直仁の「善き人のための」研究室

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映画「アバター」遅ればせながら観ました

先日、地上波で映画「アバター」を放映したので録画しておいて時間のとれた昨日ゆっくり鑑賞した。
3D映画として公開当時話題をさらったSF映画だ。映画館に足を運ぶことはなかったが気にはなっていた。というのは、「教養としての資源問題」という本の中に、この映画のことが書かれていたからだ。レアメタルを巡る各国の資源戦略を紹介し、日本の資源外交に対する警鐘を鳴らす内容だったが、こぼれ話として、映画「アバター」は未開の土地の資源を先進国が開発するために先住民を追い出し、自然を破壊するという現実に起こっていることに対して問題提起をした作品であるとした見方を紹介していた。(この本に書いてある現実の資源開発の現場も、この映画と同等またはそれ以上の残虐な行為も行われている例もあるとのことで、レアメタルの恩恵に浴している日本人にはあまり知られていない事実もあるらしい。)
そういうことであれば、ストーリーはわかりやすいはずで、いや、わかりやすくなければならず、その世界をいかにドラマチックに描いて魅せ、見る人に「入れ込ませるか」が重要となってくるはずだ。その点に興味があった。

実際に観てみると映像技術の目新しさの効果もあってか、充分に「入れ込める」作品として楽しめた。ストーリーは単純であり、結末も概略予想できる上で、物語の詳細や登場人物ら個々の次の行動や気持ちの動きにわくわくしながら観進めることができた。ネットで検索すれば映画評はたくさんでてくる。大勢は「ストーリーが単純」というもので、その点を批判的に言ってる意見が多かったが、「単純」ではいけないのだろうか?という疑問と、冒頭に書いたような資源問題に絡めて2元的に作品を捉えてみれば他にいくらでも議論すべきことはあろうに、という落胆とを感じた。

それにしてもこの作品に入れ込むことができた大きな要因は、異形の異星人の動きや表情が本物の人間(俳優)の演技そのままに感じられたからだと思う。俳優は顔全体や目で演技をするが、特殊メイクや被り物ではどうしてもそれに限界がある。「猿の惑星」のメイクもかなり進歩していて、目や口の動きがある程度わかって伝わるものがあった。しかし、このアバターの場合、特殊メイクではなく、CGである。目はネコ科の動物の目のようであり、耳の形や位置も人間とは違う。背も高く、手足も長い。これまでの映画のCGでは、どうしてもCGらしさが前に出て俳優の演技とは明らかに違う「作り物」感があったが、アバターのCGは、本物の俳優の演技に「見える」のである。どのように制作したのか気になって調べてみたら、やはり俳優自身の演技をベースにCGを「上塗り」していた。
「上塗り」という表現は正確ではないので、次の解説記事と、その中のメイキング映像を見ていただきたい。

http://journal.mycom.co.jp/news/2010/01/16/007/index.html



何かを訴える方法のひとつの典型的なパターンとして、キャメロン監督は最新技術を徹底的に駆使して、エンターテインメント性を究極に高め、観客に「入り込ませる」という手法を取ったということができる。実際のところ、キャメロン監督の狙いが何だったのか、資源開発への警告のメッセージがあることは間違いないが、他にもあるのかもしれない。さて、見た人は何を感じただろうか。
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