直仁の「善き人のための」研究室

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YOGA:肉から骨を解放する

今日のヨガレッスンのインストラクターは名古屋では有名な(と思われる)Y先生。
1月までのL先生は今インドに修行に行ってしまわれたのでしばらくは代行の先生になる。
Y先生はとても精密なガイドをしてくれる。
精密なガイドというのは、例えば、呼吸をするときに、身体のどこを意識すればよいのか、そして、順を追ってどの方向に何を感じながら呼吸を「通して」行けばよいのかを事細かに指示してくれる。慣れないと、そのガイドにどうにかこうにかついていくのが精一杯になり、その「ついていく」ことに頭が行ってしまって、本末転倒になる。
丹田に集中して、大地からエネルギーを吸い上げるように息を吸い、・・・頭頂から吐き出しましょう。風を感じていますか?・・・みたいに。突然7つのチャクラを開きましたか?と問われたりすると、7つのそれぞれがなんだったか考えてしまって、やはり集中が途切れる。
Y先生のガイドに慣れてしまえば良いのだが、YOGAの精神を追及しようとしていない凡人にとっては難しいレッスンになる。
ちなみに、7つのチャクラとは、下から順に、
①ムーラダーラ (会陰:肛門と生殖器の間)
②スヴァディシュターナ (丹田:おへそのした)
③マニプラ (みぞおちとへその間)
④アナハタ  (胸:両乳首の間)
⑤ヴィシュダ (のど仏のした)
⑥アジーナ  (眉間の少し上)
⑦サハスラーラ (百会:頭頂)
のこと。
身体が健康で心が落ち着いているときには、気(プラーナ)のエネルギーが身体を出入りできるようにチャクラが開いているのだそうだ。
ヨガでは、瞑想とアーサナ(ポーズ)によって、自らチャクラを開き、エネルギーを大地から取り入れたり、空に向かって出したりする。
これを、わかりやすい「呼吸」になぞらえて、呼吸が体幹から体の末端まで流れるようにイメージすることによって、気(プラーナ)が身体を巡ったり、出入りしたりするのを体現しようとする。
と僕は理解している。
しかし、そうは言ってもプラーナというものを見ることはできないし、本当に空気や水といった実体のように触れて確かめることもできないし、今のところ、そういうものがあると信じて、身体の中のどこに今満ちていてどこを流れているのかということを常に探りながら精神を集中するよりほかなく、それを続けることで、自分の身体をより細かく感じられるようにしていく。

しかし、Y先生はじめ、若い生徒さん達は、例えば、腕を上に上げるのもスムーズで肩が軟らかい。特に自分は肩回りの筋肉かスジが固いため、腕が真上に上がらない。肩が後ろに出て、腰から上体が後ろに反るようにしてはじめて、頭頂でナマステ(合掌)ができるという具合だ。これは昔からそうで、高校時代に器械体操をやっていたが、肩が固いため、倒立も美しくなく、バク転もなかなかうまくできなかった。
実は、骨だけだったら、関節はもっと自由に動き、肩から真上に腕を上げることは平気なのだという。腕が上がらないのは、筋肉やスジが充分伸びないからだ。人間が骨だけになれば、腕も足も腰もどこもかしこも関節の周りに回すことができる。サーカスで身体がぐにゃぐにゃ曲がる人も、関節が軟らかいというのはたぶん正確な表現ではなく、関節周りの筋肉や腱が軟らかいのだ。
背骨(脊椎)は、人が立って生活する以上、その骨の隙間は重力を受けてだんだんつまってくる。朝よりも夜の方が身長が微妙に低いと言われている。
骨は関節で緩くありたいし、自由に曲がれるはずなのに、肉がそれを阻止している。もちろん、筋肉や腱は人の身体の動きを制御するためになくてはならない器官だが、一方で骨の自由を奪ってもいる。
YOGAは、もしかすると、これを両立させようとしているのではないかと、今日、ふと思った。
骨に心が宿っているとするならば、それをできるだけ緩めて解放してあげることが、真に心を開き、身体を自由に動かせることにつながる。

肉から骨を解放する

そう考えてYOGAで身体を動かしてみようと思う。
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