直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

結婚記念日に思う

3月10日は結婚記念日です。
平成3年3月10日。語呂がいいので年まで覚えています。
トミトミさん、結婚式の司会ありがとうございました。

21年も経ちましたが、まあ仲良くやってきています。
週末には一緒にヨガのレッスンを受けに行っていますが、夫婦で来ている人は今までに一組見ただけで、そんなにはいません。今日もインストラクターの代行の先生から夫婦でやってるのがうらやましいと、僕が他ごとしている間にカミさんに言ってたそうです。先生も結婚しているけれども、ご主人はヨガに全く興味を示さないとか。
夫婦だから同じことに関心を持ち、同じ趣味を持ち、同じ価値観を持つ、なんて必要はないと思いますし、お互いに違っているから面白いわけですが、相手が一番関心を持っていることに対して全く無関心だというのは何だか寂しいですね。とはいっても関心がもてないのは仕方がないことで本人に悪気はないのでしょう。ほんとに人の関心の矛先や物の捉え方は千差万別で話が通じない人だらけなのだこの世の中です。たまたまヨガについては関心の程度が違うことを予め予見できずに(あるいはわかっていたにも拘わらずか)二人が何か別の機縁から一緒になったのだから、結婚したことの意味にまでは立ち入ることではないのでしょう。

僕たちの場合は比較的同じことに関心を持っているほうです。というか、僕が感化されることが多い気がします。
影響を受けていますが、突き詰めると、そのことへの対し方は違っています。
例えばヨガにしても、それによって得たいものも感じていることも効用も実は同じではありません。
二人の独自の志向によってヨガというものを受け止め自分なりに処理し意味づけしているのです。

一緒に生活しているので、題材が共通化するのは自然な成り行きです。同じ題材をどう料理するかが個性なのだと思います。それぞれが楽しんでいる限り諍いは生じえません。これがちょうどよい夫婦の付き合い方なのでしょう。

カミさんはピアノを弾きます。僕はそれを聴きます。なんであんなに手が動くのかといつも思います。もちろん、世の中のピアノを弾く人すべてに同じ感想を持つわけですが。とりわけ、自分と同居して、ごはんを作ってくれる「その人」が「その手」でショパンを弾くのを見ると何だかとても不思議な気持ちになるのです。最近ちまたで「リスペクト」という言葉をしばしば聞くようになりましたが、本来の「尊敬」の意味でカミさんに使いたいと思います。(リスペクトという言葉を尊敬という意味でなく、パくるという意味でも使っているらしいので、なんだか気に入りません。だから日本語で尊敬っていえばいいのに。)
手指が自在に動いてピアノが弾けるというだけでなく、年齢を経てもひたすらに練習を続けて音楽を突き詰めようとしている姿にこそ「リスペクト」しているのですけどね。
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