直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

読書メモ: 諸富祥彦「人生に意味はあるか」

V.フランクルの「夜と霧」を紹介するTV番組で解説していた諸富さん(明治大学教授、トランスパーソナル心理学)が書いたというので読んでみた。

なぜか人生とか死とか生きる目的とかに関係する知識を得たくて、関連する本を読むことが多い。「知識を得たくて」と書いたが、自分が思い悩んでそれを解決するためにこういう本を読んでいるのではない。そういうことに最近気が付いた。生きる目的がわからず、こんな苦しい人生を送っているなら死んだ方がましだとか考えている、というのでは全然ない。けれどもこういう本やスピリチュアル系の本やあるいは哲学の本(易しい文章でわかりやすいものに限る)を手に取ってしまう。なぜか。

知恵を得て誰かを救いたいのだろうか。何か周りの人が思い悩み苦しい胸を打ち明けてきたときに相談に乗れるようにしたいのだろうか。そりゃ、そうできたらよいが、これが一番の目的かと聴かれたらノーである。やはり知的好奇心というやつだろうか。それとも、自分は本当は深く人生に思い悩んでいる(あるいは生きる意味を見出せなくてこのままでいいのかと思っている)のに、それが潜在意識にあるだけで自分でも気が付いてないだけだったりして。

まあ理由はよくわからないが、「わかりたい」ということなのだろう。物理的、技術的な何かよりも、日々生きている自分というものの「根源的な何か」を「わかっていたい」のではないか。

そういうわけで、いろいろな本を読んできてはいるが本書もそのうちのひとつとして有益だったかというと、今一つよくわからない。本書は3つの構成からなる。最初のひとつめは全く退屈だったのでここに書くことはしないが、2つめは諸富さんが過去に調べて知識として得ている様々な分野の著名人の言う「生きる意味」のまとめと諸富流の解説である。自分が知っている人のことも多く理解の整理にもなるのでここにメモとして残しておきたい。最後のパートでは著者自身の考えを披露している。この部分には大いに期待を持って読み進めたが肩すかしを食らったような感じで少し残念だった。世の中それほど甘くはないよと言われているような読後感だ。

で、とりあえず2つめのパートから抜粋して整理してみる。これらはすでに著者が原著から抜粋してまとめたものからさらに部分を抜粋しているので、諸富メガネで抽出したコンテンツをChokujinメガネでさらに篩にかけたものになっており、原著者の言いたいことの本質かどうかかなり怪しくなっているはずだ。けれども仕事病かなあ、なんか学会の参加報告みたいにまとめたくなってる自分が最近ずっと居て、ペーパークラフトを作るのに当てればいい時間を割いてこんなことを書く羽目になっている。でも今自分がしたいことなんだろう、と開き直って。



◆文学・宗教の人達

・五木寛之
 人生の目的を見つけるのが人生の目的

・高森顕徹「なぜ生きる」
 弥陀の救いが人生の目的
 次の親鸞の教えのとおり。
 「万人共通の生きる目的は苦悩の根元を破り、
  ”よくぞこの世に生まれたものぞ”の生命の大歓喜を得て、
  永遠の幸福に生かされることである。
  どんなに苦しくとも
  この目的を果たすまでは生き抜きなさいよ」

・トルストイ
 ごく普通の人々、とりわけ農民の生き方に学ぶ。
 彼らは理性より信仰に基づいて行動する。
 農民の信仰の源泉である福音書の教えに回帰すべき。

・ゲーテ「ファウスト」
 欲張って欲張って、死ぬまでに何とか満足を得ようと
 命を燃やすことがなくては、
 人生の本当の意味も真の幸福もつかむことはできない。
 求めて求めて求めぬく姿勢。

◆哲学の人達

・トマス・ネーゲル
 すべては一瞬のできごと

・渋谷浩美
 人は根拠なく生まれ、意義なく死んでいく

・宮台真司
 生きることに意味もクソモない。
 永久に輝きを失った世界の中で、
 将来にわたって輝くことのあり得ない自分を抱えながら、
 そこそこ腐らずに「まったりと」生きていくこと。
 そんなふうに生きられる知恵を身につけよ。

・ニーチェ
 人間は自らの存在に「意味」を求めてしまう弱き生き物。
 「真理」とは
「特定の生物種がそれがなくては生存できなくなるような誤謬」。
 あらゆる真理は人間が自らの都合によって作り出した嘘。
 自らの存在が無根拠かつ無意味であることを率直に認めよ。
 一切はただ永遠に意味もなく回り続けている。
 それをあるがままに受け止めた上でなお肯定することができるか?
 たった一度でいい。人生の中で心の底から震えるような
 「幸福の瞬間」を味わうことができれば、
 たとえ一切が無意味な繰り返しでしかなかったとしても、
 私たちはそのすべてが肯定できるはずだ。
 ⇒ 映画「男はつらいよ」で寅さんが甥っ子から問われた、
   人間は何のために生きるの?への答えと酷似している。
   ニーチェと山田洋次は同じ人生の極みに達していた!?


◆スピリチュアル系の人達

・飯田史彦
 生まれ変わり説。
 肉体を使って物質界に生まれる私たちの人生の最終目的は
 修行であり、自分で計画した問題集を解くことにある。
 (すべての苦しみは宿題。愛すること、人間関係、病気・・・)
 ⇒飯田先生の本はほとんど読んだ。諸富さんは、スピリチュアル系でもかなりあやしい人とそうでない人に分類していて、飯田先生はそうでない人と言ってる。けれど、前世とか魂とか霊とかと接していると言ってる人たちを「あやしい」と言ってるようなので、そうなら飯田先生も「あやしい」部類に入るはず。飯田先生も霊の話を書いてるのだが、一部の本にしか書いてないので、諸富さんはそれを読んでないのだろう。それに飯田先生は元福島大学の教授だったので(だから自分も先生と書いてるが)、その肩書きの影響を受けているのだろう。僕に言わせれば、飯田先生と江原啓之の言ってることの根本はほとんど同じである。

・キューブラ・ロス
 与えられた宿題をすませたら、からだを脱ぎ捨ててもいい。
 死んでしまいたくなるほどつらい時(愛する人との別れ、
 不治の病、子供の病死や重い障害など)ほど、
 実はこの上ない「学び」のチャンス

・チベットの死者の書
 死ぬ瞬間、人はものすごく強烈な光とともに弱い光とも出会う。
 ここで死者が強烈な光と一体になり、それと融合することに
 成功すると、「自分の本性」である「全き空」を経験できる。
 すると輪廻から解放され、解脱することができる。

・玄侑宗久
 なにか死によっても途切れない何者かを信じるようになった。
 それは多くの仏教的認識が先端科学の提示する世界と矛盾しない
 のに対し、
 このことだけはいわゆる科学がまだ扱い得ない領域だから
 「信じる」としか言えない。
 目に見える世界が「明在系」、見えない世界が「暗在系」。
 あの世は暗在系であって、それは素粒子の霧のような状態にあり、
 純粋にエネルギーであり、しかもいたるところに均等に存在する。
 「あの世」も「魂」もある人が変性意識状態にあるとき、
 その相互作用において起きる「できごと」であり、
 「ある」とか「ない」とか考える対象ではない。
 この世の現実のすべては、観るものと観られるものとの相互作用
 によって生まれてくる「できごと」である。
 つまりすべては「空」である、という量子力学的理解。
 ⇒ 玄侑宗久という人についての僕の個人的な印象はよくない。
   理由は無いが、TV番組で語る様子を見たときに直観的に
   「合わない」と思った。それ以上の明確な理由は無い。
   申し訳ないが。
   上の文章にあるように、彼は科学の知識もあるようである。
   しかし、本当に量子力学を理解しているのだろうか。
   どうも表面的な理解によって、
   何かを説明しやすい理路だけを掬い上げて
   自分の納得のいく存在論を展開しているだけではないのか。
   彼の「存在」論はなかなか面白い。惹かれるものもある。
   けれども漫画的である。「あの世」を素粒子論的に説明して
   気持ちよくなっているだけのように思える。
   それでこのことが了解されたら何が言えるのか?
   この文章を読んでいて思い出したのが、光瀬龍
   「百億の昼と千億の夜」の萩尾望都のコミックで描かれた
   「ディラックの海」の情景である。
   物質と交差する反物質の世界、すべてがエネルギーとなって
   消滅するディラックの海。
   これを視覚的に表現しようとした萩尾さんの感性が凄い。
   ひとり生き残った阿修羅王が、ディラックの海の中に、
   シッタータとオリオナエがいるのがわかるという。
   その表現は玄侑氏のいう「暗在系」のエネルギーの中に均等に
   魂が存在するということと重なる。


・上田紀行「生きる意味」
 これまでの時代は「生きる意味」も既製服のように決まったものが
 与えられた時代だった。しかし、これからは違う。
 ひとりひとりが「生きる意味」を構築していく時代が到来した。
 「生きる意味」のオーダーメイドの時代なのである。
   ⇒ 精神的な意味での「癒し」という言葉を初めて使ったと
     ご本人が著書の中で書いていたのを記憶している。
     15年以上前だろうか、上田さんの本を読んで感心したのを
     覚えている。
     実は諸富さんは僕と同じ1963年生まれで、
     上田さんは5つぐらい上である。
     上田紀行と同世代に森岡正博、宮台真司が居て、
     諸富さんは尊敬する先輩方と言っている。


・江原啓之
 私たちが一番大切にしなければならないことは、魂の成長です。
 それこそが私たちの人生の目的なのです。
 「守護霊」とは願い事を叶えてくれる摩訶不思議なものではなく、
 私たちの魂が気づきと学びを得てさらに成長していくように、
 見守り導いてくれるもの。
 私たちは実は人間ばかりでなく、日本、そして地球人類全体の
 進化、向上も担っている。
 地球のカルマ(業)は日本のカルマでもあり、
 それはまた私たち個人のカルマなのです。
 私たちはこの宇宙を地球という星を浄化させるために
 生きているのです。
 私たちの究極の目的は、この星を浄化させ神の国とし、
 神の光の粒子となっていくことなのです。
 ⇒ 江原氏は最近とんとテレビに出なくなった。
   オーラブームを引き起こし、ある時突然身を引いた。
   諸富さんは、彼を「かなりあやしい人」だけども、
   「あやしいけど有益なメッセージをおっしゃっている人」
   として挙げている。
   魂とか守護霊とかオーラとか言ってるからあやしい。
   でも、どう生きるかという話をするとき、そのメッセージは
   かなりまともだと僕も思う。
   そのメッセージに説得力を与えるために、それが有効に働く
   相手にスピリチュアルな世界を使っての説明は効果が大きい。
   こういう人の話を最初から胡散臭いと思って何も聴かない、
   読まないというのは勝手だが、本当は何が言いたいのかは、
   触れてみて初めてわかるというものだ。


・ニール・ドナルド・ウォルシュ「神との対話」
 あらゆる生命の目的はできるかぎりの栄光を体験するということ。
 人生とは発見ではなく、創造のプロセス。
 自分が何者であるかを知ろうとするのはもうやめなさい。
 何者になりたいかと考え、そうなろうと決意して努力しなさい。

◆V.フランクル (諸富さんが、この人は外せないという特別な人)
 人間は、人生から問いかけられている存在。
 私たちがなすべきこと=実現すべき意味は、私たちの足下に
 つねに、すでに送り届けられている。
 どんな時にも人生には意味がある。
 あなたを必要としている「何か」があり、あなたを必要としている
 「誰か」がいて、そして、その「何か」や「誰か」はあなたに
 発見され実現されるのを待っている。



以上、ざくっと整理してみた。
諸富さんがこのあと自分の回答を示すが、最初のうちは、ことばでは説明できないということを繰り返す。なぜなら、人生の意味は「知るもの」ではなく「目覚めるもの」だからだそうだ。本気で求め続け悩みぬいた末に目覚める「体験」によって認識するという。彼は、14歳の時に人生の意味に疑問を持ち、それがわからなければ生きていてはいけないと思って7年間悩み続けたと何度も書いている。精神的にボロボロになったとも。自殺を図りかけたこともあるという。その結果、7年後にもう悩むことをあきらめて放り出した瞬間、何かに目覚めた。

それは「何かほかの力」「何かほかのはたらき」によって自分は立っていられるという気づき。
自分の本性はエネルギーのうず。そのエネルギー=いのちのはたらきそのものをじゅうぶんに生きること、これが生きる意味だという。私が何者かに生かされているという私の側に立った立脚点から、いのちのはたらきの側の立脚点にシフトし、「いのちが、私している」という認識に目覚める。

よくわからない。突然スピリチュアルな体験をして「わかっちゃたもんね」と言われてるみたいで、たいそうなタイトルの本の結論としては説得力に乏しい。少なくとも本として世に問うのであれば、もう少しなんとかならなかったのだろうか。ひとつ間違えば、これから始める新興宗教へのへたな勧誘本になってしまう。現に、あとがきには、こうした気づきのための勉強会のようなものを立ち上げたとしてホームページを紹介もしている。

なぜ諸富さんは人生の意味に疑問を持ったのか?それほど悩み深いことになったのはなぜか?いじめられたとか何か不幸な境遇になったとかは書いてないので普通の学生だったのだろう。7年間悩み続けた割には、結局ちゃんと大学を出て学者になり明治大学教授になっている。順風満帆に見える。逆境になく、ぬくぬくと悩んでいたのではないだろうか。本を読み漁りひたすら頭の中だけで「理屈で」納得できる大連立方程式を解こうとしていただけなのでは?
ちょっとひねくれた見方をしてみた。


最後に、諸富さんは、それでも言葉でなんとか結論をまとめているので転載しておく。

人は何のために生きるのか、それは、

①人生のほんとうの意味と目的をどこまでも探し求め続けるため、最後まで求めぬくため。

②その極限において究極のリアリティである「いのちのはたらき」に目覚めるため。

③今あなたがおかれている状態からの日々のといかけに応え、あなたの人生に与えられた使命を果たし、「未完のシナリオ」を完成させていくため。

そうすれば、あなたの魂は途絶えることなく成長し続け、あなたの行為は、不朽の業績として永遠の座標軸に刻み込まれ続けることでしょう。



③と最後の言葉は、フランクルの受け売りだ。(受け売りでいいのだけれどね・・・)
そもそも「いのちのはたらき」ってなんだ?7年間悩みつづけた末に目覚めたそのことは、実は当たり前の事実に気づいただけなのではないか。「頭」だけで考えていてわからなかったことが、頭も含めた身体である自分が今現にここにこうして立っているという事実に(頭で理解していなくても)気が付いただけなのではないか?自分の内側というか、自分という生き物そのものの「生きている」という存在感に気づいたということではないのか。立脚点をシフトしたというのは、その気づいた主体が自分の「頭」ではなく、身体を離れた意識体のようなもの(「光」の存在と飯田さんは言う)の側からわかったということだろう。


なんだか疲れてきた。何を書こうとして書き始めたのか忘れてしまった。
そうそう、読書メモだった。
諸富さんの考えは考えとして受け止めておこう。
今は了解できない点もあるが、いつか共感できる時がくるかもしれない。
判断はいつでもできる。
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