直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

中学校校歌が突然!!

12日(日)に中学校の同級会に出席した。
ずっと以前に1回やったらしいがその時は欠席したので、実質、卒業以来初めての同級会である。

35年ぶり

顔と名前がわからなかったらどうしようと小心者の僕は、事前に卒業アルバムを見てから行った。
卒業アルバムには、校歌の歌詞が書かれていた。
自分でも驚いたことに、メロディーが全く浮かんでこない。3年間歌った校歌なのにどうして思い出せない?

同級会の席でも最後に校歌を歌おうということになったが、歌えない。
音頭取りが1番の最後のフレーズをまず歌ってから皆で歌い始めた。
何となく思い出しつつ、でも音を外しながらついていった。
しかし、依然として朧なままだった。
で、同級会が終わると、そのまま校歌の事などは忘れていた。

ところが、今朝、会社でメールチェックしていると(それは10時30分ごろ)、
突然、頭の中で中学校の校歌が鳴り出した。

六所の嶺の 空遥か 希望の虹をかけようよ
朝だ 心の窓開けて 我ら楽しい夢を見る
けだかく匂う花のように
競え 中学 松平

歌詞もメロディーも完全な音楽が頭の中で鳴り響いたのである。

びっくりした。

つい先日みなで歌っても全部は思い出せなかったのに、今朝、突然、歌詞カードもなく頭の中で歌えてしまったのである。
僕の頭はどうなっているのか。記憶というのはこんな風に、意識下から突然立ち上がってくるものなのか。

完全に思い出すのに三日かかったということと、思い出そうとは意識的には思っていなかったことから、
記憶の操作というのは実に無意識的なものだということがよくわかる。

人の意思決定は意識よりも無意識の方がより支配的である、とは先ごろ読み終えた「人生の科学」という本に説明されていたけれども、意思決定ばかりでなく、止めどもなく頭に浮かんでくる雑念の起源も無意識の仕業としかいいようがない。記憶の出し入れもそうだ。思い出して自分でびっくりするくらいなのだから。

こういう朧な頭の中と一所懸命付き合って生きるのが人生なのである。
ただし、無意識や記憶を形作るのは、最初は意識的な行為かもしれない。
意識的な行為と自然と入ってくる環境の刺激とが無意識や記憶を編集して頭の中に格納される。
それが、意図的でなく、突然立ち上がる。あるいは実にタイミングよく蘇ることもある。
何度も意識的に考えると、それがいつのまにか無意識に沈む。これが学習ということらしい。
古い記憶も、一度は思い出そうという意識的努力をすると、時間差で思い出される。
意識下で記憶を検索しているのである。
三日間も検索し続けていたのだろうか。休み休みなのだろうか。
それを知るすべはないが、とりあえず、ご苦労さんなことである。

なんだか可笑しい (?_?)
関連記事
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。