直仁の「善き人のための」研究室

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意識を失うとは

最近、意識を失うとはどういうことだろう、と考えることがある。
病気や事故で意識を失うとする。
意識を失う瞬間、「ああ、今、意識が無くなる・・・」と意識しながら、意識を失うのだろうか。
それとも、それ以外の何かを考えていて(例えば、今日の仕事でやり残したこととか、来週の報告会でこう話をしようとか、帰ったらカミさんにあのことを話そうとか、など)、
突然、知らぬ間に意識が無くなっているのだろうか。

もし、意識が無くなるぞと意識しながら意識を失った場合、
次に意識が戻った時、おそらく、「ああ、意識が戻ったぞ」という認識のもとに意識が戻るのだろうか。

もし、意識が無くなるとは思わずに意識を失った場合、
次に意識が戻った時、「あれ、なんでここにいるんだ?」みたいに病院か家かどこかで目を覚ますのだろうか。

これら以外のケースも仮定できる。
それは、意識が無くなった瞬間に、実は無くなるのではなくて、離れる、ということにならないか。
幽体離脱みたいに、身体から意識が抜けて、外から自分を見ているってことにならないか。
この場合は、実体から意識が無くなったことは理解しているし、その原因も何となくわかっている。
意識が戻る時というのは、離れた意識が身体にまさに戻るのであって、すべてを理解しているはずである。
もしかしたら、身体に戻る瞬間に、身体から離れていた時の意識の記憶をなくすこともあるかもしれない。
その時は、「あれ、なんでここにいるんだ?」といった状態になるのだろうか。

こうしたシミュレーションをしていると、
今度は死んだ時にどうなるのかということに疑問が繋がる。
死んだ時というのは、もしかすると、上のシミュレーションにおいて、単に意識が戻らない、ということかもしれない。
だとすると、意識が無くなるのか、離れるのか、はとても大きな違いである。

もうひとつ比較すべきは、眠っている状態だ。これは意識が無いのかあるのか、それとも特別な状態なのか。
病気や事故で意識を失っている状態とは、眠っている状態と同じなのか違うのか。
眠っている状態と仮に同じだとして、それは安心すべきことなのか悲観すべきことなのか。

夢が記憶と関係するならば、記憶の働きは意識を失っている時に働いているのかいないのか。
意識を失っているときに夢を見る事があるのか、それとも、全く何も無いのか。
何もなければ、死んでいることと同じなのか。(この場合の死んでいることは、何も無いことを前提として言っているが)
死んでも魂が残り、意識(のようなもの)だけは残っているとしたら、意識を失うということは夢とは異なり、意識が離れるだけということになる。この場合は、意識は「はっきり」しており、能動的な思考が可能ということだろうか。
意識も記憶と関係するならば、脳のどこかに記憶をつかさどる場所があるとして、意識が身体から離れて能動的に思考することが可能なのであろうか。思考するには記憶が必要である。記憶が脳に帰属するなら、魂というものが身体とは別に存在して身体から離れて意識し思考するということは不可能だ。
さて、記憶というのは、脳の働きだと断定してよいのか。実体の無い魂というものがあるとして、仮想メモリのような記憶のエネルギーみたいなものがあり、脳はその記憶のStrageシステムという2重構造があると言ってしまえば説明はつく。
どうせ証明できないのだから、そう考えてみれば、どのような仮説も成り立ってしまう。

さて、最近、意識を失う、ということを何故か考えている。そのうち、実際にそうなってしまうのだろうか。
その時はその時で、この仮説を検証できるだろうか。
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