直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

入試問題問題

京都大学などの入試問題をインターネットの質問サイトに投稿していた問題が取りざたされている。
逮捕された19歳の青年が、この問題が広くテレビや新聞で毎日トップニュースで取上げられていることをもしかしたら多くを知らなかったかもしれないことに僕は驚いている。拍子抜けした感も多少ある。
毎日新聞のニュースに次の様に書かれていたのだ。

逮捕後はホッとした様子で、捜査員から「aicezuki」というユーザー名の意味までが報道などで取りざたされたことを聞かされ驚いていたという

僕は毎日朝晩何等かのニュース番組をテレビで見、朝は新聞を読むので、このところの入試問題問題の取り上げ方が過剰すぎるように感じていた。過剰なのだが、その過剰な情報に引きずられて成り行きを見守る自分もいたことが癪である。
事件のあらましを聞くうちに犯人は少なくとも現役高校生ではなく、浪人生であろうと予測していた。それは当った。
次に、逮捕状が出たと報道された後、彼は自首するか、もしくは自殺するのではないかと考えた。
毎日の様に報道され、徐々に犯人探しが進展していく状況を見ているならば、自分が犯人だと突き止められるのは時間の問題だとわかるはずであり、相当悪意のある愉快犯でない限り、逮捕されるまで待つ意味は無い。あるいは、切羽詰まって実行した人間ならば精神的にいっぱいいっぱいの状態であり、そのうえで世間を騒がせ大問題になっていることを知れば、社会の中で居場所が無くなる恐怖に追いつめられて自殺する可能性もあるだろう。過去に投稿サイトに精神科医を紹介してほしいことを記載していたことから考えると、浪人して後がない状況に追い込まれて精神的に危うい状態にある人間ではないかと想像される。

しかし、これら想像は間違っていた。なぜならば、彼は当然、事件のニュースを見聞きしているという前提で考えていたからだ。僕自身が毎日見聞きしている事実が特別なこととは考えず、誰も皆、そして当然彼も同じニュースを見聞きしていると勝手に思い込んでいたわけだ。しかし、彼がどの程度報道の騒ぎ振りを知っていたかは怪しい。また、仮に知っていたとしても、死ぬほどのことと思うだろうというのは僕の勝手な想像である。僕だったら生きておれないと言った方が正確である。

他人の心はわからない

もし彼が自殺でもしようものなら、マスコミが彼を殺したのだ、と嘯いてやろうと思って待ち構えていた面もある
彼が死ぬのを半ば期待していたのかもしれない
なんと恐ろしい考えか

最初に拍子抜けと書いたが、彼が死ななかったことに対する拍子抜けであったことは否定できない
恥ずかしいかぎりである

他人の行動の可能性と世間というものへの心の構えの個人差についての想像力の欠如
他人の生き死にを劇場化して軽々しく扱う愚かしさ

この事件が僕につきつけた2つの宿題である
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