え、頭をフル回転させた。字も上手に書かなければと思ったに違いない。だから昔の人の方が頭も手も使った。便利になると、頭を使わなくなる。いや、ゲームみたいな余計なものを発明して、遊びで頭と手を使う。それでもぼーっとしているよりはましか。しかし、便利になって時間やストレスが無くなったはずで、その分、もっと進化してもいいのではないか。ここの矛盾がある。不便は人を育てる、ということは、すでに多くの知識人が指摘しているところである。ほどほどということがあろう。

こんな何でもない文章を書いているのも、考えることと手を動かすことを自分に課しているに過ぎない。それでも漢字変換を使い続ける限り、そのうち漢字が書けなくなるだろう。
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