直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

山奥のキツネの田んぼ

映画「となりのトトロ」が描かれている日本の田舎の風景は心に沁みる。
木や草の緑と空の青が透明な空気の中ではっきりとした輪郭に縁どられて清々しい空気を感じさせる。
最近その映画を見たわけでもないのにふと思い出される。
同時に僕が14歳まで暮らした田舎の風景とちょっと怖かった体験を思い出す。
トトロの風景は理想化された田舎である。画像としてだが。あのようなまぶしい位に透明感のある緑や青は自分の田舎の風景には無かった。あったのかもしれないが、日常的にはもう少し靄っていたように思う。現実には雨も曇りもあって、空気は透明なばかりではないのだ。トトロの話にも雨や曇りの日はでてくる。けれども、画面は常に透明だ。そしてもうひとつ。あそこは都会の中の田舎ではないかと思う。ほんとのド田舎にはサツキの住むような洋館は無い。
僕が育った村は、岡崎と足助を結ぶ県道沿いにある。今では「町」で呼ばれているが、今でも村とか集落と言った方が相応しい。家の作りは現代的になっていても、家屋の数は昔と変わらない。その村には店と言えるような店は駄菓子屋が1軒だけあった。床屋もなければ医者も無かった。僕の家は、県道沿いの集落と山間の集落との中間あたりのちらばった4軒のひとつだった。2つの集落を結ぶ坂道の途中にあって、だいたい村の中心の位置だが、孤立した家だった。家の前には小川が流れ、自分がまだ小さい時には、母が妹の布おむつを川で洗っていたのを見ていた記憶がある。その川の幅は約1~2メートルで、深さは20cmほど。ハエやフナやザリガニやメダカがいて、子供が遊ぶにはちょうどよい川だった。小学生のころ、近所の一つ年下の友達とよく遊んだ。僕等はじいちゃんやばあちゃんや近所の大人たちから、山奥に遊びに行くとキツネに化かされるぞと脅されていた。だからと言ってとくに怖がったことはなく、キツネが化かすというのはどういうことなのか想像できずにいた。

或る日、僕等は山に入った。夏はカブトムシやクワガタを獲りに毎日のように山に行く。その日は氏神様の鳥居を過ぎて一旦脇道に入り、いつものカブトムシの木(太くて樹液がたれていて知っている子供達だけの秘密の木だった)を目指した。そこにはカブトムシやクワガタと一緒にオオスズメバチもいて、なかなか近づきがたい時がある。その時はどうしたのか記憶にないが、とにかく元の道に戻って、さらに山の奥を目指した。途中までは車が一台は通れる道幅だが、途中で狭くなる。車が通れるとは言ってももちろん舗装なんかされていない。ハンミョウが僕等を道案内してくれるようなでこぼこで草の生えた道だ。その道が狭くなるポイントには、沼があった。この沼にはウシガエルがいて、夏にはいつも「うー、うー」と鳴いていた。回りの大人たちからは、その沼までは行っても良いと言われていた。しかし、道は狭いながらもまだまだ奥へと続いている。僕等は、その日は、その先まで行ってみることにした。人が通れる道であって決して獣道ではない。だから、それほど怖がることもなかろうし、何もなければ戻ってくればいい。
しばらく歩くとだんだんと心細くなってきた。道は続いているけれども、その道はまるで、綿から紡がれて細く伸びている一本の綿糸のようにか細く、ちょっと力を入れると切れてしまいそうに思えた。それでも、一度歩き始めたのだから何かがもうこれ以上行かなくてよいと思わせてくれるまでは行き着くつもりで歩き続けた。山の中といっても、道は比較的平坦だった。この辺りは深い山というよりは、丘陵と言った方がよいのかもしれない。高い山は無く、もし道が下るようであれば、おそらく別の部落に出るのではないか。そういう山間部である。
しかし、そういう道であるとは聞いておらず、どこかで行き止まりになるのではないかと思って進んで行った。
思いがけず、道が開けて明るくなった。そこには何枚かの田んぼがあった。
なんでこんな山奥に田んぼがあるのか不思議に思った。人の手の入った場所だというのに妙に違和感のある風景だった。次の瞬間、僕等は田んぼのあぜ道に人の姿を見つけた。それは人の姿ではあったが、どうしても人とは思えなかった。キツネだと思った。こんな山の中に田んぼがあるはずがない。あるはずのない田んぼは幻に違いない。幻の田んぼを世話しているのは人間であるはずがない。だから、あれはキツネだ。これがキツネに化かされるということなのだ。そういう考えが一瞬のうちに頭を駆け巡った。友達も同じような気分だったに違いない。
そのキツネ?は僕等に何か注意を促すような言葉をかけてきた。こんなところに何しに来た、というような内容だった。怖くなった。二人は彼に答える間もなく、もと来た道を駆けだしていた。走って走って、ようやくウシガエルの沼のところまで来て一息ついた。ウシガエルの沼でさえ、山の奥の聖地のような場所だと思っていたのに、そこが我が家のように優しく迎えてくれているように感じた。道の奥からは誰も追って来ていない。一安心して家に帰った。
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