直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

レモン哀歌

鈴木秀子「死にゆく者からの言葉」を読んだ。
鈴木さんは臨死体験をして光の存在に触れてから、死に瀕した病人や老衰の人の傍らで逝く迄のいくばくかの時間を共に過ごし、逝く方の本当の気持を聞いてあげることで「仲良し時間」を上手に過させることができる人だという。
「仲良し時間」とは、死を間近にした人が、突然、一時的に状態が良くなって(このまま快癒してしまうかと思う程)、心残りの事を済ませたり、家族と最後の語らいができるだけの意識の回復があったりということが多いそうで、その時のだいたい24時間くらいのことを言うそうだ。
鈴木さんがどのように特別な存在かは本書にでてくる様々な死にゆく者とのふれあいの記録を読めば伝わってくる。彼女の師匠的存在である「大原紫苑」さんなる人も同じように、皆が心を開きたくなる人だそうである。死にゆく人の手を握り、呼吸を合わせてただ待つ。それだけで、その人は彼女らに自分の本当を話しだす。死ぬ前に言っておきたいことを紡ぎだすのだそうだ。そう想わせる安心感と信頼感を抱かせるオーラを持っているのだろう。誰もが本当を話したくなる人というと、ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出す。子供の「モモ」の前に立つと、どんな人でも大人でも正直になれる。モモはただ聴くだけ。でもその聴くだけのモモが掛け替えのない存在なのだ。

この本の中で、趣旨とは違うところで非常なる出会いがあった。
紹介されていた高村光太郎の詩「レモン哀歌」との出会いである。

(すみません。以下は、どこかのサイトからコピーさせてもらいました。)

智恵子はことのほかレモンを好んだ。「レモンの汁は、ぱっとあなたの意識を正常にした」。
昭和13年10月5日、52歳で智恵子は亡くなったが、後にこの日は「レモンの日」とされた。


レモン哀歌


そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

かなしく白くあかるい死の床で

わたしの手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関はそれなり止まつた

写真の前に插した桜の花かげに

すずしく光るレモンを今日も置かう



この詩に触れた瞬間、僕はレモンを丸ごとレモンの皮を強く押した時にレモンの皮から皮の汁が細かい霧状になってフッと噴き出すのが自分自身の感覚として思いだされた。
自分自身というのは表現が難しいが、その霧状のレモン汁が出るのと同時に自分の身体が全身ブルっとする感覚があるので、そう表現した。
そのうちに詩を思い出さずとも、そのレモンの霧が出る瞬間を思い描くだけで、全身が震えるのである。
何をしていても必ず起こる。
大変不思議な感覚である。

トパアズいろの香気

なんという表現だろう
そしてその香気の霧が僕の身体を震わせる。
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