直仁の「善き人のための」研究室

読書、ペーパークラフト、フィギュアスケート、散策などの雑感

モノに踊らされる

最近、モノに踊らされていることを強く実感している。
例えば、携帯電話。
リビングに置いている飾り台にいつも携帯電話を置いていたが、この台を倒してしまった。
携帯電話が先に落ち、その上から台が倒れて角が当たり表のガラス?部分が割れてしまった。
電話、メール機能に支障はなかったが、割れた部分で放電するせいか、充電しても早く電気が消耗するようになった。これでは使っていられないので、否応なく新品に機種変更した。このことは先日書いたが。
ほとんど受信用にしか使わないので、新品も一番安いものでいいやと考えて買いに出かけたが、結局、長時間かけて物色し、気に行ったモデルを買うことにした。
次に、昨夜パソコンを使い、設定変更をしたため再起動を行うと、全く反応しなくなった。立ち上がらない。ファンがまわっていないようで埃を払い、しばらく冷却したが駄目だった。翌朝もう一度トライしたら動くかもしれないと思って布団に入ったが、どうも、そのことが気になり、夢にまで見た。

たかが、携帯電話、たかがパソコンである。生き死にの問題ではないが、なぜ心を捕らえ縛るのか。
いや、数万円以上するモノの不具合に真剣になるのは当然と考える向きもあろう。しかし、もっと大事なことは他にある。これらのモノに対する執着に費やす時間、その間、自分は他への関心、想いを明らかに疎かにしている。

通勤電車がホームに入ってくる音がするので、走って乗り込むというのも、踊らされている、という人がいる。モノやコトに踊らされ、待つことや「仕方が無い」「そのうちやればいいや」という自由な心の余裕が無くなっている。社会は問題だらけで、みんなが「もっと考えなければいけない。考えさせられた。」のオンパレードであるが、そんなに考えなければいけないことが多いと考える時間もない。会社の仕事も余裕が無い。機械のように働いて心が死にかけていないか。そんなことばかり考えては、いつもやはり考えなければならない。

お酒を飲んでも、真面目に議論している。こんなに考えるのは人間の性なのか。
シンプルに生きたいと思うが、それができないのは世の中の有様のせいではなく、自分の心の持ちようなのか。
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