直仁の「善き人のための」研究室

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子供の教育の考え方が変わる?「大人のいない国」を読んで

鷲田清一、内田樹著「大人のいない国」を読んだ。図書館で借りて、明日返さなければならないので、気になったところをここに書いて記録しておく。
本の主旨をここで披露するには、私の力量では無理なので、興味ある方は是非読んでいただきたい。内田樹さんの本は他にもたくさん出版されていて、ブログも開設されているので、見て戴ければよいが、なるほどと唸りたくなる論理展開に引き付けられる。
気になった部分は、鷲田先生の文の一節「ちょうど子育てや教育において、子供をどのように育てるかではなく、子供が勝手に育つ環境をどのように作ったらよいかと腐心することのほうが大事」である。そう、親はついついどのように育てたらよいかしか考えない。自分が育てる責任があると思えば思うほど。子育てに関する話題や書籍、言説は尽きないし、同様のことを訴えている人もいると思うが、子供は「親が育ててやる」ものではなく、「子供は育つ」ものだ。どうせ親は、子供を育てるプロではない。経験が無いか少ないところで、子供を何に向かって育てようというのか、それをどう育てようというのか。向かうべきところの本質をわかっていないのに、How toは成り立たない。
だから、子供が勝手に育つのを祈るのだ。勝手に育つということは、子供自らが立つ、すなわち、どんなふうにでも生きていける力をはぐくむということなのだろう。内田さんはよくいう。なんでも食べられて、どこでも寝られて、誰とでも友達になれる、この3つができるのが生きる力ということなんだそうだ。自分で育つということは、意思があって、考えることができて、行動できるということだろう。周りの不確実な環境の中で自分がすべきことを定められる。何でも親が決めて世話をしてやったら何も考えなくなるし考えられなくなる。勝手に育った子供は大人になるわけだ。逆に親の思うように育てられた子供は子供のまま大人になれず、そういう人ばかりの住みよい日本、「大人のいない国」日本であるという落ちだ。ま、本書には、この事ばかり書かれているわけではない。言論の自由についての内田さんの主張は、今までもやもやしていた「言論の自由」のなんとなく恐ろしげな雰囲気を見事に説明してくれていた。閑話休題。子供のことだ。娘が幼稚園のころ、カミサンはピアノを弾くので、その間、勝手にケーブルテレビのカートゥーンネットワークでアメリカ正義アニメ(バットマンやエックスメン、スパイダーマンなど)を見続けていた。それで、正義感が強くなったらしい。キッズステーションやアニマックスで古い日本のアニメ(ドカベン、ど根性ガエル、じゃりんこちえ、マッハゴーゴーゴーなど、いっぱい)を見て、根性と涙と笑いを覚えたらしい。情けない「のびた」が大嫌いでドラえもんは決して見ない。許せないらしい。こういうのも勝手に育った効用なのだろうか。ま、まだ社会に出てないし、良かったのか悪かったのかわからないが。
でも、テレビはNHKしか見せない、スーパーでねだっても何も買ってやらない、という親御さんの話を聴く。それで何かよいことがあるのだろうか?過ぎたるは及ばざるがごとし、じゃないかな。
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