直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

生きがいについて

神谷美恵子著「生きがいについて」を読み始めた。相当古い本で、図書館で借りたのだがぼろぼろ。
ゆっくり読んでいるから、まだここにレビューを書けるまでになってないが、昔の人の論文というのは、しっかりしてると思う。構成だけでなく、語り口に信頼感が持てるというか、しっかりとした物言いというか、安心して読める。
その時の社会情勢や流行などに左右されない真実が追求されていて、全く古さを感じさせない。題材となっている患者さんやアンケートを受けた一般人は確かにその時代(昭和の半ばかそれより前)のものの考え方にある程度したがっているのだろうが、総体的には、今読んでもなんら違和感が無い。読み終えるまでゆっくり読むつもりだが、読むのが楽しい。

今日、昼にカミさんからメールが来た。彼女が東京方面に用事があって一泊するというので、昨日、会社の提携先のお得なホテルを予約してあげた。そういった事どもに対して、「ありがとう、いつも世話になってすみません」と言ってきたのだ。
そんな風に思ってくれなくても当然のことをしたまでだと返事しようと思ったところで、少し考えてみた。自分はなぜそうした事どもをやってあげたのか。ネットでいろいろ調べて申し込んで手続きして印刷して、なんてことをするのは好きなのだ。そういうごちゃごちゃしたことをするのは得意だし。そういうことをして彼女の役に立つのが嬉しいのだ。好きなことをして好きな相手のためになるのだからうれしい。これは、神谷氏の考える生きがいを感じるパターンのひとつにあてはまる。人に世話になるより、人の世話をする時の方がいきいきとして生きがいを感じるという、その小さな一例であることに気がついた。
彼女にしても家事を頑張っているのは、そういうことなのかもしれない。お互い様というバランスが大事なのだ。一人前の大人同士では、互いに得意なことを持っているはずだから、世話をしあえばよい。
しかし、相手が子供の場合には気をつけた方がよい。自分はできて子供にできないことはいくらでもある。自分の満足のためにすべてしてあげては、子供はできることもできないまま大人になってしまう。相手が子供の場合には、自分が得意でやりたいことであっても、我慢して子供にやらせることは必要なことで、そこには我慢が要る。我慢と思うようだと修行が足りない。大きな心で、子供を一人前にして神様にお返しするのが親の仕事と思いなして、いろいろと経験させ失敗させるのが肝要だ。
どこかで読んだようなことですみません。
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