直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

猫を飼う人の気持ちが少しわかった気がする

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ネコカフェという場所に初めて行った。
カミさんがネコ好きで、You Tubeの動画を見ているだけでは我慢できず、生きてるネコに触れたくなったみたいで、誘われた。
僕たちが結婚した時は、カミさんの実家にネコがいた。
シャム(純血じゃなくて適当なシャム)のジャックという名のネコで、僕がその家に行って黙って座ると膝に乗ってきた。その子も亡くなり、生のネコに触れる機会はカミさんも無くなって久しい。

僕の実家では犬も猫も飼ったことはない。少なくとも僕が生まれてからは無い。
動物に触るのはあまり得意ではない。ましてや抱くなんてことはできない。
一度、娘が幼稚園の時に動物園のふれあい広場でウサギかモルモットか何かを抱く羽目になったことがある。しかし、それらはふにゃふにゃでつぶれてしまいそうで怖かった。
ふにゃふにゃで怖かったといえば、生まれたての娘を抱いたときを思い出す。風呂にいれるときも最初は怖かった。

で、ネコカフェというのは、要するにネコがたくさんいる部屋に時間いくらの料金を払って入室し、しばらくまったりするところである。一応カフェというからには飲み物もでるのかと思ったら、ペットボトルか缶ジュースを支給された。今日行ったネコカフェは(どこもそうかもしれないが)、ネコを抱いてはいけないと注意された。ネコが近寄ってくるのをただ待つか、軽くなでてやるのは良い。

入室したときは、3匹ほどが歩き回っていて、のこりの5,6匹は寝ていた。
カーペットに座って少し様子を見ていると、2匹が目の前を通って行った。何度か通り過ぎたが、それ以上のことはなく、他の客やカミさんもただ歩くネコを見ているだけか、ちょっと手を出してなでているだけだった。

そこでジャックのことを思い出し、部屋の中央あたりに移動して胡坐をかいて座って待ってみた。
すると、一匹がまっすぐこちらに向かってきて、全く警戒もせずに僕の膝(というより股)に乗ってきた。
彼はそのまま座り続け、毛づくろいをしたり、あくびをしたり、まるで自分のねぐらにでもいるかのようにくつろいでいた。カミさんは僕をうらやましがるが、彼がそうしたのだから仕方がない。

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それにしてもこのネコは僕のことを完全に信頼しきっているようだ。一度立ち上がって離れてみたが、別の場所で座るとまたやってきて今度は下腹のあたりにどっかと寄りかかってくる。
これだけ無防備にやられてはこちらの気持ちも緩まないではいられない。恥ずかしいけど心地よい。
なるほど、ネコを飼う人は、この心地よさを味わうのがひとつの楽しみなわけだ。
実際に飼ってみると大変なこともあるだろう。しかし、それと引き換えに得られる心の緩みの快感は世話をする苦労を忘れさせてくれるのだろう。
何者かに無条件に信頼されるということの大きさ。それを実感できた気がする。
ま、ネコを飼ってる人にとっては今更言うまでもないことなのかもしれないけれど。

しばらくすると、ほとんどのネコは寝てしまい、動いているのは一匹だけで、その子は店のオネエサンに甘えてばかりで客の相手はしない。僕たち以外の客は僕の膝にいる子をうらめしそうに見ながら早々に店を出て行った。寝てるネコを起こしてはいけないと言われているし、そんな彼らを触っていても面白くないわけだ。
僕は何だか他の客に悪いことをしているような気になったが、でも、そういつもいつも初対面のネコが寄ってくるわけではないだろう。たまたま今日のこの子(ソマリという種類の彼はフィートという名をつけられていた)は僕の匂いが好みだったんじゃなかろうか。それとも何か僕の後ろに見えたのだろうか???

村上春樹の「海辺のカフカ」にネコと会話ができる人が出てくるのを思い出した。一時的にでいいから、そんなことができたら楽しいだろうし、さきほどの疑問もすぐに解消されるだろう。
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