直仁の「善き人のための」研究室

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入試問題問題その2(入試ネット投稿問題のことです

入試問題のネット投稿問題について、中日新聞に水谷修先生と内田樹先生の話が載っていた

水谷先生:
京大が警察に業務妨害を届け出たのは感情的
受験生を悪人扱いできない
子供には逃げ道を作ってあげてほしい
一呼吸おいて、「やった人は名乗り出て!」と呼びかけるべきだった
名乗り出なければ一人合格者を増やしておけばよい
カンニングで合格した少年は自分の不正行為に苦しむだけ
子供は不完全な存在だから「君にも未来はある」と諭すのが教育者の態度
カンニングは他にもおきているが警察に届けはしない
京大が届け出たのは少年の命を守るためだったろう
カンニングは悪いことだが、されたのは試験官のミス
大学側が非を認めず少年にすべての責任を負わせるのは自己保身

内田先生:
試験があればカンニングはおこる
大学は受験生の良識を信頼するのが建前だ
学生の知性と倫理を大学が信ずる所からしか教育は始まらない
ただ実際には不正は起るので、大学は信頼と疑いの矛盾を引き受けねばならない
学内で不正が発覚しても通常は公表されない
けん責や単位とりけしはあっても、あくまでも教育的な配慮に基づく
罰は教育機関の本義ではない
今回も本来なら淡々と非公開で処理し合格を取消すだけで済んだケースだったはず

両先生ともいかにも両先生らしいコメントである
水谷先生は、19歳の少年を子供といい、子供を愛で守るべき考えを基本にしている
内田先生は、教育の本義は教育者と学生の間の信頼関係を基本に成立するという
先生方のこれまでの発言や著作にあたれば、これらの考え方は、先生方の揺るぎない教育観から当たり前に出てくる考え方だと納得できる

世の中で認められている先生というのは、さすがに考え方が揺るがない
色があり、それぞれに納得できる理路がある
もちろん寄って立つ思想は様々で異なる考え方もあろう

それにつけても、僕は前回書いたように受験生の心情を想像しようとしたし、
マスコミの報道過多にも懸念を覚えた
しかし、大学側つまり教育者としての態度の是非については考えが及ばなかった
大学側を単なる事務屋さん、あるいは管理者と同様の組織として観ていたことに気がついた

人は、周囲で起きる物事に対して、其の人のメガネでしか見る事はできない
できるだけ沢山の取り替え可能なメガネを持っていればいいように思えるが、そんなことはありえない
何年、何十年の経験の中で作り上げられてきたメガネが他人と同一であるはずがない
だからこそ、対話が必要なのだ
対話も経験となりメガネに色が加わる
そして少しずつ柔軟なメガネに成長してく
逆もありうる
それをさらなる客観的な自分が時々メンテナンスできるとよい
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