直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

池田哲学に癒されて

心がくさくさしているときに池田晶子さんの本を読むと
さっと晴れる感じになる

精神性にしか興味が無い、存在の不思議だけを考え続ける、その精神性に触れると
何やかやの身の回りの出来事に振り回されている状況がどうでもよくなる

投げやりではない。振り回されている状態であることが、自分の存在にとってそれほど重要ではないことを認識するのである

そのことに気付くのである。そして、振り回されているその瞬間になぜそのことに気付かないのかと、思うのである

池田さんの文章には、読者を慰めようとか、自分の考え方を勧めようとか、人生こうあるべしとか、そんな言説は全くない。彼女の考えること、そのものを我々に伝えようとしているだけだ。
自分はどう考えていて、どう考えていないかを何度もネタを外に求めながら、いつも一点に戻ってくる。
論理が一徹である
その強さに心意気を感じる
そのように生きればよいのだ
なぜあなたはそのように考えないのか?
と読むたびに問われているようで
ああ、そうですね、そう考えるのが正しいですよね!
そう思う瞬間が心地よいのである。

キリストは、生身の人間の内に神性が宿ることを、自らの生身の身体から血を流して十字架に果てることによって人々に示したのだ
というようなことを確か書いていた気がする
いやどうでもよい
そういうことだ
神は自分の内にある
その神は自分が自分であることをそうたらしめている唯一の主語としての神である
その神によって生きている、存在している自分が、たかが他人や他事からの余計なシグナルに右往左往するのは全く低次なことなのだ
疎かにするということではない
他人を愛し大切にすることも自分の存在にとって重要なことである
それに自分の精神性が左右されないことが肝要なのだ

それができているように少なくとも池田さんは見える
池田さんはそれができているように少なくとも見える(こちらの語順が正しい)

だから癒されるのである
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