直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

読書メモ: 渡辺裕「考える耳」

図書館にいくと必ず新刊をチェックして面白そうなものがあれば借りる。始めから読みたい本があっていく場合は検索システムで棚を探して取ってくるくだけなのだが、今回は珍しく書棚を眺めていて何となく読んでみようと思って借りた。単なる音楽批評ではなくて、世評を絡めて文化を論じているので興味を持った。
全体としては薀蓄話と文化論と政治談議からなっている。2005年前後のコラムを集めたものだから、話題はちょっと古いけど。

そんな中で、なるほどと思わせる音楽評と音楽学・音楽歴史学の専門家だから教えてもらえる新情報をメモとして残しておく。

余談だけど、今、カミさんがリストの「献呈」を弾いている。最後にアヴェマリアの旋律が流れるのが印象的。先ほどまでは「愛の夢」を弾いていた。浅田真央の前のフリープログラムを思い出す。いい曲だ。

さて、著者はどういう人かというと、東京大学の教授で、大学の教員紹介には次のように記載されている。

【思想文化学科】美学芸術学専修課程
【文化資源学研究専攻】形態資料学専門分野
専門は音楽学。音に対する人間の感覚や、その際に下される美的判断を対象そのものに直接結びつけて、「作品それ自体」に内在する属性や価値の話にもっていってしまう傾きのあった従来の音楽研究に不満を感じ、人間の感性や価値基準自体が歴史的に形成され、変容してゆくプロセスやメカニズム、それを媒介する「文化」に照準をあわせた研究を続けている。最近では明治以降の日本の音楽文化の近代化・再編成の過程にもっぱら関心があり、国内外の諸力の社会的力関係や様々なメディアの関与を介して、「日本文化」やそこでの人々の心性がどのように形作られ、変容してきたのかを解明する研究を行っている。ただ、もともとはヨーロッパ近代の音楽文化の研究を専門とし、音楽の伝承形態や聴取形態の変容といった、ヨーロッパの「近代」をめぐる現象の研究を続けてきた経緯があり、両者を関連させることによって、個別研究をこえて音楽論の新しい地平を切り開くことを目指している。



◆舘野泉さんのアルバム「風のしるし」を聴いた話
(舘野さん(1936年生まれ)は2002年に脳溢血で倒れ右半身が不自由になり、現在は左手で演奏活動を続けているピアニスト。最近では、昨年の大河ドラマ「平清盛」の音楽のピアノ演奏の仕事が新しい。僕が好きなピアニストの一人。)
・片手だからこそできた表現に豊かさの源がある。片手ならではの独自の音楽表現が追究されている。
・そのひとつがアルペッジョ。時には素早く、時には情感を込めて奏される多様なアルペッジョがその表現の豊かさを生み出す源泉のひとつ。
・もともとアルペッジョはヴァイオリンなどの弦楽器が和音を分散和音に崩して弾く弾き方が高度に発達したもの。
・このアルバムに含まれているブラームス編曲のバッハの無伴奏ヴァイオリンのための「シャコンヌ」左手ピアノ版は、本来なら楽々と和音の出せる鍵盤楽器であえて不自由さを伴う左手用に編曲することで普通の奏法では得られない新しい表現の可能性を引き出そうとした曲。(アマゾンで44秒だけ視聴できる)



以下は、へえーと思った薀蓄話・・・・・

◆ヴァイオリンのヴィブラート奏法は、レコード録音の出現とともに、その特性を活かす形で編み出された奏法。

◆オペラの言語上演は、日本の大正、昭和初期には必ずしも「本格的」ではなかった。むしろ、訳詞による上演の方が「本格的」と考えられていた。そもそも歌劇場は国民国家の文化的象徴。一流の近代国家になろうとするなら、自国の専属スタッフが自国の言葉で上演する固有のオペラ文化をもつことが必須だった。ドイツも同じ。

◆ウィーンフィルのニューイヤーコンサートは1940年から始まった(そんなに大昔からではない)。1959年にテレビ中継されるようになると、ウィーン市街の歴史的建造物などの映像を織り交ぜるなどして巨大な観光都市となったウィーンの歴史を世界にアピールする場となった。ウィーンっ子以外には真似できないといわれる独特のデフォルメを伴ったワルツの三拍子の刻み方は、ニューイヤーコンサートが始まってから作り出されたもので、それ以前のウィーンフィルの録音にはみられない。

◆モーツァルトやベートーヴェンの「モダン奏法」は、19世紀のロマン主義的趣味によって歪められたものであるとし、そこに混入している「不純」な要素を取り去り、作曲当時の「本来」の姿に戻してやろうという「古楽奏法」が台頭している。極端なテンポ変化や大げさな表情に彩られた思い入れたっぷりの演奏に代わり、重々しさを排除して快速で突っ走る演奏である。
だが、実は「不純」と言われる奏法の中に、バッハ時代にさかのぼる古い奏法もかなり含まれている。たとえば、和音を崩してアルペッジョにする(楽譜には指示されていない)のは、鍵盤楽器の奏法における弦楽器奏法の模倣の名残で、モーツァルトやベートーヴェンのころに普通にやっていた奏法慣習である。


この方は、SPレコードなど古い記録の研究もされているようで、レコードが音楽だけでなく様々な音情報の記録媒体としての意味もあったことや、SP、LP、ソノシート、CD それぞれが持つ文化的意味合いにも触れたコラムが多くあり、それなりに面白かった。

以上

今日の写真は・・・寒空の下でいかにも寒そうに咲く花です。なんという花だろうか?

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