直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

飲み会は苦手 で善い

今読んでいる本にこんなことが書いてある。

・外向的な人は、内向的な人を置き去りにして話し続ける
・内向的な人は、話に割って入ろうとしても疲れるし、話を聞いていても疲れる。
・外交的な人は、会話の間を埋めてしまう。
・内向的な人は、会話に入ろうとするよりは、あきらめて会話から抜け出す方法を探す。

もちろん僕は内向的な人の側にあり、まるで自分のことを言われているようだ。
この本はアメリカ人が書いたものなので、上の4行はパーティーで外向的な人と会話をしている内向的な人の様子を説明している。
日本でいえば、飲み会とか懇親会で行き場を失っている人の姿だ。

若いころは会社の同僚と飲みに行くのは苦ではなかった。むしろ、楽しく会話ができたという記憶の方が多い。
いつのころからか飲みに行くことも減ったが、たまに行く飲み会がだんだんと苦手になってきた。
苦手になってきたというより、苦手な飲み会の機会にしか巡り会わなくなってきたということかもしれない。

特に懇親会というものに出ると、主賓の挨拶と乾杯が終わってひとしきり料理をとって食べたらもう帰りたくなる。
こんな自分は社会不適合者ではないかと自己否定に陥りそうになる。もっといろんな人と話をしていろんなことを吸収したり、関係をつなげたり、有益な情報を得たりといった前向きで有意義な機会を活かそうとしない自分に罪悪感さえ感じることもある。なんで他の人はあんなに楽しそうに話すことができるのだろう。

今までならこんな自分の気持ちすら吐露できなかったが、この本のお蔭で正直になれた。
これでいいのだ!
と承認してくれたから。
この本で内向的な人の考えと行動パターン、外向的なのが良いことだとされている社会からの刷り込みが詳しく説明されていて、それらがいちいち自分に当てはまる。
どうやってパーティーの誘いを断るか、やむを得ず出ることになったらどうしたらよいか、という指南まで書いてある。
バイブルになりそうな予感に最後まで読み終えるのが楽しみだ。

他者と接するときの劣等感や罪悪感が無駄なものだったことにようやく気付くことができて、肩の荷が下りた感じがする。



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