直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

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日曜の「さむ」は週初めの覚悟


タイトルの「さむ」は作務のことです。

作務とは、「禅寺で僧が掃除などの労務を行うこと。修行の一つと見なされ」るのだそうです。
今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で子供時代の直虎が出家して禅寺で修行を始める場面で、先輩僧との問答の場面。お寺では、作務が修行であると言われた子供の直虎は、どうして掃除や炊事や農作業が修行なのか?理解できません。
さてなぜでしょう?ホントのところは僕にもわかりません。

ただ、座って考えているだけでは何もわかってこない(悟れない)という教えもどこかで聞いたことがあります。
ただ自分がなすべきことを成すという行為の中で何かがわかってくるのだろうと何とはなしに理解しているのですが、何がわかってくるのかわかりません。でも、そのわかるべき何かがわかっていないから修行なのだろうということはわかっているつもりです。

で、日曜日は自分が会社に着ていく5日分のワイシャツにアイロンを掛けます。できるだけ自分でかけることにしています。これを「作務」としましょう。実は、毎週日曜日にアイロンがけをしている時間は、どうしても翌日以降の仕事のことを考える時間になっています。これは必ずしも楽しい時間ではありません。だからといって苦行というわけでもありません。あえて考えようとして考えているのでもありません。自然と頭に浮かんでくる明日行われるとある場面で何を言おうか、何を言われるだろうかと考え始めてしまうのです。ここで考えを抑え込むのがよいのか、考えるままにしておいたほうがよいのかわかりません。どちらがよいのかということも考えながら、思考があっちこっち飛んでは戻ってを繰り返しています。これは修行なのでしょうか?

「作務」が修行だということに近い状態なのか、それとも、全くお門違いなのか。

結局、アイロンを掛けながら、週の初めに一週間の仕事の覚悟を固めているような気がします。


もうひとつ、気になったドラマのセリフがあります。
朝、NHKは連続朝ドラ「ごちそうさん」の再放送を流しています。
先週の107回で主人公のめ以子の息子が、知人の「源ちゃん」がものを食べられない状態になって(PTSD?)苦しんでいるのに対して、
「何が何でも、食べさせなあかんの?」「元気になったら、また、(戦争に)行かされる人がほとんどやろ? いろんなとこ送られて、結局、死ぬまで、行くことなるやんか。その度に あんな つらいことになるんやったら、ここで、静かぁにみとってあげた方がええいう考え方はないん?」と言います。

ぼくは会社に行く時間なのでここで家を出ました。そのあとどうなったか気になっていましたが、あとでカミサンが教えてくれました。その次の主人公のセリフが良かったと。

「死なん人間なんておらんやろ!」「死ぬのは当たり前や! あんたも私も。源ちゃんだけが死ぬようなこと言うてるけど、分からんやろ? 私かてあんたかて、明日いきなり、丸焼けになるかもしれんやろ? どうせ死ぬなんて言い出したら、アホらしゅうて飯炊きなんか やってられるか!」
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