直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

災害がほんとうに襲った時

神戸大学病院精神科医の中井久夫氏が書いた「災害がほんとうに襲った時」を読んだ。
これは阪神淡路大震災50日間の記録を再録し、東日本大震災をテレビでみて考えた事をつづった最近の書である。
糸井重里さんがほぼ日で紹介しており、自分もそうだが、同じように知って読んだ人も多いようである。
阪神淡路大震災の記録は、被災後からしばらく興奮状態にあったと思われる氏が精神科医として、また、部長という上長の立場として、被災者や医師達のこころのケアに携わった活動が綴られており、冷静さを貫こうとする文体の中に、それでも興奮状態(躁状態)にあることが漂う勢いのある筆致である。短文で簡潔な文章が続き多少の現場言葉によるわかりにくさもあるが臨場感に充ちている。

いくつかの示唆に富んだ記載で、僕の関心を引いた言葉を以下に抜粋する。

(東日本大震災の様子をテレビでみて)今の私たちは、何事も無く世の中が回転している側にいる。災害の内部からはきっと不思議な世界の一部分と思われるだろう。

(災害にあたり、何をすればいいですか?という記者の質問にたいし)
まず、被災者の傍にいることである。誰か余裕のある人がいてくれるのがありがたい。それが恐怖と不安と喪失の悲哀とを安心な空気で包むのである。茫然たる状態からは、まず自分が生き残ったことの発見から始めて、家族、友人、職場の同僚や隣人、居住区、地域、地方自治体、県と同心円的に関心が広まって行くのがだいたいの傾向である。

(医療の仕事について)私の医師観察では、災害後一日は水だけで行ける。三日まではカップラーメンでなんとか行ける。以降はおいしいものを食べないと、仕事は続くのだが惰性的になり、二週間後あたりから風邪がはやって、一人がかかると数人以上にひろがり、点滴瓶を並べて横たわっていた。この前に仕事を交代できる救助隊が到着している必要がある。

これは第一次世界大戦でわかったことだが、・・・戦争のプロが4,50日たつと突然武器をなげすててわざと弾にあたろうとする行動にでるという。これを戦闘消耗という。私は神戸の時、このことを念頭において40日以内でするべきことをすべてなしおえるようにデザインし、・・・

日本人は無名のひとがえらいからもっているのだ。神戸の震災でも、震災直後からとっさの知恵を働かせ、今この状況のなかで自分がなにをできるかを考えて、臨機応変に対応した無名の人々を挙げる事が出来る。

ほんとうに信頼できる人間には会う必要が無いのである。いや、細かく情報を交換したり、現状を伝えたりする必要さえなかったのである。「彼はきっとこうしているはずだ」と思ってたとえ当らずとも遠からずであった。

あらためて思う。日本人の集団志向はことの反面である。いきなり状況の中に一人投げ込まれて真価を発揮する人間が存在しているのである。ドイツの精神医学書・・・に、ソ連軍が日本軍捕虜の指揮官を拘引するとただちに次のリーダーがあらわれた。彼を拘引すると次が。将校全員を拘引すると下士官、兵がリーダーとなった。こうして日本軍においてはついに組織が崩壊することがなかったが、ドイツ軍は指揮官を失うと組織が崩壊したと。・・・たとえば、私の医局でも私がいない時は誰、その次が誰と代行の順序がわざわざいわなくとも決っている。これは日本の組織の有機性という大きなすぐれた特徴であると思う。

一般にボランティアの申し出に対し「存在してくれること」「その場にいてくれること」が第一の意義であると伝える。
われわれの頭は動員可能な人数をベースにした発想しかできないようになっている。三人しかいなければ三人でできることが頭に浮かぶし、七人なら七人でできること、というふうに。人が増えれば、あたかも高地に移ったかのように見えてくる問題の水平線が広大となる。新しい問題が見えてくる。・・・そして、日々、問題は新しくなる。これは事態の変化によるものであると同時に、我々が発生する問題をとにもかくにも解決して行っている場合には特にそうなるのである。

神戸のホームレスは市民との間に暗黙の交感がある。働かないものを排除する気風はない。かつてある盛り場の「ホームレスを取り締まれ」という投書に対し、「そういう人はすこしはおられるのが街といものではないでしょうか」と市側の返事。

ひょっとすると、全国いや海外からも殺到する見舞いの電話、手紙、小包の中には、この不条理な無事に対する「すまない」という感情がこめられているのかもしれない。

私達は涙もろくなっていた。いつもより早口で甲高い声になっていた。第三者からみれば躁状態にみえたかもしれないが、実際には、自己激励によるエキサイトメントであったと思う。

やはり人間は燃え尽きないために、どこかで正当に認知され、評価される必要があるのだ。

私がみるところ、人々がメルトダウンしなかったわけではない。ただ、「液状化現象」は起らなかった。起ったとしたら温かいメルトダウン、逆方向の液状化現象であった。多くの人は軽く退行していた。私もまた。「自我に奉仕する退行」であって「エスに奉仕する退行」ではなかった。(エス:精神の奥底にある本能的なエネルギーの源泉のこと。エスは放っておけば本能のままにやりたいことを何でもやろうとする。エスは快楽原則に従う。)

この三週間、私は確かに「共同体感情」というものが手に触れうる具体物であることを味わった。・・・このような「共同体感情」が永続しないことはひそかに誰もが感じている。



現場での活動記録がほとんどであったが、ところどころ、上記のような感想?に近いものが挟まっている。これらが無ければ本当にただの記録であるが、流石に還暦を過ぎた大御所の先生である。物事の観察が鋭い。当事者である自分をも客観的に観察しようとしているし、同僚の医師達、神戸人、マスコミ、国、世界という拡大視野と、歴史的事例にまで及ぶ時間軸の拡大視野を合わせもった優れたエッセイになっている。
これから身近で起こるかもしれない震災を考えると、本書を読んでおくことである種の心の備えと勇気を刻んでおくことができる。
良書である。


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