直仁の「善き人のための」研究室

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敬愛なるベートーヴェン

年末に録画しておいた映画「敬愛なるベートーヴェン」を観た。
交響曲第9番の初演4日前からストーリーが始まる。写譜をすることになった音楽学校の女学生アンナ・ホルツとベートーヴェンの音楽を通じた精神の交流が描かれていた。
映像と役者の表情と音楽が一体となった圧巻のシーンは、第9の第4楽章の合唱の中で神的というか天上的な旋律を歌う部分である。ベートーヴェンは難聴でまともに指揮ができない。アンナ・ホルツがベートーヴェンから見える場所で陰で拍子をとり、それを見て指揮をするという、映画でしかあり得ないシーンではあったが、二人が見つめあい、旋律に酔いながら恍惚とした表情で指揮する姿はエロチックでさえあった。
演奏自体も素晴らしかったし、カメラワークも素晴らしかった。このシーンまで見るだけでも一見の価値のある映画だと思う。
しかし、それでは終わらない。その後の二人の会話の中に聞くべきものがあった。

芸術家とは何か? 自分を信じる者だ

音楽は内臓から絞り出される

正確ではないがそういう言葉があった。自分を信じる、つまり、確信によって生きる者。これは池田晶子氏が残酷人生論の中で「わかるということ」についての論考で述べていたことに似ていて興味深い。
そして、内臓という話。カミさんが言うには、音楽を演奏するとき、一度頭を経由して弾くと失敗するのだそうだ。腹で弾く?と聞くと、そのとおりだと。

頭と心と身体、この3つが人間を構成していると考える人がいる。その説に賛成だ。そして
心は身体と密接に結びついている。音楽を奏でるには最初は頭も必要だ。だが、本番で弾く時には身体で心を表現するのであろう。自分は演奏者でないから偉そうなことは言えないが、身体でぶつけてくる(決して乱暴に激しくという意味ではない。こめる、という意味)演奏には心打たれる。一曲一曲に想いが詰まった演奏は素晴らしい。演奏は演奏会で生で観るのが大事だ。観なければ伝わるものも伝わらないと思うのだ。彼、彼女の演奏する身体の動き、顔の表情、息遣い、それらすべてと、奏でられる音、音楽そのものとが観る者の五感を通して統合されて伝わり、その「音場」を体験するのだ。そこに感動がある。
だから、プロになってレパートリーも多くなって、あまたのリサイタルやツアーでいろんな曲を弾きまくっている人達の演奏の中には、伝わってこない演奏もあるかもしれない。アンコールならいい。けれども、一曲一曲にこめて、腹から弾く演奏を毎度こなすのは大変なことだと思う。
聴く側にとっては一期一会である。そこんところをわかっている演奏者に多く出会いたい。
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