直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

あのころと似ているか 震災復興

前回、あのころはフリードリヒがいた について書いた。読んでいてふと感じたことを暫く忘れていたが思い出した。
それについて書く。
1938年の章。
街のユダヤ人が経営する文具店や医院はすでに街のドイツ人の何人かによって荒らされて廃業していた。それらを横目に主人公の少年は、さらにユダヤ人の集る寮を襲おうとしている一団に出くわした。少年は、彼等についていき、寮の入り口扉をたたき壊すのを見、壊れた入口から中に入り、彼等が各部屋の家具、調度品を破壊し、高価なものを盗みなどするのを目の当たりにし、そして、ついに少年もその昂奮に支配され、自ら金槌を手に、部屋を破壊し始めた。物が壊れる快感を感じながら、破壊を続けた。
この本は、そうした行動についての善し悪しの判断をつけようとはせず、馬鹿正直に冷静にその時の心情と行動を描いて見せる。
少年が暴徒の空気に巻かれていくその姿を見た時、僕はふと震災以後の最近ここ数カ月の日本を覆う人々の一方向性のようなものに似たものを感じた。震災復興を皆で頑張ろうということをいささかも否定するものではないが、特にマスコミや芸能界が「頑張ろう日本」の大合唱になっていて、何事もさぼってはいけない風な雰囲気に浸されている感覚に弱冠の違和感があったことに、このナチスの喧伝に浸されて暴徒と化すドイツ人民衆の異常な行動が結びつく感じがしたのだ。うまく表現できないが。
そんなことを感じて以降、表現が難しかったせいか深く考える事もせず忘れていたが、今日、カミさんが気になる新聞記事を教えてくれた。
それは、昨日5月17日の中日新聞(東京新聞も同じか?)夕刊に寄せられていた哲学者 中島義道氏の寄稿である。そこには、「頑張ろう」の言葉が目立ち、被災から立ち上がる人達の美談が語られ、いわば「多数派」「普通派」による言葉の暴力になっている。実際には津波で家族が無くなり、元気を出しようにも出せず頑張る気力もない人や、もともと勉強が好きでなく教科書が流されてほっとしている子供もいるかもしれない。(そうした少数派?もしくはマスコミで紹介出来ない派は多いかもしれないが、)なんでこんなに不幸なのか、じっくりと自問してみることの重要さを中島さんは訴えている。
この寄稿と自分のフリードリヒの物語を読んで感じたナチスドイツの異常な民衆の行動とは違うことを言っているかもしれないが、一方向性に押しやろうとする大きな流れの暴力という点で一致するのではないかと思われる。

ただ、ただ、現在の日本は決定的に違うのは、その大きな流れを起して、また浸っているのは実はマスコミに触れている一部の人達だけのような気がするのだ。振り返って周りを見れば、ここ、愛知県では、やはり自分達の生活を今迄通り楽しもうとする普通の人達が圧倒的に多い。会社の様子も変わらなければ、飲み会に行ってもいつもどおりの馬鹿話。そうは言っても心のどこかで震災被害の人達を想ってはいるだろう。それくらいの良心はあるはずだ。そして機会があり、その時がくれば、自分にできることを行動するに違いない。
決して、「頑張ろう日本」に簡単に同調することなく、ひたすらに自分を生きていく。

話しが収まらなくなってきた。空疎な「頑張ろう」ではなく、一人ひとりの事情に立ち返り、弱い人はしばらくは弱さをさらけだしてもよい、それも認めて、出来る人は頑張って、出来ない人は助けてもらって、何とか有機的に復興の流れに乗っかって行ってもいいじゃないか。文句を言いながら喧嘩をしながらでも。そういう自由がほんとは大事なんだろうな。
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