直仁の「善き人のための」研究室

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フランツ・リストが書いたショパン

絶版の古本、フランツ・リスト著 亀山健吉、速水冽訳 「ショパン」
このブログを立ち上げた頃に始めた全文タイピングが、漸くほぼ完成した。
ほぼと書いたのは、20ページほどある「註」を残しているからだ。
本文はすべてタイプできた。
なぜこんなことを始めたのか、はっきりした理由は自分でもわからない。
ただ、貴重な本であろうことと、読み返すにはあまりにも本の傷みが激しく、頻繁にページをめくるのはよくないと考えたことと、音楽好きの人に差し上げたら喜ばれるかもしれないという期待があったこと、等々。
タイプしながら考えていたのは、タイピングの正確さと速度の練習になっているかもしれないこと。ブラインドタッチが少し前よりうまくなったかもしれない。右手の薬指と小指の使い方が慣れなかったが少しは慣れたかも。

いずれにせよ、マイクロソフトワードの文書で横書きだから、少しお化粧をするなり、PDF化するなり、何か後で読みやすい形に編集することにしよう。

誤字脱字脱行(行を飛ばすなんてことがあろうかと思っていたが、本当に飛ばしてしまうことがあった。逆に、同じ行を二度タイプしてしまうことも最後に一度だけやってしまって、なかなか自分が愉快であった)が無いように、原書と同じ書式(一行の文字数と一ページの行数)に設定してタイプした。何か間違いがあると、行頭の文字が原書と違ってくるのですぐにわかる。
古い本なので、仮名遣いや送り仮名が今と違う。例えば、思い出なんかは思出になってるし、ながらは乍らだし、そのほかたくさんの違いがあって、これらを間違えると途端に行頭文字がずれてくる。訳者も送り仮名や使用する漢字を統一していなくてタイプを間違えやすかった。さすがに旧仮名づかいは現代仮名遣いに修正したので、改めて読むときは読みやすいはずだ。古い漢字や当て字も多く、全く読めない時にはIMEパッドで漢字を形から探した。

そこそこの苦労がありながら、一応本文をタイプし終えたので何となく満足だ。
さて、あと一仕事「註」を打ってしまうか。あとひと月くらいかな。最後に「あとがき」があったかもしれない。それで終わりだ。

タイプしていると、タイピングの作業としての意識が長じ、実は内容をほとんど理解していない。だから、本当にもう一度読み直してみなければならない。同時に並行して最近は平野啓一郎の「葬送」を読んでいるので、内容が重なる部分もあり、少し混乱しがちだが、種々の記録や手紙などを取材、研究して小説に仕上げてある「葬送」は物語的面白さが勝り実に心躍る読書時間を持つことができた(過去形で無くまだ半分しか読んでないが)。それに比べ、リストの文章は登場人物を直に知っているリストが書いたという点で貴重な情報であり、かつ、芸術家としてのリストのある意味独りよがりの芸術論、人生論に従って書かれたショパンの生涯と芸術解釈は、まどろっこしくて客観性に欠けた文章の読みにくさが却って味を出している。

今年はショパン生誕200年だからちょうどいい。それを意識したわけではないが、昨年、たまたま手に入れたこの本になぜ執着するのかわからない。
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