直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

考えている場所を認識できる理由は

最近不思議に思うことのひとつ

考えるということのその場所はどこか
ちょっとよく考えてみよう
いや探ってみよう
どうも首から上であるのは間違いない
目のあたりか、目の奥か
うーん、右耳と左耳の間のあたり?

なんかその辺っぽい

はっきり特定はできないが
なんかその辺っぽいことはわかる

なんでわかるのか
考える、ということがわかるのは
五感のどれか
視覚じゃないよね
嗅覚じゃないよね
触角じゃないよね
味覚じゃないよね
聴覚?
聴覚か

聴覚は確かに耳から音が入ってきて
耳の奥というか頭の中で聴いている感じがする
聴覚は耳じゃなくて頭の中にあることに
あらためて気がつく

考えるとは、聴覚か
正確には、考えるとは言語を使う
言語を使わない「考える」は無い?
無いよな
考える は 頭の中で喋ることだな
喋るので音声みたいなもんだ
だから聴くことになる
考えるってことは
自分が頭の中で喋る言葉を聞くってことだ
考えるのはどこだということを探っていくと
右耳と左耳の中間のあたり、つまり頭の中のあたり
と思われるのは
自分が頭の中で喋る言葉を聞いているからだ

これは本当だろうか

では聴覚障害の人は考えることが無いことになってしまう
言葉を音声でとらえる以外の方法があれば、考えることは可能だ

今、自分が考えることは自分が頭の中で喋る言葉をきくことだと
気がついたのは、たまたま、自分が考えるときには音声認識を
主体に考えているからだ

そうでない人もいるのではないだろうか

視覚で考えている人はいないだろうか
いるのではないか

もしかすると
この文をパソコンに打ち込んでいるこの指が
考えているかもしれない
正確には、聴覚と指とで考えている
というのが正しいかも

ある瞬間には視覚で考えているかもしれない
それを今後見つけてやろう
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