直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

グスタフ・マーラー

田代櫂氏の「グスタフ・マーラー」を読んでいる。マーラーに関する本は、若いころ、2,3冊買って読んだはずだが、改めて新刊のマーラー伝を読んでみることにした。とにかく出来事、事実の記載が事細かく詰め詰めに記載され、合間にときどきマーラーや関係者の手紙の引用が挿入され、激しい彼の生活の変転が淡々と進んでいく。最初読みにくいと思ったが、読み進んでいくと、そのテンポに慣れてきて、知りたいマーラーの感情部分、思想部分をより分けながら読めるようになってきた。もう半分頑張ろうというところである。

さて、マーラーとの出会いは大学時代である。京都で大学時代を過ごした私にとって、クラシック音楽は大きな心の癒しであった。クラシック音楽に目を(いや耳を)啓かれたのは、同級のT君の影響による。最初の何かの講義でたまたま隣に座ったT君が話しかけてきて、つかず離れずの付き合いが始まった。就職後、彼の結婚式に呼ばれた程度には友人であった。彼に誘われて園田高弘氏のピアノリサイタルを聞きに行った。後半はショパンだったのは覚えているが、演奏自体の記憶はほとんど無い。園田氏がどのようなピアニストかもしらず付いて行った。ただ、アンコールで聞いたドビュッシーの「沈める寺」の音色に聞き惚れた。強烈な印象のひとときだった。これ以降、私はクラシック音楽の世界にのめり込んでいく。(カミさんと見合いして「沈める寺」の話題で話ができたのは結婚を決めるひとつの決め手になったとも言える。)
下宿の四畳半にテレビはなく、常にラジカセで音楽を聞いた。クラシック音楽をFMで聞きながらカセットテープに録音し、繰り返し聞いた。4年間の学生生活で、カセットテープ100本程度のクラシック音楽を最低5回は通して聞いたと思う。その中にマーラーの交響曲や歌曲集のほとんどが含まれていたことは確かだ。しかし、最初の出会いははっきりしない。T君がハードロックとバッハとマーラーを大音響のステレオで聴くのが好きだったから、彼の影響だろう。そのために彼は1年目の下宿を追い出されたくらい、音楽を楽しんだ人だ。
たぶん、マーラーの交響曲第5番のアダージェットに心を奪われたのが始まりだろう。1時間を超える交響曲を飽きもせず聞き続けることに全く抵抗はなかった。何がよいのだろう。ブルックナーは飽きてしまうのの、マーラーは心が躍り、あるいは、揺さぶられ、あるいは、どこかへ連れて行かれる。
就職して寮に暮らし始め、当時、売り出されたばかりで10万円以上もするCDプレーヤーを買い、音楽の楽しみがグレードアップした。最初に買ったCDは、ジャン=ジャック・カントロフが演奏するバッハの無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ3枚組だった。これは実に透明なすばらしい録音で、CDだからという以上にすばらしい音だった。その後、少しずつ、CDを買い始めたが、マーラーはしばらく買わなかった。ある年、名古屋にシカゴ交響楽団が来て、サー・ゲオルグ・ショルティの指揮でマーラーの交響曲第5番を演奏した。最前列に近い席で(当時はそれでもA席だった。今はあまりにもS席が多すぎる。音響のよくない前の方の列はA席にすべきだといつも思う)、汗が飛んでくるくらいの距離で老ショルティの自信満々の演奏を聞いた。シカゴ交響楽団は完ぺきな演奏だった。
結局、その後、彼らのマーラー交響曲全集CDを買った。しばらくのちに、マーラーが得意な指揮者は他にもいることを知り、味わいのある他の演奏を聞く機会もあった。
いろんな演奏会を聞き、たぶん1番から9番までのすべてに加え、大地の歌と未完成の10番も聞いた。
好きなのは、5,6,9番であるが、やはり、演奏機会の多い5番は最も好きな方だ。2005年に大野和士指揮で5番を聞いたのが善かった。彼は現在、小沢征爾に匹敵する最高の国際的日本人指揮者として期待の大きい人だ。彼はアンコールでアダージェットを再演した。これには泣けた。
マーラーという映画もある。少しふざけたシーンもあるが、曲のオンパレードで嬉しい。6番の一部がアルマのテーマだというシーンがあるが、それがきっかけで6番を好きになった。

マーラーの交響曲は長いので、ゆっくり聞く時間を最近とれないのが悲しい。
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