直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

肇祉

【肇祉】
今年の年賀状にこんな言葉を書きました。

祉をはじむ。祉は福。幸福を開き始めるの意だそうです。

めでたい言葉なので、謹賀新年とかより洒落てていいかな、と思いまして。

教育や仕事について、はっとするような理路を披露してくれて流石だと感心することの多い内田樹先生は、新年のブログで「日本は滅びる」と予言されていました。何も新年早々、そんな「言葉」を披露しなくても・・・と思いながら読みました。
そもそも現代において国が滅ぶとは具体的に何が起こることをいうのでしょうか。
先生は、「国破れて山河あり」の山河を残したいとおっしゃる。山河とは何か。

”私が「山河」というときには指しているのは海洋や土壌や大気や森林や河川のような自然環境のことだけではない。
日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、さらに具体的には治安のよさや上下水道や交通や通信の安定的な運転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも含まれる。
日本語の語彙や音韻から、「当たり前のように定時に電車が来る」ことまで含めて、私たち日本人の身体のうちに内面化した文化資源と制度資本の全体を含めて私は「山河」と呼んでいる。
外形的なものが崩れ去っても、「山河」さえ残っていれば、国は生き延びることができる。”


だそうです。これが山河であるならば、滅びる「国」とは、その山河とは別ものということでしょうし、「外形的なもの」と言っていることから察するに、我々の実生活とは関係のない(ように見える)「政治」の世界ということなのでしょうか。「国は生き延びることができる」ということは「国」とは「日本」ではない、ということでしょうか?日本という統治システムと経済システムが滅びると言っているのですね、おそらく。

ブログであって、論文ではないので、「国」とか「日本」とかの言葉の用法が統一されていないのでしょう。何度か読んでみると、その文章中の言葉の意味が何となくわかってきます。言いたいこともそれにつれて見えてきます。

結局のところ、正確にはよくはわかりませんが、
年の初めなのだから、素晴らしき日本の山河を愛おしみ、私利私欲ばかり追いかけず、皆で幸福を開き始めましょう、ということで納めておきましょうか。

関連記事
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。