直仁の「善き人のための」研究室

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ソクラテスの弁明

池田晶子さんの「死と生きる 獄中哲学対話」を読んで、「ソクラテスの弁明」をもう一度読まなければならないと思い、家のどこかにあるかもしれない古い文庫本が見つからなかったので、新しく買ってきた。共著の睦田氏が獄中で読んで理解したことを自分も理解してみたかった。
一応、一通り読んだが、もう一度読んだという感じではなかった。初めて読んだ気分だった。前に読んだのは高校時代。倫理社会のホッタ先生の授業が面白く、ソクラテスやプラトンやアリストテレスやらをアイドルのように感じて、イデアやらエロスやらについて勉強した筈だったが、すべて忘れていたことを今回認識した。一度読んだことがある、というのは、内容を覚えてなければ意味のないことだ。読んだことがあるという事実には全く意味がない。だから、人に言うのは恥ずかしいことだ。他にもこういうことは多いと思う。梅原猛先生の本もよく読んだが、最初に読んだ「地獄の思想」は、内容を全く思いだせない。だから、読んだことがあると言うのはやめようと思う。
しかしながら、ソクラテスの弁明を今回読んでみて、死ぬことと生きることはそれぞれどういうことか、池田さんがいつも言ってることと共通の言説を見つけることができた。遠い高校時代の自分はもしかしたら、その時に何か感じて、思うところがあって、実際には潜在記憶に何か残っていて、だから、池田晶子さんの本に惹かれる自分が今いるのかもしれない、とも思った。
さて、しかし、一通り読んだだけでは(しかも、10分ずつ、通勤電車の中で、何日もぶつ切りでは・・・)、しっかりよめた気がしない。もう一度、一行一行、吟味しながら読んでみることにする。
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