直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

「耳で考える」養老孟司、久石譲を読んで

図書館で3冊本を借りてきた。期限は2週間で、全部読めるかどうか自信はなかった。ひとつは、タレブの「まぐれ」、もうひとつは池田晶子さんの「死とはなにか」、そして最後は養老孟司さん、久石譲さんの対談本「耳で考える-脳は名曲を欲する」。タレブの「まぐれ」は前回紹介した本の中で紹介されていたので借りてみたが、翻訳本であるせいなのか、なかなか日本語がすっと入ってこない。たぶん期限までには読めないだろう。池田晶子さんのは、以前一回借りたことがあって半分くらい読んだ。再貸し出しお願いしたらほかの人の予約が入っていて一旦返したが、しばらくぶりに戻っていたのでまた借りた。2,3ページの小文の集まりなのでどこから読んでも途中で投げ出しても読んだ分だけ読んだ気がする。
さて、「耳で考える」は、養老先生がいつもの調子で、久石さんの話題をネタにあれやこれやの知識と見識とで解説を加える形で話が進む。久石さんは、宮崎アニメの主題曲の作曲家で有名だが、最近は映画「おくりびと」の音楽も担当されたとのこと。ほかにも知らない間に久石さんの曲をきっと聞いているのだろう。CM曲もあるらしい。それだけの実力と名声がありながら、養老さんの前では大人しい。会話の3分の2か4分の3は養老先生の発言で、久石さんは聞き役といった感じの本だった。謙虚に養老先生の説に感心しながら話は進む。久石さんが音楽作りに関連して不思議に思っていることや気がついていたことどもを養老先生が脳の仕組みから解説したり、古今東西の雑学から説明してみせたりするのが面白い。たとえば、視覚と聴覚の比較だ。人間はどちらかというと見ることによるよりも聞くことにより感動することが多いという。脳の中では、聴覚の方がより内部の原始的部位で処理されるかららしい。それに、音が耳に入ってから脳が認識するより、光が眼から入って脳が認識するほうが遅いので、久石さんは、映画で音楽を映像に合わせるとき、映像よりも音をほんの少し遅らせるそうだ。そういう工夫をしないとだめなのを経験的に知っていて、それを脳の働きから説明されたのに驚く。音の方が視覚よりも感動に結びつきやすいのは、自分もなんとなく感じていた。
映画などを見て泣けてくるシーンは、必ず、バックの音楽や、俳優の絞り出すような一声が効いている。昨日のフィギュアスケートカナダ大会で2位になった日本の高橋大輔君のフリープログラムの演技は映画「道」の曲を使ったが、このジェルソミーナのテーマを中心とした感動的な音楽を聞くと映画の感動シーンを思い出す。そして、それぞれのシーンを思い出させる振付やパントマイムが実にうまく、フィギュアスケートというスポーツというよりもひとつのアート作品を見ている感じで涙がでそうだった。とくに、けがから復帰して、けがする前よりも体の柔軟性が増して滑りがうまくなった高橋君が、今年のいくつかの大会に出て慣れてきてだんだんと仕上がってきた昨日の試合は、何度見ても感動的だ。しかし、もし、「道」の音楽がなかったらこれほど感動はしなかっただろうと思う。
昨日は、夜、TVで盲目のピアニスト辻井伸行君(20歳)がコンクールで優勝する話をやっていた。コンクールの初めから終わりまで、おもな参加者達と一緒に撮影したドキュメンタリーだ。彼のピアノの音色は、極限までに聴覚を研ぎ澄ませて最高の音を出すことだけに注力したかのようなクリスタルのような響きに聞こえた。彼の指は、音を出す瞬間のほんの手前まで小刻みに震えるように今から出す音を探っているように見えた(押そうとする鍵盤の上にいち早く指を運び、その位置を確実にしながら、確実に間違いのない輝くような音をだすのだ)。彼が優勝者として名前を呼ばれたシーンは、やはり感動した。お母さんはもちろん泣いていた。
映像は切り出してみることができるが、音は切り出したら、何も付随してこない。音は、過去と未来をつなぐというか、脳が音の時間性を認識の中に組み込んでいるから、リズムやメロディーを認識できて、ひと連なりの音楽という実体のない記憶としてしか認識できないものであって、だからこそ、さまざまな過去の映像記憶と結びついて心に残るのかもしれない。
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